王妃の日記 | ナノ


 ◇外伝U:湖は白く凍りつき−3/16−
十二の春、剣術や武術を教えてくれた騎士の一人が亡くなった。
そして十七の夏、俺を育ててくれた乳母も病によって帰らぬ人となった。
残る家臣はただ一人。その騎士も老いには逆らえず、床に臥すことが多くなった。

「湖白様、国へ参りましょう」

厳しい夏の終わりのある日、病人とは思えないほどのしっかりとした眼差しで騎士は言った。

「何を言うんだ、じい。そんな体で……」

「老い先短い我が身ゆえ申し上げるのです。この体が動くうちにあなたを祖国へお連れせねば」

それならばせめて病がもう少し良くなってから、と俺が言っても老騎士は頑なに聞こうとはせず、思い立ったが吉日とばかりに早速荷造りをし始めた。
こうなっては何を言っても聞かないことを、彼と長年過ごしてきた経験上分かっていた俺は、苦笑交じりに説得を諦めた。
いつかと胸に秘めてきた宿願が、こんなにも突然に叶うことになろうとは。
ついに故国復興の道を踏み出すのだと決意を新たにする。
そして翌朝、旅支度を整え俺たちは長年暮らした森小屋を後にした。


東へ、東へ。
十六年前に通った道を逆戻りする。
もう憶えているはずもない、祖国への道。

「じい、体は平気か」

「何のこれしき。あの頃のタナトスに追われる恐怖に比べたら何と言うこともありませんぞ」

旅路での老騎士は病気とは思えぬほどに溌剌としていた。
久しぶりに見せるその闊達とした姿に俺は安心し、やっと踏むことが出来る祖国の大地へと想いを馳せた。
でも、もっと早く気付くべきだったのだ。
険しい山道が老体にとってどんなに過酷なものなのか、忍びよる秋の気配が、朝夕の冷気が、病身にどれほど堪えるか。

色づき始めた木の葉の間を掻いくぐり、山の頂上へと行き着いた途端に視界が開けた。
眼下に広がる平原。そこに生い茂る緑と、これまで目にしたことがないほど数多の建物の間に聳える堅牢な城壁。
その中に、遠目にもはっきりとわかる荘厳な王城と幾度も話に聞いた美しい湖が見えた。

「じい!見えたぞ!王都だ!城だ!」

感激のあまりしばしその光景に見入っていた俺は、後ろにいるはずの老騎士に呼びかけた。
しかし振り向いたその先にあったのは、――――鮮やかな落ち葉の絨毯の上に倒れた老人の身体だった。

「じい!」

駆け寄って抱き起こすと、老騎士は皺だらけの手を遠くの城に向けて伸ばした。

「ああ、懐かしの我が祖国……。陛下、王妃様……、王子を…お連れ申し上げ…まし…た……」

老騎士は涙混じりの声で呟き、穏やかな表情で静かに息を引き取った。

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