彼には、三択会話みたいなコマンドが欲しい。そうしたらこんなに悩まないのに。
切実にそんな事を考えつつ、今日の目的だったはずの、ほとんど読めなかった本を鞄にしまう。
「帰るのか?」
文字通り、キョトンとした顔の葉月と目が合う。
これだけ一方通行以前に、平行線な会話なのにどうして引き止めるのか。
「帰るわよ?」
「……どうして?」
「どうしてって……、そこそこ話も終わったようだし?」
腰を上げて伝票に手を伸ばす。なんとなく自分の分だけ払うのも気が引けるから、彼の分も払うか。なんて軽い気持ちで。
『じゃあ。』と声をかけようと立ち上がり伝票を掴むと、その上から大きくて綺麗な手を乗せられた。
「……なに?」
「……葉月、珪。」
「へっ?」
「……名前。」
あー。名前、ね。突然手を掴まれたから、一瞬焦って意識がそっちに向いたわ。
それにしても、名前まで単語だとは……。
そしてまた私の返事待ちなんだ。この世界の自己紹介は、こうじゃなきゃ駄目なんだろうか?いっそ私も単語でいくか?
「あー。もう下の名前は知ってるんだから、上だけね?私、城峰。よろしく。」
「……電話番号は?」
「はぁ?いきなりなんなの!?」
「学校違うんだから、連絡の取りようがない……。」
そりゃそうでしょうけど!!どうしていきなりそう来るのよ!何処の世界でも、手順ってものがあるでしょ!
「別に取る必要なんかないでしょ!あんたここに来てるんでしょ?だったら会えるじゃない!」
「いつ来るか知らないし……。」
「そんなの縁があったら会えるの!いい?初対面の女に電話番号なんか聞いちゃ駄目なの。非常識なの。分かった!?」
縁だなんて微妙に佐伯っぽいけど、この先この人が間違った事をしでかさない為にも、お説教の如く説明する。
黙って聞いていた葉月が『うん』と頷いて、満足して席を立つ。これでいきなり電話番号を聞くナンパなんてしないだろう。………たぶん。
「とりあえず今回は私が払うからね?縁があったらまた会うだろうから、その時はあんたが奢って?じゃあ、またね?」
「……分かった。次、だな?」
見上げる葉月に妙な罪悪感を覚えつつ、その視線を振り切って会計を済ませ、ニコニコと嬉しそうなマスターと、奥から顔を覗かせた葉月に見送られ店を出る。
平穏な日々があっという間に消え去った。
―――そんな事実を感じながら。
21 思わぬ出会い