王妃の日記 | ナノ


 ◇外伝T:湖に雪は舞い散って−5/12−
湖白と恋人同士になったことを、お父様とお母様は手放しで喜んでくれた。
一緒に育ってきた従姉の風音ちゃんや茉朝姉さまは、私の気持ちをずっと知っていたから「本当に良かった」と涙ぐんで抱きしめてくれた。
他の一族も、家臣も、貴族たちも、第一王子と第一王女が結ばれたことを、これで王家も安泰だと祝福してくれた。
心から喜んでいないのは、たぶん湖白だけ……。
周りに向けるその微笑みが心からの笑顔ではないことを、私がいちばんよくわかっていた。

同情でもよかった。
罪悪感からでもよかった。
湖白の隣にいられるだけでよかった。
湖白の瞳が私を見てくれるのなら、それだけで。
湖白も私を利用すればいい。
行き場のないその想いを、お母様に似た私にぶつければいい。

そう覚悟して始めた関係だったのに、湖白の血を飲むとやっぱりお母様を想う味がして、辛くて悲しくて心が凍った。
欲しくて欲しくてたまらない。
だけど飲めば心が凍って壊れてしまう。
次第に私からはあまり血を求めないようになった。

けれど、そんな血の味なんて嘘のように
湖白の瞳は、声は、手は、どこまでも優しく私を見つめ、呼び、触れた。
だからいつまで経っても期待を捨てきれない、私は、愚かだ。


―――――――
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『まあこれを私に?』

「今日は僕たちの結婚記念日だからね」

『素敵な真珠のティアラ。ネックレスまであるの?ありがとう枢』

「君の気に入りの宝石商であつらえさせたんだ。つけてあげる。……うん、思った通りよく似合うよ」

何百年経っても春の最も美しいこの日を祝うお父様とお母様。
お父様の限りない愛に包まれて幸せそうに微笑むお母様。
どうしたら永遠に近しい間、こんなにも変わることなく愛して愛されるんだろう…。

「湖雪も何か欲しいのか」

ぼんやりとその様子を眺めていると湖白が訪ねてきた。
羨ましそうに見ていたのは、贈り物じゃないのだけれど。

「そうじゃないの、いや、ちょっと羨ましいなぁって思ったけれど、何か欲しいとかじゃなくて……」

「すまない、俺は父上のように愛情表現が得意じゃないから……」

気まずいのか照れているのか、首元を掻いて視線を逸らす湖白。
その耳はほんのりと赤い。
その仕草が表情が、愛おしくて可愛くて、
お父様みたいに息をするように甘い言葉を吐く湖白を想像したら、全然似合わなくてちょっと笑ってしまった。

「くすくす、いいのよ。湖白は湖白のままでいて」

「それじゃあ、百の言葉の代わりにこれを渡そう」

湖白はそう言うと、いつも身に着けている短剣を差し出した。

「これ…、湖白がずっと大事にしている物じゃない」

古い、けれども精巧な作りの見事な短剣を湖白が丁寧に手入れするのを何度も見てきた。
その柄には玖蘭の紋章が刻まれていた。

「<戦いの女神アテナ>という。本当の意味で俺の物といえるのは、これくらいしかないから」

「……ありがとう、嬉しい」

湖白が私に自分の物をくれたのは初めてだった。
嬉しくて嬉しくて、ぎゅっと胸に抱きしめた。
百どころか、千の言葉よりも万の言葉よりも価値があった。

「母上が昔、城から離れる時に持たせてくれた物らしい」

胸を彩る喜びは、たった一つの言葉で無残にも散った。
そうやってまた、あなたは私の心を凍らせる。

やっぱりお母様。
いつだってお母様。
私はお母様にはかなわない。

胸に抱いた短剣は、ずしりと冷たくその存在を主張した。

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