王妃の日記 | ナノ


 ◇第四十九罪:赦し−6/9−
もう一度朽ちた城を見返した。
そして一歩だけ、変わらず佇む美しい湖に足を踏み出す。
かつて、私の世界そのものだった場所。

『優姫、零…、ここはね、むかし王城があった場所なの。吸血鬼たちの都、千年城。私はここで生まれ育った。あなたたちも『日記』の中で見たでしょう。すべてここから始まったの』

この場所に優姫と零がいることが不思議な感覚だった。
懐かしくて還りたくて、けれど辛くて哀しくて、ずっと来れなかった場所。
でも贖罪を果たして、日記を引き継いで、私がやり残してきたすべてが終わったら、ここに来ようと決めていた。
赦しを請うために。

『私……、私、ずっと人間に戻りたかった……!』

今まで言葉に出来なかった本心。
吸血鬼の頂点に立つ始祖である王妃が、人間になりたいだなんて、そんなこと誰にも言えなかった。

『ずっと辛くて、苦しかったの。吸血鬼になってからずっと…!あのままタナトスで死んでしまえたら良かったと何度も思ったわ。人間のまま枢と抱き合いながら死んだ方がよっぽど幸せだったって。どんなに種族が栄えても、始祖と崇められても、吸血鬼に変わってしまったあの日にお母様の遺体に牙を突き立てた罪が拭えなかった。私を慈しんでくれた城の人たちの血肉を啜ったこの身が汚らわしかった…!』

信じていた神に縋ることさえ冒涜になると思った。
神様はきっと私たちを赦してはくださらない。

『けれど自分を厭うことは同じ吸血鬼になった枢も、一族たちも厭うことだった。そうはしたくなかったの。
枢がいて、子供たちがいて、平和な時を過ごしたわ。大切な人たちと共に生きることが出来るのは何にも代えがたい喜びだった。罪の意識を抱えながらも、タナトスにかかったのは、吸血鬼になったのは私の運命だったのだと受け入れて、この幸せを抱きしめて、この永遠の命を全うしようと、そう思っていた。
……でもあの日突然、喪ってしまった!紛れもなく私のせいで…!私、気付かなかったの!あの子たちがずっと苦しんでいたこと、母親なのに気付けなかった!私のせいであの子たちは逝ってしまった…!』

喉から言葉を絞り出せば悲鳴のような声しか出てこなかった。
絶望的な喪失感と絶対的な罪悪感は、今でもはっきりと私の胸を占めている。

『あの子たちを喪って、私も一緒に死にたかった。消えるつもりで永い眠りを選んだのにそれも叶わなくて、目覚めてからも苦しくて、死んでしまいたいって、そればかり…。
そうしたら樹里が…、お母様が…、その命を以て人間にしてくれた。お母様は気付いてた。私が人間に戻りたがっていたことを……。
人間として過ごした十年間、枢がいて、優姫がいて、零がいて、楽しかったわ。辛い記憶をなくした代わりに病弱で、この身体は長くは持たないこともわかっていた。それでも良いとさえ思っていた。
……でもあの時、死に瀕した時に、私思ったのよ。「生きたい」って。吸血鬼になって、この永い生の中で初めて、心から生きたいと思ってしまったの。こんなにも優しいあなた達がいる世界で……、枢…、貴方の隣で生きたいと、願ってしまったの』

枢は泣き出しそうに顔を歪めた。
その冷たい手を両手でそっと包んで引き寄せる。

『記憶が戻ってからも、すべてを思い出してからも、辛かったけれど、貴方の隣にいられることがこの上もなく幸せだった。今まで当たり前のように貴方がそばにいてくれたことが、どれほど尊くて、どれほどかけがえのないことだったか、本当の意味でやっとわかったの…。
微笑み合って、触れ合って、語り合って、その一瞬一瞬が胸が震えるほど幸せで……。だからね、今この瞬間も私、幸せなの。――――枢、今までずっと終わりを望んできたけれど、貴方をたくさん悲しませてしまったけれど、もし赦されるのなら、赦してくれるのなら、貴方と共に生きてゆきたい…』

「白亜…っ」

苦しいほどに抱きしめられた。
やっと伝えられた私の心。
想いが溢れて涙が止まらない。

「赦すも赦さないもない…。君がいてくれるだけで僕は十分なんだよ。君が僕のすべてなんだから」

『枢…、でも、いいのかしら。あの子たち、私のことを恨んでないかしら…』

「彼らが君を恨むはずがないよ」

『いいのかしら、あの子たちはいないのに……』

私たちだけが生きて、幸せで…。
あの子たちはきっと苦しみながら逝ってしまったのに…。
せめて、せめてただもう一度……。

『会いたい…、もう一度だけでいいから会いたい…!……湖白っ……湖雪っ……』

湖に向かって名前を呼んだ。
返ってくるはずのない名前を。
すると突然、降る雪が湖に触れたところから白く淡く光り出した。
光は霧のように立ち込め、ゆっくりと形作っていく。
もう夢でしか逢うことのできない二人の姿に――――

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