episode8
〜その頃の大人たち〜side李土
「一翁は遅いな…」
エスプレッソを啜る。
20分ほど前、話の途中で急に席を外すと言って一翁は部屋を出て行ったきり戻ってこない。
それにしてもさすが一翁だ、僕たちの好みをよくわかっている。
僕にはエスプレッソ、悠にはウィンナコーヒー、そして樹里にはミルクティ。
テーブルの上は樹里の好きな花と焼き菓子で彩られている。
「そうですね、戻ってきませんね」
悠は素っ気なく言った。
「僕たちを招いておいて他に予定を入れるとは思えないし…。よっぽどの急用だったのか?」
「お兄様、そういう詮索をするのはやめましょう。生理現象は仕方ないですよ」
「腹痛か!下したのか!」
「だから止めましょうって」
そうは言いながらも悠、口元が笑っているではないか。
すると樹里がけろりと言った。
「あら、その手もあったわね」
悠と二人で首を傾げる。
「何がだい樹里?」
「ふふふ、私が盛ったの」
樹里は愛らしい笑みでバッグから小瓶を取り出した。
「下剤か!」
「違うわよ、李土ったら。でもそっちの方が面白かったわね」
「睡眠薬?」
「正解☆」
悠の言葉に樹里はぱっちりとウインクした。
「『吸血鬼にも効く!超強力ネムクナール』! 一翁の紅茶にこっそり入れておいたの。
あの長々しい話を聞くのは御免だもの。今頃どこかの部屋でぐっすりのはずよ」
「さすがだね、樹里」
「でしょう?」
その薬は不眠症に悩む吸血鬼のために一翁グループの傘下の製薬会社が開発したものではないか。
それをその総帥に盛るなんて、恐ろしい女だ…。
でもそんなお前が好きだぞ、樹里。
「そうとわかったらすぐにでも帰りたいところだけど、子供たちはまだ遊んでいる最中だね。今帰るのは可哀想かな」
「そうね、ここでしばらくゆっくりしていましょうか。一条家お抱えパティシエの腕は一流だしね」
そう言って樹里はマカロンを一つ摘まんだ。
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