王妃の日記 | ナノ


 ◇外伝U:湖は白く凍りつき−5/16−
ドクン、と身体が震えるほど一鳴りして鼓動が戻ってきた。
止まった心臓が息を吹き返し、先ほどまでとはまるで別物のように強く早く脈を打つ。
それは感じたことのない"衝撃"だった。

こんなに美しいものがこの世界にあったのか――。

どれだけの間、俺は少女を見つめていたのだろう、はっと我に返って廻らない思考を叱咤し口を開いた。

「どうして貴女が俺の名前を…?……まさか、妹の湖雪…?いや、湖雪はタナトスに感染したはず。俺は両親と妹の墓詣でに来たんです。貴女……いや、あなたたちは……?」

俺は少女と、その後ろにいる彼女の仲間らしき人間たちをそれぞれ見た。
そこにいる全員が十代と見られる若者たち、中にはまだ幼い子供もいた。
すると突然、新たな影が少女の隣に立った。
黒橡色の髪に恐ろしい程に整った顔の、圧倒的な威圧感を放つ青年。
その眼差しに射られ、ゾクリと、背筋が粟立った。

「君は本当に湖白かい?」

青年は見せつけるように少女の肩を抱き、俺を睨みつけた。
その態度で理解した。
ああ、少女は彼のものなのだと。
――――それを知ったからと言って、先ほどの全身を貫く衝撃が消えるはずもなかったけれど。

『…枢!私がこの子の顔を見間違えるはずがないわ!それにこの髪!貴方だってわかるでしょう?この子は湖白よ!』

「でも白亜、万が一ということもある。……君が湖白なら、懐刀を持っているかい?」

二人が何の話をしているのか付いていけなかった。
しかし青年の言葉に俺は驚いた。
何故彼があの短剣のことを知っているのか。
それに、彼らが互いを呼び合う名前にはあまりに聞き覚えがあり過ぎる。

「昔、城を出る時に母が持たせてくれたという懐刀ならこれだが……。それよりあなたたちは一体……?枢と白亜というのは父母の名前だ」

まさかという疑念が頭を過る。
そんなはずはない。
両親が生きているはずがない。
十六年も前にタナトスによって死んだんだ。
彼らはどう見たって俺と変わらないくらいの年じゃないか。
短剣を懐に戻すと、少女が涙をぽろぽろと流しながら抱き付いてきた。

『……っ、湖白…!湖白っ…!…生きてるなんて……思っても……なかった……』

「あ、あの……」

こんな事態なのに思わず赤面した。
そんな自分が恥ずかしく、さらに顔に熱が集まる。
やわらかな身体からは甘い花のような香りがした。

「白亜、湖白が困惑しているよ。……説明しないと」

『……そうね、……そうだわ。ごめんなさい』

「ここじゃなんだから、奥の部屋にでも…」

未だ厳しい顔つきで俺を見る青年に促され、彼らは五歳くらいの小さな女の子を連れて俺を城の奥へと案内した。
女の子は俺と同じ銀の髪をしていた。

暗い廊下をしばらく進むと、青年はとある絵の前で足を止めた。
そして彼らが俺の両親で小さな女の子が俺の双子の妹であると告げた。
それはとても信じられるものではない事実。
しかし蝋燭の灯りに照らされた絵を見て、俺は愕然とする。
ちょうど十六年前に描かれたそれは、今となんら変わらない青年と少女、そして幼い俺と妹の、家族四人の肖像画だったのだ。

「………父上…?……母……上……?」

戸惑いながら、俺は呟いた。
すると少女――いや、母上が、再び俺を強く抱きしめた。

『……湖白……っ!』

死んだと思っていた家族が生きていた。
俺はこの世界で独りだと思っていたのに。
けれど……。

『……おかえりなさい……』

涙を流して微笑むこの美しい少女が
生まれて初めて恋をした女性が
俺の、母親だったなんて―――。

嬉しさと幸せ、そして戸惑いと絶望に彩られた感情に、ただ困惑するばかりだった。

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