王妃の日記 | ナノ


 ◇外伝U:湖は白く凍りつき−2/16−
「良いですか、湖白様。あなた様は玖蘭の王子。タナトスに滅ぼされた王家の唯一の生き残り。立派な殿方になって、いつかきっと王国を再興するのです」

毎日のように聞かされたその言葉は、乳母の口癖だった。

西の国のさらに西、深い森の奥の小さな家で、俺は乳母と二人の老騎士に育てられた。
俺は乳母の言う"立派な殿方"になるため、物心がついた頃から二人の騎士に学問と武術を叩き込まれた。
三人はとても優しくそして時に厳しく、俺を慈しみ育ててくれた。
けれど常に俺を王子として扱い、決して臣下としての分を越えるような真似はしなかった。

幼い頃に一度だけ、乳母を「母さん」と呼んだことがある。
一度でいいから誰かを母と呼んでみたかったのだ。
しかし乳母はひどく悲しげな顔で、けれども厳しく俺に言い聞かせた。

「なりません、湖白様。ばあやはただの乳母でございます。湖白様のお母上様は王妃様である白亜様お一人。二度とばあやをそのように呼んではなりません」

「……でも、お母さまはもういないじゃないか。お父さまだって、妹だって、みんなタナトスにかかってしまったんだ。国も家族も、僕にはもうないじゃないか!」

泣きながらそう言うと、乳母は俺をそっと抱き締めた。

「お母上様は身を引き裂かれる思いで湖白様をお手放しになったのですよ。ばあやはそれを存じております。湖白様に生きて頂きたいから、こうして私たちに湖白様を託して国から逃がされたのです」

「でも、でも……、僕は、ひとりだ」

「決してそんなことはありません。これ、この短剣を御覧なさいませ。お城を離れる時、国王陛下と王妃様が湖白様にお持たせになった懐刀でございます。銘はアテナ。知恵と戦いの女神の御名です。湖白様の身分の証になるように、そして何より女神のご加護が湖白様を守り導いてくださるようにと。これはお父上様とお母上様のお心そのものです」

乳母から手渡されたのは、この質素な小屋には似つかわしくない細やかな装飾が施された見事な短剣だった。
そこには蘭の花をモチーフにした王家の紋章が刻まれている。
俺は涙を拭って、それをしっかりと胸に抱いた。

この時、俺は誓った。
この短剣に恥じない知恵と武芸を身につけ、いつの日か必ず祖国に帰ることを。

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