カラカラカラ―――。

何かが風に回る。軽やかに。

「――――ん、っ…。……ん……?」

誰かが自分の髪を優しく撫でた気がして、ぼんやりと目を開け顔を動かす。
海が見える窓際のテーブル。店の中で一番好きな場所。
開店前の穏やかな時間、少しだけ休憩、と両腕を枕がわりにテーブルに突っ伏してうたた寝していた俺が一番最初に見たもの―――。

「………こいの…ぼり…?……なん…?」

いつの間にか開け放たれた窓。

まるで生け花のようにグラスに挿されたプラスチックのこいのぼり。
先端の風車がカラカラと軽快な音をたて勢いよく回り、小さなこいのぼりがハタハタと風に揺れる。

「あ、瑛くん、起きた?」

「…………これ、なに。」

「こいのぼり。瑛くんも言ったよ?」

「そーじゃなくて。……これ、なに。」

テーブルに突っ伏し顔を窓に向けたまま、相変わらず暢気な声に問い掛ける。
ガタガタと椅子を引く音。ことりと置かれたのは、きっとコーヒー。
それでも顔を上げる事はせず、こいのぼりをぼんやりと見つめた。

「んーとね?小さい男の子が買ってもらってるの見たんだけど…私も欲しくなっちゃったから。」

「………ガキかおまえは。」

「む。酷いなあ…。可愛いでしょ?こいのぼり。」

「………べつに。ガキじゃないんだから、そんなの欲しくない。」

「いいですぅー。瑛くんにあげるために買ったんじゃないもーん。」

すっと指先が伸び、視界から水色のこいのぼりが消える。残ったのは、透明のグラス。俺の眠そうな顔がぼんやりと広がって映る。

カラカラカラ――――。

あかりが手にしているこいのぼりが窓から入る爽やかな風に音をたて、薄く白い雲が覆い空が柔らかく見えた。

もうちょっと……のんびりできるな…。

あかりとの軽い言い合いも二人だけの時間も、心地がよすぎて頭を上げる気にもならず、また、目を閉じる。

「これ、こんぺいとうがついてるんだけど……食べる…?」

「んー……、いらない。もうちょっと…。」

「口移しで。……なんちゃって。」

普段から寝不足なんだから、少しの間だけ寝かせてくれ。

そんな言葉を続ける間もなく降り注ぐ悪戯っぽい声と、言って照れたのかごまかすような笑いに、がばと頭を上げた。

「――――食う。それならそうと早く言え。」

真っ赤な顔でパクパクと口を動かすあかりの前に、口付けを待つように顎を突き出す。

まだ開店前の俺が俺でいられるなんでもない時間。こんな子供みたいな事が出来るのも今だけ。

そんな俺とあかりの間には、子供だましのような安っぽいこいのぼりが笑うように靡いていたのだった。

こいのぼり
10.05/03

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