good-bye again
少女は、美しかった。幼いながらも自分の魅力を十分に理解し、どう振る舞えば自分が美しく、魅力的に見えるかを知っていた。身に纏う真っ赤なドレスは少女の美しさを見事に引き立てていた。 ワインが染み込んだかのような赤は深紅と呼ぶに相応しく、一点の曇りもない。 生地の表面の光沢は少女の艶やかさを生む。他の色が入り込む隙間なんてない、赤一色で作られたドレス。それは見事なドレスだったが、少女が着ることによって少女自身も美しく見え、ドレスもまた美しく見えるのだった。 しかし、買い手はなかなか付かなかった。というのも少女は、とある店の看板商品として売りに出されているからだ。少女がいる店は周辺一体を取り仕切り、国有数の店でもあった。美しく見えるようなドレスを着ていた…というより着させられていたのはそのためだ。どうすれば店が良く見えるか、そのために少女が商品として店頭にいた。 今までに少女を買おうとする者もいたが、全て経済的理由により断念していた。 看板商品なだけあって高いのだ。
「友達は今日も誰かに売られて、ここからいなくなって。いつかは私も一人ぼっ ちになっちゃうのかなぁ……」
少女は檻越しに見える空に手を伸ばす。出れないなんて分かっているけれど手を伸ばさずにはいられない程、澄んだ空だった。 少女と同じ頃にこの店に来た同僚のほとんどはもうこの店にはいない。沢山いた友達も、いつの間にか数える程になった。
「淋しいなぁ……売られた友達がうらましい。もうこんなところは嫌」
売られた仲間は狭い檻から出られている。少女には、それが羨ましくて堪らないのだ。勿論売られた仲間がどうなっているのか、なんて少女には知る由もない。 ただ檻の外に出られると言うその事実が少女にとっては羨ましいことなのだ。
「買い手も付かないでもうずっとこの店にいる……私ずっとこのままなのかなぁ 」
檻から出られないでここで朽ちるのが運命なのかも知れない、と少女は感じてさえいた。一人で、淋しく、消えていくのだ。自分なんて存在は始めから無かったもののように扱われ、いつかは忘れられる。せめて檻の外に、と力一杯手を伸ばす。届かない空に少しでも近づこうとして。 肩いっぱいまで檻の外に腕を出して、そして出られないと諦めるのだ。 毎日こうして空に近づこうとして、毎日諦める。何度繰り返すんだろう。これからも何度やり続けるんだろう。虚しくても、自分はどうすることも出来ない。有名な店の看板商品だからといっても、自分では何一つ出来ない。それが悔しくて悔しくて堪らない。
少女が決して届きはしない空を見上げていた時だった。
「君、凄く綺麗だね」
檻の外から不意にかかる声。始め、少女は誰に向かって掛けられた声なのか分からなかった。
「お嬢さん、真っ赤なドレスを来た君のことだよ」 「赤いドレスって……私のこと……?」
少女に声をかけた青年はしゃがみ込んで少女と目線を合わせてふわっと微笑んだ。
「改めて目を見て思ったけど君、本当に綺麗。ルビーの瞳をしてるんだね」
青年と目があった少女は驚いた。ルビーみたいな瞳をしているなんて今まで一度も言われたことがなかったから。優しそうに少女のことを見るから。 少女は青年に惹かれた。目を放せないでいたのだ。今まで青年のような容姿の人には沢山あったけれど、青年はどこか違うような気がした。優しそうな眼、纏う雰囲気、色素の抜けた色の髪、どこ一つとってみても少女には青年が違う存在に思えた。その時、自分を檻から出してくれる青年が神のようにも見えたのだ。 しかし胸の中に沸き起こる感情は、憧れにも似た恋。青年を見るだけで砂糖を沢山食べた時のように喉の奥が焼けるような甘ったるいものが残り、胸は何かに締め付けられているように痛む。その甘さは逆に苦く感じる程。少女にとってこんなことは始めてで、少女は生まれた。青年の手によって第二の生を受けたのだ。
「決めた、買うのは君にするよ」
青年にとって少女との出会いは偶然であったが、少女にとっては青年との出会いは必然だった。青年と出会うために自分は生まれてきたとさえ思っていた。
「ほら、おいで」 「……はい、」
眩しい程の顔で笑う青年を見る度にずきんと胸が痛む。青年に近付きたい。でも無理。青年は神様なのだから。 青年に引かれて出た檻の外は、文字通り新しい世界だった。見るもの全てが知らないもので構成されていた。 常に青年は少女を側に置き、壊れ物のように丁寧に丁寧に少女を扱った。実際青年にとって少女は道具だ。沢山あるもののうちの一つに過ぎなかったから。
ある日、少女は転んで膝を擦りむいた。いつものように青年は少女の手を引いて外に出だ。しかし、青年は強く引きすぎて少女の足がもつれてしまったことに気がつかない。そして少女は固い地面に身体を打ち付けてしまったのだ。 美しい身体に醜い傷が一つ。傷が深すぎたのか血さえ出ず、傷口からは白い物が見えてしまう程だった。
「い、いたっ……」
少女が声を上げて、青年は後ろを振り返った。
「……!大丈夫……な訳がないよね」
少女はその場に座り込む。歩けなそうだと判断した青年は、膝裏と首の辺りに手を沿えて少女を持ち上げた。その扱いはまるでお姫様のようで。少女は傷が痛むにも関わらず、嬉しかった。青年が自分を気にかけて扱ってくれるし、目が優しい。青年は今自分ののことだけを見ていてくれている。その事実がどうしようもなく少女を喜ばせる。そして自分はこの青年が好きなのだと感じるのだ。
家に帰るなりかしゃん、と少女の身体に鎖が付けられる。小ぶりの鎖ではあったが、それでも鎖には違いなかった。
「鎖……どうして……?」 「君が美しくないからだよ」 「で、でも、それはマスターが私の手を強く引いて」 「結果的に身体に傷を作ってしまった。これでは美しくないだろう。でも鎖を付けた君は美しい。綺麗だ」 「……ごめんなさい、マスター」
青年は鎖を付けた少女を愛おしそうに眺める。嬉しそうな顔をしている青年に、少女は何も言えなかった。ただ、自分が鎖を付ければ、青年は喜んでくれる。青年が幸せであれば自分もまた幸せなのだ。
あれから数年。傷を作る度に、少女を拘束する鎖より大きく、より頑丈になっていった。青年が少女にそう命じたのだ。中には鎖と擦れることによって付く傷もあった。 身体にじゃらじゃらと纏わり付く鎖を見ては、青年は嬉しそうにする。青年は歪んでいるのかもしれない。しかしそんなところも青年の一部であり、青年に恋する少女はどうしたって嫌になることは出来なかった。 青年と出会ってから、美しさは今でも健在ではあったが、やはり寄る年波には勝てない。真っ赤なドレスは少しずつ汚れてくすみ、少女の身体も傷だらけ。しかし、そんな状態の少女を青年は暖かい目で見ていた。少女はこれからも青年の傍にい続けるのだ、と幸せを感じていた頃だった。
少し買い物に行くかと外に出た青年が帰ってきたとき、傍らには黒いドレスを着た幼い少女がいた。
「今日から一緒に暮らすことになるから」 「……どうして?」
気がつけば少女は呟いていた。青年が分からなかった。混乱していた。勿論私ごときが青年の考えを推し量るなんて、と少女は考えていたが、それにしても青年が分からなかった。ずっと一緒にいるから、少しは分かっているつもりだったのに。少しは分かっていてもらえていると思っていたのに。 横にいる黒いドレスの少女は青年を少し警戒しながらも、ずっと見ていた。 その視線はまるで、ここに来たときの、私と同じで。黒ドレスの少女の気持ちも分かるような気がした。黒ドレスの少女も私と同じように青年のことが、好き。 青年は少女だけを見ていた訳ではなかったのだ。 悔しい。狡い。淋しい。妬ましい。憎らしい。 少女の中に色々な感情が沸き上がって、どうしていいのか分からない。ただひとつ、分かることは
「……私はもう必要ない……」
ということだった。 少女は青年のことが信じられなかった。けれど、どんなに酷いことをされても青年のことが嫌いになんてなれる訳がなかった。なぜなら少女は、青年のことが好きだから。 青年が、少女を不必要だと言うなら仕方ない。青年の望みが少女の望みなのだから。
*
「どうだ?新しい携帯の使い心地は?」 「やっぱり最新の機種なだけあって使いやすいよ。機能も多いし、まだストラップはなにも付けてないからね」 「だな。お前の前の真っ赤な奴はやたらストラップじゃらじゃら付けてたからな」 「や、最初は何も付けてなかったよ。不注意で傷付けちゃってからはがんがん付けるようになったし」 「俺も新しいのに変えようか迷ってるんだよなー」
使ってる会社、確かもう少しで新しい機種出すんだよな?と青年は友人に問い掛ける。
「そうなんだよー」 「というか今の携帯、使って二年くらいたつだろ?そろそろ変え時なんじゃないか?」 「やっぱそう思うよな。そういや今日暇?」 「暇だけど」 「携帯ショップ見に行きたいんだよ」 「あぁ、いいよ。行こう」
青年は真っ黒な真新しい携帯電話を持って立ち上がった。
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