13話 コーヒー
依存しないと生きていけないのだろうか。一人で生きていくのは難しい。葵には自分以外の誰かが必要だ。誰だってそうだろう。一生一人きりで生きていくなんて事、出来やしないと葵は思っている。そんなに強い人間は居ないと思うし、仮に居たとしてそれが強いに直結するとは思わない。強い、とは何なのか。葵には分からない。けれど、葵が今生きている事だけは確かだ。
「ごめんね出水くん」
君を感情のはけ口にしているよ。そこまでは言葉にならなかった。ただ思う、これで良いのかと。本当に、これが葵自身の生き方なのかと。思った所でどうにもなるものでもない。ただ、思う事までも否定される人生はごめんだ。それだけは思う。確かに、思う。
葵は一人暮らしをしている。両親は第一次大規模侵攻で亡くし、資金援助は親戚に頼っている。一人暮らしをしたいと言ったのは我儘だ。親戚は危ないからと自分たちの元へ葵を呼ぼうとしたが、当の本人の中に生まれ育った三門市を離れるという選択肢はなかった。
三門市を離れてしまったら両親との思い出が消えてしまう気がして、どうしても離れられずに居る。時が経てば、何とも思わなくなるだろうか。それは、葵にとってとても悲しい事で。
円満な家庭だった。優しい母と、優しい父。仲の良い夫婦、仲の良い家庭。いつまでも続いていくのだと思っていた。平和というのはこういう事だと思っていた。崩れる事は、ないのだろうと。けれど終わりは唐突に訪れた。意図せぬそれは、どこまでも無慈悲に葵の中の平和を崩していった。気付かないうちに家族を失って、気づいたら一人になっていた。
それでも懇意にしてくれる親族が居る辺り、葵は恵まれている環境に居ると思っている。被害者は多数、孤独になった者も居るだろう。それから比べれば、葵の不幸なんてありふれた話だ。同じような境遇の人間など山ほどある。
葵がそう思えるようになるまでそんなに時間はかからなかった。割り切る事は得意だ。悲しみに暮れている訳にもいかない。世界は葵の感情など何も関係なしに時間を進めていくのだ。情がないのかと問われればそれもまた違う。葵だって傷ついている。ただそれよりも、自分より不幸な人間の方が多いのだろうと思った。葵の思考回路はそういった方向に廻った。だから葵はいつでも笑っているし、好きに生きている。
きっとそれが、両親も望んだ生き方だと信じて。
「でもね出水くん、君と居る時は本当に楽しくて、私は本当に君の事が好きなんだ」
呟いた。誰にともなく。出水はきっと気づいていないこの感情。それは日に日に重くなっていって、こんな事では出水に嫌われてしまうのではないか。それはとても怖い事に思えた。
浴室で、排水溝に流れていくシャワーのお湯を眺める。何となく泣きそうになった。
出水とは、席が隣になるまでこれといって特筆すべき接点はなかった。が、葵は一方的に出水の事を知っていた。
ボーダーに所属する、凄い人。でも彼はそれを気取る事はなく、学校で見るその姿は至って普通の男子高校生だった。それが余計に葵の興味を引き立てる。
好き、と自覚したのはいつからだろう。葵本人にも分からなかった。ただ隣の席になって、たまにだけれど話すようになって。そうしたら、それまで遠くに感じていた出水が同じ立ち位置に居る事に気づいた。ボーダーだとかなんだとかそんな事関係なしに、出水が出水である事に気づいた。そして、惹かれていった。それまでボーダーの出水くん、という認識だったのが、出水公平という一人の人間だと変わって。そうしたら、好きになるのは簡単な事だった。
シャワーを終え浴槽に浸かる。一日の疲れが癒されていくような気持ちになった。大きく息を吐く。一日を振り返るには丁度良い時間だ。体の力が抜けていく。ごちゃごちゃと考えていた思考がリセットされる。
「……泣くのはおかしいよね」
何に泣きそうになっているのか。一向にその答えは出ないまま、涙が頬を伝う前に葵は顔を上げる。自分は強い、そう暗示をかける。自分がとても弱い人間だと分かっているから。暗示をかける事で、次の日も笑っている事が出来るだろうと、そう思っている。実際、そうやって問題なく生きていける。
「こんなんじゃ、本当出水くんに嫌われちゃうかな」
乾いた声が浴室に響いた。随分あっけらかんとしてる。まるで自分は全く関係ない事のような、どうでもいい人の事のような。それでも確かに、葵の事なのだ。心の何処かでは、きっと分かっている。ぼんやりとしたそれは、手を伸ばしたら消えてしまいそうな、そんな危なっかしい自我。
「明日は会えるかな」
天井に向かって手を伸ばした。ぽたりと、頬に雫が落ちる。まるで涙の代わりだと言わんばかりに。葵はそれを拭う事はしない。ぼんやりしていたら、またぽたりと雫が落ちてきた。あまり長く浸かっているとのぼせてしまう。葵は思考を一時停止させて、浴室から出る。パジャマに着替えて、そしたらもう今日する事は何もない。
冷蔵庫からミネラルウォーターを出してぐびりと飲んだ。冷たい水が体に沁み込む。
「会えるといいな」
当たり前な事を願ってしまうのは、やはり出水がボーダーであるからなのか。今日は早めに寝てしまおう、そう思った葵は早々にベッドに潜り込んだ。
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