磁石のように引き合って 黒桃、黒+青
すみません、と言う鼓膜を揺さぶる優しい声と左半身がぶつかった衝撃で、そこに人がいたことに気がついた。友達とお喋りをしながら歩いていたとはいえ前からきた人にぶつかるなんてこと、そうそう無いと思っていたのに。 「あっ」 思ったより強くぶつかってしまっていたようで、肩にかけていたバッグが落ち、しりもちをつく、そう思った瞬間、世界がコマ送りになった。 視界の端で、名を冠した桃色の髪が揺らぐのが見えた。 コマ送りの世界で空を仰ぐようにして名前も知らぬ彼を見れば、彩度の高い髪が目につく。 空と同化するような澄んだ色。 凄く、綺麗。だけど逆光で顔は見えないことが印象的。 落ちる、落ちる――。 数秒間に訪れるであろう痛みに備えて身体を固くしたが、いつまでたってもそれは来ない。 そして左手首を支点にして流れる世界が止まった。そして一瞬、瞳が見える。髪より色素の濃いその色がきらりと光ったような、気がした。 「大丈夫ですか」 「……、うん」 同世代の男子より落ち着いた雰囲気を纏い、――というより、不思議な雰囲気を纏う人だ。仕草は紳士的なのに、瞳からは強い意思が感じられる。 彼に掴まれた左手首が妙に熱い。彼に触れられたところからじわじわと熱が伝わってしまいそう。 その感覚がなんだかもどかしくて、思わず腕を引いてしまった。もったいないこと、してしまったかも。 「バッグ、落ちちゃったみたいですね」 「え、あ。ほんとだ」 ふと地面を見れば、ベタな展開だけれどバッグから教科書が飛び出て散らばっていた。慌ててバッグを拾う。だって、中には教科書以外にも、人にあまり見られたくないものとか、色々。女の子のバッグには兎に角色々入っているのだ。 はい、と差し出された教科書の束を受け取りどうにか収まりよくしまい、しまい終わってから誰にこれらを渡されたのか気がついた。 「あ、ありがとう」 それからこれも、と彼は最後に一番上にもう一冊乗せた。てっきり教科書だと思っていたそれは、バスケの本。 あ、とひったくるように彼の手から本を奪う。 「……見た?」 「はい」 「……見られたくなかったのに」 「すみません」 彼はなんと聞くのか迷ったように眉をしかめたが、結局良い言葉が見つからなかったようで、バスケの本でしたね、と一言言った。 「嫌いなんですか、バスケ」 「別にそういう訳じゃないけど。なんとなく、人には見せたくなくって」 別に彼以外にだったら知られても良かった。 だって、ちょっと気になってる人に、バスケ部のマネージャーって言うのはどうなの。マネージャーって言ったって、そんなに女の子っぽい役職な訳じゃない。響きは良いけれど、やってることは案外力仕事が多いし、当然のことながら雑用も多い。茶道とか、そんなことは言わないけれど、もうちょっと女の子っぽい部活に入ってますって、言いたい。 勿論、嘘を言う訳にもいかないけれど。 「でもボク、凄く好きなんです。強くないけど、単純にボールに触れて、試合をするのが楽しいんです。ほんとに楽しいんです」 そう言う彼がバスケのことを語る目は輝いていて、生き生きとしている。本気でバスケが好きなんだろいうことが出会ってすぐだけど伝わってくる。 私はバスケに関したことになるとこれと同じような目をする人をもう一人、知っている。 話しているときの熱の入り方とか、似ているので思わず笑ってしまうと、どうしたんだろうと彼は怪訝な顔をしたので、後に続けた。 「私の幼馴染もバスケしてるんだけどね、その人もバスケがすっごい好きなの。寝ることより、食べることよりバスケしてることが好きなの。さっきのあなたがバスケのことを語ってるときの目がその人にあんまりにも似てたから、ちょっとおかしくて」 「それくらい、バスケすることが好きな人がいるんですね」 「うん、そうなの。いつか幼馴染に会わせてみたいなーって」 「ボクもその人が気になります」 是非一度一緒にバスケしてみたいです、と笑う彼の顔が、大ちゃんの顔に重なった。
別れてから、彼の名前を聞くのを忘れた、と思った。けれど、学年は一緒みたいだったし、本気になって探そうと思えば、先生に名簿を借りたりして調べればいい。だからどこかで会えるだろう。そして、彼もバスケが好きだから大ちゃんと出会ったらどんな風になるだろうとか、そんな風に思った。
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「そういえばこの前、廊下歩いてたら面白い人と会ったの。なんかふわふわしてるんだけどね、凄くバスケが好きなんだって」 「あー、俺もそういえばすげーバスケ好きな奴と会った」 「大ちゃん、良かったね。また一緒にバスケできる人が増えたんだ」 「ああ。けどそれよりさつきが言ってたそいつの方が気になった。そいつの名前は?」 聞きそびれちゃった、と言うとあからさまに残念そうな顔をした。もし名前が分かってたら、このまま直接教室に行って彼を探すつもりだったんだろう。でも会えば顔が分かるから大丈夫だよと言うと大ちゃんはそっか、と言った。 「で、強いのか? そいつ」 「うーん。どうだろう。そんなに強そうには思えなかったけど、バスケが凄く好きみたいだったから」 「見てみたいな。そいつ。それで一緒にバスケしたい」 そういうと思ってた、と笑うとうるせーなと面白くなさそうに言った。だけど、この顔は次に自分の言いそうなことを予測されたのが面白くなくてすねてるだけだ。 「あーこんな話してたらバスケしたくなってきた。さつき、体育館行こうぜ」 「うん」 くしゃりと笑ったこの大ちゃんのこの顔が好きだ。彼もバスケが好きと言う。彼と一緒にバスケをすれば、きっともっと楽しそうに笑うんだろう。 いつか、彼と大ちゃんを合わせてみたいと思う。彼の不思議な雰囲気と、大ちゃんの強引なところは案外相性がいいだろう。 そんな風に思いながら向かった体育館で、まさか彼に会うとは思いもしなかった。 「あ、大ちゃん、さっき言ってたバスケ好きな子だよ」 「よ、テツか」 「青峰君、お久しぶりです」 久しぶり、と右手を上げて挨拶した大ちゃんに対して彼は律儀に会釈をした。どう見ても、初対面でする挨拶ではない。だとすれば、相性がいいなんてもんじゃない。 紹介する前に知り合いになっていたなんてそんなまさか。 「え、二人とも、知り合いだったの? せっかくお互いを紹介しようと思ってたのに」 そう言ったのは言うまでもない。
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