王妃の日記 | ナノ


 ◇外伝U:湖は白く凍りつき−16/16−
葬儀で子供たちと悲しみを分かち合い、墓を作って時折語りかけ、季節が変わるたびに花を添えるうちに、彼女の言葉の意味が少しずつわかるようになってきた。
俺はアテナを上の息子に託すと、二度と戻ることはないと思っていた祖国への道を辿った。


数百年離れていても、王都はほとんど変わっていなかった。
俺しか知らない抜け道も以前のままで、誰にも気づかれずに王城に入ることが出来た。
荘厳なる千年城、そばに広がる美しい湖。
この畔の花畑は湖雪のお気に入りだった。
陽が沈む前の黄昏時、何度一緒に花を摘んだことか。
しかし、あの時色とりどりに咲いていた花も今はなく、冷え切った風が頬をかすめるばかり。
灰色の空を見上げれば、雪がひとひら降り落ちた。

「……もうそんな季節か」

懐かしいこの場所で溢れ返る記憶に、凍らせていた悲しみが溶けて込み上げてきそうだった。
そこかしこにあの香りが、声が、姿が残っていて、胸を苦しく締め付ける。

「――――っ、湖雪」

思わず呼んでしまった名前。
その刹那、俺はいとしい幻を見た。




「――――湖白」




「……そうか、ここにいたのか、湖雪」

やっとわかった。

この数百年間、俺が飢えなかったのは湖雪が俺の中にいたからだ。
唯一飢えを癒すことの出来る愛しい者の命の源をすべて取り込み、俺の本能が満たされていたからだ。
湖雪は命を捧げて俺の身体を守ってくれたのだ。
そして今やっと、俺は湖雪の心を受け取った。
呆れるほど愚かで、悲しくて、苦しくて、いとしい、想い。

「長いこと独りで、寂しかっただろう」

――あなたがずっと来てくれなかったら、寂しいなって思って――
今、彼女が遺してくれた言葉がいかに正しかったかがよく分かる。

「俺もそこに行くよ」

微笑みながら両手を広げる湖雪にゆっくり近付いた。
その身体を抱き締め、懐かしい香りを胸一杯に吸った。

「やっと逢えた…、湖雪」

その日、千年城の湖は一夜にして真っ白に凍りついた。

-END-
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