レイン=リンドバーグと名乗る彼との話 レインと誰か


※架空のキャラが出てきます

 今日は、不思議なお客様がいらした。
 店先でただ私たちの仕事をなめ回すように見るものだから、この方はこの会社の本社に勤めておられて、従業員の仕事ぶりを抜き打ちで見にきているのだと思った。


レイン=リンドバーグと名乗る彼との話


 一週間ほど前から酷い雨が降り続いていた。今日も驚くほどの雨で、嵐になるのではないかと思うのも無理もない。バケツをひっくり返したなんて表現がしっくりくる。
 こうも視界が悪いと事故がおきやすいらしい。かくいう私も、この職場に来るまでに渋滞に引っ掛かった。結果、仕方ないとは言え若干の遅刻をしたのである。
 そんなこともあり、店の外で店員の仕事を見る金髪の彼にはヒヤリとした。どうしようもなかったとはいえ、罪悪感がないわけではなかったから。
 しばらくすると、彼は店内に入ってきた。
「ここ、どんな色にでも髪染められますよねー?」
「はい、」
 どうにも変わったことを聞いてくるなと思ったが、それよりもお客様、と思わず差し出したのはバスタオルで。洋服から水が滴ってる。衣服がまとわりつくのが不快だろう。せめてこれを、と差し出したのだが、彼はそうは思わなかったらしい。
「あ、床びしょびしょですねー」
 すみませんねーと、やけに間延びした口調で答えた。ばさばさと音をたてるほど激しく衣服の上から水分をとろうとしていた。口調と行動が噛み合わない人だ。
 確かこの時間に予約は入っていなかったので、おそらく店の看板を見てふらりと入って来られたのだろう。ポイントカードをお作りしますと言ったが、結構ですと断られた。
 断られてしまった、と残念そうにしたのが顔にでてしまったらしい。きょとんとした顔をして、それからちょっと眉尻を下げて。
「あー、じゃあせっかくならお願いします」
 彼は優しい人だ。

 そして彼はレイン=リンドバーグと名乗った。雨の降る日に出会ったのが印象的だった。だからこそ今もこうして覚えているのだろうけれど。
 考えてみれば、もしこのレインと名乗る青年がお偉いさんで仕事ぶりをチェックしているのであれば、こんな豪雨で、傘を指さずに店先に立っているはずがない。そのことに早く気がつくべきだった。少し安心する。
「どの色に致しますか?」
 数冊の雑誌を重ねて彼に見せる。雑誌の中では様々な色やカットをした女性が、我こそが一番だと自分を誇るように紙面を飾っている。
 そのなかでも使用頻度が高い一冊の、そのまた使用頻度の高い、しっかりと跡のついたページ――黒に近い茶色や明るめの茶色ばかりが載っているところを示した。
「こちらの辺りが人気色になりますがいかが致しますか」
 人気色、ということはミーハー的要素もあるけれど、と心の中で付け加える。
「君は、」
「はい?」
「何色が目立つ色だと思いますか。どんな人混みの中にいても、一瞬で自分だと見分けてくれそうな色は何色だと思いますか」
 はてなんのことやらとは思ったが、とりあえずショッキングピンクなどでしょうかと答える。レインと名乗った彼はその答えに満足したようにじゃあそれでと言った。意味が分からず、聞き返してしまう。
「……じゃあそれで?」
「だから君が目立つと思う色、ショッキングピンクなんでしょう。その色に染めて下さいって言ったんですよー。この国の店の良いところは客のどんなニーズにも答えることでしょう。そんな無理難題を吹っ掛けてる訳じゃないんだから頼みますよー」
「あ、はい」
 勢いにおされて頷いたが、恐らくとん でもないことを言われた。多分普通じゃありえない。それでも、どんな客のニーズにも答えるんだろうという言葉が引っ掛かって何も言えない。
 ピンク系統、しかもサーモンピンクなんてもんじゃないしっかりと色の入ったピンクが載っているページなんてそうそう開かないものだから探し当てるのに時間がかかる。
「ピンク系統ならこちらのページになります」
「じゃーその中でも一番目立つ奴だと……これ、ですかねー」
 これも私にどれがいいですかねーなんて言われたらどうしようかと思っていたが、幸いそれはなかったようだ。けれど、指したのは目に痛いほどのピンクで。思わずもう一度確認する。
「本当に、こちらの色で構いませんか?」
「はいー。できればちゃっちゃとお願いしますねー。そんなに時間がないものでして」
「はい」
 綺麗で癖のない髪なのに。染めてしまうのはもったいないと思わずにはいられない。
「あーそれと、左側だけ染めてくれますー? 右側はこのままで」
「かしこまりました」
 相当奇抜になりますけどいいんですかという言葉を飲み込んだ。彼になら、もうどんな注文をされても驚かない。



 仲の良い妹がいて、毎日それなりに楽しくて、最近のお気に入りのアイスのフレーバーはチョコチップ。二週間前はキャラメルリボンでその前はバニラ。男性に対しては失礼だろうが、こんなに細いのに、それでも一ガロンのアイスをペロリと食べてしまうほどの大飯ぐらい。そして研究は煮詰まっている。息抜きでここに来た、というのが彼から聞き出したことだった。
 そしてもうすぐ終わるというときに彼との会話が少し名残惜しくなって、そういえば、と聞いてみた。
「さっき色を決めるときに言っていたんですけど、あなたは誰かに見つけて欲しいんですか?」
 なんの気なしに問いかけた質問は、彼の何かに触れたようだ。多分、私なんかが触れてはいけないところのものに。
「そうだとしたら、どうします?」
 彼は私を試すかのようににやりと笑って問いかける。
 私は息を飲んだ。
 誰なんだろう、この人は彼の纏う雰囲気が? それとも口調? 何も変わっていないはずなのに、まるで別人のような気がしてならない。
 私の発する言葉から。視線から。温度から。何かを探すようにじっと見つめていた。見つめていた、なんて生易しいもんじゃない。探っているのだ。何かを見極めようと、その瞳を凝らして、全てを暴いてやろうしている。少し、怖い。
「どうって言われても……。多分どうもしません」
「そうですか」
 探っても望むものが見いだせなかったのか、諦めて彼はポツリと言った。よかった、一瞬前の彼と違って瞳に温度がある。決して暖かくはないけれど、でも冷たくもないことに安堵する。
「僕が見つけて欲しいのはね、神様なんですよ」
「神様、ですか……?」
「そーですよー。君は神様、いると思います?」
「どうでしょうか。そんなに考えたことがないから分からないんですけど……。でもいない気もします」
「じゃあ君は無神論者ですね」
「そういうあなたはどうなんですか」
 なんとなくだが、彼も私と同じく無神論者のような気がした。
「僕ですかー?そうですねー、いるといいなって思います。まぁあくまで願望系なんでいるかどうかは知りませんけど。それでももしいるなら、世界は広いからこれくらい奇天烈な格好してないと、気がついてくれなそうでしょう?」
 何が面白いのか分からなかったけれど、彼はくすりと笑った。突拍子もないことを言っているのは、考えなくても分かる。けれど、彼が冗談を言っているようには見えないのがどうにも恐ろしくて。背筋がゾクリと震えた。
「だから目立ちたいんです。これはそのための準備なんですー。神様に見つけて貰って。それで。そうしたら、僕は、」
 神様に、なれますかね。
 彼は無邪気に笑っていた。本当にできるものだと何も疑わずに。何が彼をこうさせてしまったのか分からないけれど、どうしようもなく歪んでしまっているのだと、そう思った。
「髪、そろそろ大丈夫ですかねー」
「あ、はい」
「結構時間がきつくてですねー」
 洗い流せば、色が綺麗に定着して鮮やかなピンクをしていた。まだ水分をたっぷり含んでいるから濃いけれど、乾いたらもう少し薄くなるだろう。
 ああ、きちんと染まってしまっていた。



「それじゃ、ありがとうございましたー」
「またのご来店をお待ちしております」
「また、ですね」
 愉快そうに金とピンクを揺らして彼は交差点を曲がり、私の視界から消えた。
 お互いまた、とは言ったけれど、きっと彼と会うことはもうないだろう。多分彼もそう思っているに違いない。
 彼と出会ったのは世界が崩壊する数年前だった。





120911



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -