◇第四十九罪:赦し−3/9−
城を囲む高い壁は風化してはいたものの、当時と同じ形を保っていた。私の城。私の家。
ここで生まれ、ここで育った。
私の人生のすべてが詰まった場所。
この城壁を見るだけで懐かしさと安堵感でいっぱいになる。
ああ、やっと帰って来れた。
けれど。
たまらずに小走りになって城門を抜ければ、無数の墓があった広場には何もなくなっていた。
お母様や百合姉様、タナトスに倒れ、私たちが牙を穿った愛しい方たちの墓は僅かな形もなく、ただ雑草が生い茂るばかり。
さらに辺りを見渡せば城壁が残っていたのは前面の一部だけだったことに気付く。
他の場所はところどころが崩れて、もはや壁と呼べるものではなくなっていた。
ああそして――いつの時も堂々と聳えていた城は。
堅牢な石壁は崩れ、荘厳な塔は跡形もなく、もろくも朽ち果てていた。
予想はしていたことだった。
私たちが眠りについてから永い永い年月が経っているのだから。
でも、ほんの少しだけ期待もしていた。
幾度もの戦も、死も、時も越えてきたこの城なら、昔のまま変わらずにここに在ってくれるのではないかと。
お父様と駆けまわった廊下、お母様がハープを弾いて下さったサロン。
百合姉様と遊んだ少女時代の部屋、たまに忍び込んでばあやに叱られた調理場。
歴代の王族の肖像画が飾られたお気に入りの回廊。
夜ごとに華やかな舞踏会が行われた大広間。
地下に秘めた私たちの研究室。
子供たちの声が絶えなかった居間。
枢とさまざまな瞬間を過ごした私たちの寝室。
すべての思い出が眼前に映し出されては零れるように消えていく。
千年城と謳われた城は、もはや見る影もない。
――――だけど、湖だけが。
城のそばに広がる湖だけがそのままだった。
灰色の空から静かに雪が舞い落ち、澄んだ空気が肌を刺す。
枢と出逢った日、あの子たちが生まれた日、世界が死に包まれた日、そしてあの子たちを喪った日――。
さまざまな記憶が駆け巡る。
幸福も絶望も、すべては白い雪の中。
涙は出なかった。
ただ、繋いだ枢の手をぎゅっと握りしめた。
『――私たち、ずいぶん遠くまで来てしまったのね』
雪化粧の施された木々に囲まれて真白く氷った湖は昔と変わらず美しいのに、傍らに在った城は見るも無残に朽ち果ててかつての名残すらない。
私たちは昔と同じ姿でここに立っているのに、あの頃を憶えている者は誰ひとりとしていない。
なんて、遠い。
幸福も絶望も、すべては遙か彼方の出来事のよう。
それなのに思い出だけが鮮やかに胸を締め付ける。
「白亜」
繋いだ手に力が込められた。
枢が何かを決意したような瞳で私を見つめた。
「ねえ白亜、もう終わりにしたいかい?」