15話 隣の席の恋人

 それは放課後の何でもない日常。出水のボーダーの任務が何もない時は、二人こうして少しだけ学校に残って話をする。そしてそのまま、葵を家まで送るのが決まりとなっていた。
 ふと、葵が問いかけてくる。

「出水くん気づいてなかったの」

 何の事、と聞かなくても分かる。葵が出水に持っていた下心についてだ。その話題は、出来るならしたくないと思う出水が居る。何だか情けない部分を話さなければいけないような気がして。彼女の前では格好良く居たい、とは誰しもが思う事だろう。しかし出水に関してはそれは半分手遅れだし、だから少しでもはぐらかそうとする。

「……さあな」
「結構アピールしてるつもりだったんだけどな」

 どうやら今日の葵はそういう会話をしたい気分らしい。白々しく言葉を重ねてくる。出水はといえば、どう返したら正解なのかが分からずひたすらに言葉を濁すしかない。
 どう言えば、葵は納得するのか、葵が聞いているのはただの好奇心なので正解も納得もないのだが。というか、どんな回答でも受け入れられる器が今の葵にはある。

「……さあ、な」
「ははーん、自分から言い出せなかったんだなヘタレめ」

 悪戯な笑み。完全に出水を揶揄って遊んでいる。楽しかった。出水との会話ならなんだって楽しいのだが、それを伝えた事はない。出水だって完全には否定してこないので、それに甘えている節もある。

 いつか喧嘩したりもするのだろうか。あまり遊んでいると本気で怒られるだろうか。そうなっても仲直り出来る自信が、葵にはあった。しかし度が過ぎると捨てられてしまうかもしれない。それは嫌だ。でも出水と居るとどうしても胸がうずうずして、我慢できなくておちゃらけてしまう。困ったものだ。

「うるせえよ、お前付き合ってから物言いストレートになったよな」

 出水も同じようにうずうずしていやしないだろうか。この感情は共有出来ないだろうか。葵は考える。何にせよ、出水と会話を紡げる事が嬉しかった。
 見る人が見ればままごと恋愛、と言うかもしれない。でも葵はそれでいい。出水の方はもう少し踏み込みたい気持ちがないわけではないが、急ぐ必要はないと思っている。

「私は昔からこうだよ?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。変わってない。でも、そうだな」
「ん?」

 会話を区切って考える素振りを見せる葵。何を考えているのか、出水には分からない。だから待つ事にした。偶に葵は考え込む事がある。最終的には思った事はきちんと話すので、今回も待っていれば話してくれるだろうと、出水は確信にも近い思いを持っている。

「出水くんが前より私の事見ていてくれてるみたいで、嬉しい」

 何でもない事のようにそんな事を口にする葵。案の定、しっかり思った事を話しただけなのだが、それは出水に得も言われぬダメージを与えた。
 これに関しては確信犯だ。焦ればいいと、葵は思っている。出水はまんまと手中にはまったという事だ。

「……本当にさ、ストレートすぎ」

 はあ、と大きく溜息を吐いて机に突っ伏す出水。そのまま顔だけを葵の方に向け直して、じとりと睨んだ。怖くもなんともないその表情に葵は満足する。好きだよと、言われている気がした。

「お? 照れてる?」
「ねえから」

 すぐさま否定する出水だが、照れているのは一目瞭然。言葉に全く説得力がない。好きだなと、思った。

「丁度いいじゃん、足して二で割ろうぜ」
「どういう思考回路だよ」
「フラスコの中で混ざり合うのだよ」
「いつの話だよそれ」

 いつかの会話を思い出してそんな事を言う葵は、客観的に見てもとても楽しそうで。それを見るだけで、もうどうでもいいかな、と思う出水も居る。しかし押し問答も嫌いではない。だから大勢は変えずとも会話は受け入れる。

「化学は嘘をつかない」
「それはそう」
「でしょー?」

 こんな日常をずっと続けていけたら、どんなに幸せだろうか。それは二人の共通認識だ。近界民と隣り合わせに生きている出水に、絶対の安全はない。またいつ大規模侵攻があるかもわからなくて、そうしたら葵にだって絶対はない。葵が米屋に吐いた重い感情を、出水は知らない。葵自身、出水に伝える気はない。恋人だから相手に全て曝け出すのは、ただの自己満足でしかなくて。言えない想いがあってもいいと、葵は思うのだ。

 ゆらゆら揺れる世界の上に、二人は立っている。

「っていうかさ」
「ん?」

 不意に、本当に不意に思ったので、出水はせっかくだからと言ってみる事にした。葵は何を言われるのだろうかと首を傾げる。

「いつまで苗字呼びしてんの」
「出水くん?」
「そう、それ」

 せっかく縮まった距離を、もっと近づけたいと思うのは我儘だろうか。それくらいの我儘なら許可は要らないのではないか。

「公平くん」
「……」
「ん?」
「やっぱ出水のままでいいや」

 呼ばれてみると思ったより破壊力があって、出水はしまったと先ほどの自分の発言を恨んだ。しかし言ってしまったものはどうする事も出来ない。
 葵は何かを察したようで、新しい玩具を見つけたように目を輝かせる。そこに悪意が微塵もない所が、葵のやっかいな所だ。

「公平くーん」
「遊んでんなよ」
「公平くんも呼んでよ」

 自分ばかりでは不公平だと、葵はそう提案した。呼ばされる側になってわかった、こちらも相当勇気が要る。葵はこの感情を乗り越えて自分の名前を呼んだのかと、賞賛したい気分だ。ともかく、出水は小さく、その名前を呼んだ。

「……葵」
「はい……ふふ」

 それだけで満足したような葵に、もっと幸せになって貰いたくて。今度はしっかり、顔を上げて、目を見て。

「葵」
「なに? 公平くん」

 五月蠅い心音が、世界を止める。



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