「皆も早く寝るように。分かりましたね!」
静まり返った部屋に響く声とドアの閉まる音。
全身から力が抜けぐったりとした私は身支度を整えてくれる瑛くんの腕に身を預けたままその声を聞いていた。
「……出られるか?」
「……う、…うん。大丈夫…出られる。ありがとう…。」
開いた隙間から強い光が漏れ安堵の声と笑い声が混じる部屋の雰囲気に、先生が本当に立ち去った事を知り重く感じる身を起こす。音を立てないようにそっと襖を開け誰にも見られていないか辺りを見渡すと皆も興奮しているのかそれぞれに笑いあっていて、安堵の息を漏らしながらも気付かれないように四つん這いのままそっと押し入れから出て立てたままのテーブルに身を隠す。
後ろから続いて出てきた瑛くんが何事もなかったように立ち上がるのを回らない頭のままぼんやりと見上げていた。
「…ん?立てるか?」
「だ、いじょうぶ…ありがと。」
「…さすがにすぐには動けないか。」
「ぅ。…当たり前…だよ。」
周りの生徒を気にする事もなく差し伸べる瑛くんの手を遠慮しながら受け立ち上がる。
平然と、でも楽しそうな声はさっきとは違いからかうような意地の悪いもので、自分だけが乱れてしまった事実が顔と耳を熱くさせる。こんなに熱いのなら相当赤くなっているはずで恥ずかしさに俯いた。
私とは正反対に瑛くんはいつものように平然としていて、さっきまでの事が全部ウソだったよう。それでも、まだ私の身体には余韻のような気だるさと熱が残っている。誰も気付かなかったようだけれど、こんな大勢の中であんなに……。
―――本当に気付いてない……わけないよ!
確かに出さないようには我慢していたけど、無音だったわけではない。
ここにいる全員が息を潜めていたんだし、あんな小さな空間ならどんな小さな物音も息遣いも聞こえるはず。絶対にバレてる!少なくともあの押し入れにいた人全員に!
「……あかり、また百面相か?」
「ちが…!じゃなくて!あの、その…っ!」
「……プッ。ヘンな顔。」
「瑛くんっ!」
いつものようにいつものような瑛くんにどう話しだせばいいか分からず、けれどストレートに聞く事も出来ず、ただ地団駄を踏む。これではまるで子供のようだ。けれど、自分から蒸し返すような事なんて恥ずかしくて出来ない、絶対に。
「誰もいなかったんだよ。」
「……へっ?」
「押し入れ、誰もいなかった。上の段は出しきれない布団でいっぱいだったし、あっち側も布団だった。」
「……ほんと?」
「ああ。あっち側は開かなかったし、入った時念のために押してみたから間違いない。」
「…そ、うなんだ…よかったぁ〜。」
そんな私の焦りと漸く気付いたのか、ちらと視線で押し入れに合図して瑛くんが笑う。まさかあんな短時間でそこまで確認していた事にびっくりしながらも、誰にも知られなかった事にホッとして身体の力が抜けその場にへたりと座りこんだ。
「誰もいないの分かってたんだからさ、すればよかったかな…。」
「……えっ?」
「我慢してるあかりって色っぽかったし…シたくなった。今日夢に見たらあかりのせい。」
「てっ、瑛くんっ?!」
「……ぷっ。あはは。」
「あかりちゃ〜ん!今のうちに帰るよ〜!」
「あっ!はーい!」
まるで腰が抜けたみたいに座りこむ私の隣にしゃがみこんだ瑛くんが耳元で囁き、私に使った指をぺろりと舐める。冗談なのか本当なのか分からない意地の悪い顔。さっきとは違う私をからかう時のいつもの声。そんな瑛くんにホッとしたような恥ずかしいような、なんだか色んな気持ちがごちゃまぜになり、腕を力いっぱい何度も叩いていると、部屋の入り口近くから苗字さんの叫ぶ声がした。
ドアから廊下を窺っているような背中はハリーのものだ。きっと先生はもう教員部屋へと引き上げたのだろう。
「…冗談じゃなくて。明日、チャンスがあったら、な?」
「てっ?!」
「ほら、呼んでる。明日は寝坊するなよ?」
「……瑛くんのばかっ、知らない!」
立ち上がり際に腕を引く瑛くんがさりげなく耳元で低く囁き、私の腕を取って立ち上がらせるふりをする。ぱちりと合う視線はただの冗談とも思えず、一瞬で赤くなった耳を押さえて一緒に立ち上がるとくると背中を向け歩きだす。部屋から出る瞬間そっと視線を送ると、男の子達と話していた瑛くんが私に気付き片手を上げてにっこりと笑っていた。
ハリーに見送られ自分達の階に戻るエレベーターの中、ポケットで震える携帯を取り出しかちりと開く。
さっきのは冗談だから機嫌直せよ?
明日、本当に楽しみにしてるから。おやすみ
いつもは用件だけの業務連絡みたいなメールしかくれないくせに。
吹きだしそうになりながら携帯をそっと閉じる。
どこか人気のない所を探して瑛くんを反対に驚かせるのも悪くない。
瑛くんにとっても一生に残る修学旅行になるかもしれない。そんな事を考えながら。
15.