◇外伝T:湖に雪は舞い散って−9/12−
しかしその時、湖白は急にお母様から視線を上げた。その顔からはみるみるうちに血の気が引いていく。
一体何があったのだろうと、湖白の視線の先の窓の外、私が先ほどまでいた中庭に目を向けた。
「………っ」
思わず目を見開いた。
そこには恐ろしい形相のお父様がいた。
空気が揺れるほどの怒気を孕んだその瞳は、真っ直ぐに湖白に向けられている。
怒りに任せて叫ぶ訳でも、殴り込んでくる訳でもなく。けれどもその静けさがかえって恐ろしかった。
傍目で見ている私でさえ背筋が凍りつく程の威圧感。そして、震えるほどの共鳴。
――初めてお父様に似ていると思った。
『……湖白?』
「……いえ、何でもありません」
お母様が気遣わしげに湖白を覗き込む。
湖白はひどく青褪めていた。
当然だろう、お父様のあの眼差しを真正面から受けたのだから。
『でも何でもないって顔色じゃないわ。真っ青よ…。湖雪から聞いたの、最近体調がすぐれないって…』
「大丈夫ですよ。すみません、せっかくの舞踏会を抜け出させてしまって」
『本当に?何か言いたいことがあったんじゃ…』
「いえ、何でもないんです。…湖雪が待ってるから行かないと」
湖白はそう早口に言うと、即座にホールへ戻って行った。
私はここにいるのに。
私はここにいるのに。
お父様は廊下に上がると、残されたお母様の背後から近寄った。
「白亜」
『枢…』
「どうしたの?こんな場所で」
何食わぬ調子で、何も知らない風に、お父様はお母様に微笑みかけていた。
でもその心中が私には手に取るように分かる。
その胸の内に燃え盛る焔はきっと私と同じだから。
正面の窓ガラスにちらりと映った私の顔は、先ほどのお父様の表情にそっくりだった。
姿や顔貌こそお母様と瓜二つの私だけれど、この荒れ狂う嫉妬心と底知れない独占欲はお父様譲りだったのね。
嗚呼お父様、信頼していますわ。
貴方がお母様を手放すことは決してないと。
私が消えてしまっても、湖白の想いが遂げられることはないと。
だったら私は終わらせられる。
狂気にも似た嫉妬にじわじわと焼き尽くされたこの千年。
終焉の決心によって私の心は初めて凪いだ。
やっと、楽に息が出来る気がした。