へれんさんのお部屋 | ナノ

木漏れ日の詩

 普段であれば勝手知ったる顔で窓から出入りする犬夜叉が、珍しく部屋の扉から現れた。祠を出たとたんに鉢合わせしたかごめの祖父に玄関から引き入れられて、茶でもどうかと多少強引に誘われたのを断ってきたところだった。
「どうかした?」
 奇妙な表情を浮かべている犬夜叉に、勉強の手を休めたかごめが問う。
「いや…。おまえんとこのじじい、今日はやけに上機嫌だと思ってよ」
「今日はじいちゃんの誕生日だからねー」
 事も無げにかごめが言うと、犬夜叉が「誕生日?」と聞き返す。
「知らないの?誕生日っていうのは文字通り生まれた日のことで――」
「おめーな、そのくらい分かるっての」
 おれを何だと思ってるんだと、説明を始めたかごめに文句を垂れる。
「生まれた日だとどうして機嫌が良くなるんだよ」
「どうしてって…。あ、そっか。数え年」
 明治頃までは主流だった年齢の数え方に思い当たった。年明けとともに年齢を重ねていく社会では、生まれた日そのものには重きを置かないのかもしれない。
「あのね、こっちでは毎年その日がきたらひとつ年を取ることになってるの」
「へえ…」
 いちどは納得しかけた犬夜叉だがまたすぐに頸を捻りながら、
「でもよ、今でもけっこうな年寄りなのに、更に年食って嬉しいもんか?」
「あんた、自分の方が年上の癖に…。でもそうね、じいちゃんが喜んでるのは年を取ること自体よりも、こっちかな」
 と、かごめが引き出しから綺麗に包装された小箱を取り出した。
「これ、誕生日のプレ…贈り物よ。あたしと草太でお小遣いを出し合って買ったの。今夜の夕飯はじいちゃんの好きなものばかりだし、晩酌のお酒もいつもより上等なのを用意してあるわ」
「なんで生まれた日になると何か貰えたり美味いもんが食えたりすんだ?」
「……だって、おめでたいじゃない。誕生日にはお祝いをするのよ」
 思いがけない質問にかごめは目をぱちくりさせたが、犬夜叉もまた不思議そうな面持ちのままだ。誕生日を祝うということがよく理解できないらしい。ふと思いついて聞いてみる。
「ねえ、あんたって自分が生まれた日を知らないの?」
「ああ?生まれたときのことなんか覚えてるはずねえだろ」
「そりゃあそうだろうけど」
 木で鼻を括ったような返答に鼻白んだかごめは、しかし重ねて口を開く。
「でもさ、何かヒント……えっと、手掛かりみたいなものはないの?たとえば何かの行事の近くだったとか、そういうこと聞いたことない?」
 かごめの頭にあったのは以前見た犬夜叉の母親の姿だった。衣装やたたずまいは高貴な女性を思わせ、息子はこんな風でも風雅な人だったような気がする。
 かごめの問いに眉を顰めた犬夜叉が、やがてぼんやりと口を開く。
「そういや、……雪が」
「雪?」
「ああ。……えらく寒い雪の日だったって」
「いつ頃かは?」
「………それだけだ」
「そっか……」
「………」
 そのまま犬夜叉は黙り込み、かごめも何かを思案するように口をつぐむ。
 犬夜叉が見ていたのはここではない何処か遠くだった。しんと静まり返るかごめの部屋は暖かいのに、自分の周りにだけ冷気が漂っているような気がしていた。
 先に沈黙を破ったのはかごめだった。無表情で立ち尽くす犬夜叉を見上げて、努めて明るい声で言う。
「ねえ、あたしがあんたの誕生日を決めてもいい?」
「……あ?」
 呆けた表情になった犬夜叉に、かごめが焦れったそうに繰り返す。
「だから、犬夜叉の誕生日をあたしが決めてもいいかって」
「なんでそんなこと決めたがる」
「だって日付が決まってたほうが覚えやすいし」
「覚えてどうすんだよ」
「そんなのお祝いするに決まって――」
「めでたくなんかねえんだよ!」
 牙を剥いた犬夜叉が吐き捨てるようにかごめの言葉を遮った。突然のことにきょとんとしているかごめを見ずに低い声で繰り返す。
「めでたくなんかねえ。これっぽっちもな」
「……どうしてそう思うの?」
 こちらを見ない犬夜叉を見つめながら、かごめが静かな口調で問う。
「そう思うも何も、おれが生まれた日は厄日だ。それ以外の何ものでもねえ」
 苦々しげに言う犬夜叉の目にはやはりかごめは映っていない。哀しそうに眉を顰めたかごめだが、一瞬後には憤然とした表情に変わる。そうしてきっぱりと言い放つ。
「勝手にしなさいよ」
「……あ?」
 犬夜叉が弾かれたように振り返る。決然と見返してくるかごめは息を呑むほど美しい。
「勝手にそう思ってなさいよ。あたしはあたしで勝手にするから」
「いったい何の話――」
「あんたの誕生日のことよ、もちろん」
 と、こんどはかごめが犬夜叉の言葉を遮る。
「あんたがおめでたくないって思っても、あたしは勝手にあんたの誕生日をお祝いするから。日付だって決めたわ。この前の雪の日よ。向こうで一緒に雪を見たあの日があんたの誕生日よ」
 口を挟む間もなく捲くし立てられて、犬夜叉はただ呆然としていた。声が出たのは一拍も二拍も置いてから、それもようやっと喘ぐようにしてだった。
「……んな、勝手な――」
「勝手にするって言ったでしょ」
 いっそ厳かとも思える口調で言って、
「あんたがどう思おうと、あたしはあんたが生まれた日を祝うわよ」
 怒気を含んだまま続けるかごめに、犬夜叉は魅入られたように動けない。
「あたしはあんたが生まれてきてくれたことが嬉しいし、犬夜叉と出逢えて本当に良かったと思ってるもの」
 強い感情に動かされて頬はほんのりと上気し、黒い瞳はきらきらと輝いている。ひどく恥ずかしいことを宣言されている気がするのに、犬夜叉はかごめから目が離せずにいた。それをどう思ったのか、
「反対しても無駄なんだからね」
 拗ねたように言うと、口を尖らせ目蓋を伏せる。呼吸することすら忘れた犬夜叉の胸の奥に抑えがたい衝動が沸き起こり、その手がゆっくりと伸ばされていく。
華奢な肩まで後もう少しというところで、微かな物音を捉えた獣耳がぴくりと揺れた。犬夜叉の手が目にも留まらぬ速さで緋色の袖に消える。
ほぼ同時にカリカリ、カリカリという乾いた音が聞こえてきて、それに気づいたかごめがドアを開けた。と、日暮家の飼い猫が廊下にどでんと座っていた。
「おいで、ぶよ」
 かごめは猫とは思えぬ緩慢な動作で近づいてきたぶよを抱き上げた。その細い背中に低い声が掛けられる。
「けっ。……勝手にしろ」
「うん。勝手にする」
 おそらく彼女にしかできない技で、それが犬夜叉なりの承認だと理解したかごめがふわりと微笑んだ。咲きこぼれんばかりの微笑みを直視できなくて、犬夜叉は横を向いてぶつぶつと呟く。
「だいたい、この前の雪の日ってもう過ぎてんじゃねえかよ……」
「誕生日が待ち遠しい?」
「べっ、別にっ!おれはただおまえが覚えていられるのか心配してやったんだ」
「大丈夫よ。その日がきたら、ちゃんと勝手にお祝いしてあげるから」
「……ふん」
 腕組みをして毒づいている犬夜叉の頬には少し朱色が差している。
 と、「ふぎゃあ」とうい奇妙な鳴き声をあげて、かごめの腕からぶよが飛び出した。そしてそのままのたのたと歩き去っていく。かごめは呆れ顔になって、
「もう、ぶよったら。何しに来たのよ?」
「……邪魔しに、だろ」
「え?」
「別に。……で、おまえはいつだ?」
「何が?」
「おまえの生まれた日」
「なんだ、そのこと?あたしはねえ、春よ。春生まれ」
「春か。春の、どの日だ」
「どうせ日付教えても忘れちゃうんじゃない?あんたのことだから」
「……」
「やっぱりね」
 痛いところを疲れて黙ってしまった犬夜叉に、かごめはわざとらしく肩を落としてみせた。が、その目元はやわらかく微笑んでいる。
「誕生日がきたら教えてあげる」
「当日じゃ駄目だ」
「どうして?」
「うっせーな。……いいから近づいてきたら教えろ」
「……?いいけど」
 かごめが小首を傾げていると、
「おーい、ふたりともー。降りといでよ、ご飯だよーっ」
 階下からかごめの弟の声が響いてきた。犬夜叉が「呼んでるぞ」と、不信そうなかごめを急かす。
「うん…」
 促されるまま部屋を出ようとするかごめの目の前にすっと小箱が差し出された。
「忘れもんだぞ」
「あ、いっけない。ありがと」
「それ、中は何だ」
「もちろんじいちゃんが喜ぶものよ。中味が何かは開けてのお楽しみ」
「……どうやったら欲しいもんが分かるんだ」
「そりゃあ、ずっと見てたらだいたいはね」
「そんなもんか……?」
 と、階段の下に草太が顔を覗かせて、
「ねえ、早く来なよ。じいちゃん待ちくたびれてるよ」
「はいはい、いま降りるわよ。ほら、行こ」
 短く振り返ったかごめが軽やかに階段を下りていく。少し遅れて追う犬夜叉の目はじっとその後姿に注がれていた。
「見てるだけで本当にわかんのかよ……」
 思わず漏れた疑問に、
「ん?何か言った?」
「……別に」
「そお?」
 かごめは深追いせずに、たん、と音を立てて最後の一段を降りる。と、髪の先が楽しげに跳ねた。それを眩しそうに見遣った犬夜叉が口の中だけで呟く。
「春か……」
 それまでに見つけなければ。そう決心する犬夜叉の視線の先にはかごめがいる。
 先を行く細い背中に揺れる木漏れ日が見えた気がした。



 
「通りで、冷えるはずだ」
 暗い森の中、彼は白い息を吐き出しながら天を仰いだ。花弁のような雪が舞い落ちてくる。
 ひらひらと踊る雪に目を遣りながら思うのは、いつかの約束。
「今ごろあいつ、勝手に祝ってやがるかもな……」
 誕生日と定めた日がいつなのか、それを聞き出す前に彼女は姿を消した。彼女自身の生まれた日もまだ知らされていない。
 ――まだ、な
 もうひとつの“まだ”を思い出して口の端だけでふっと笑う。
「春、か……」
 つぎに一緒に過ごす春までに見つけられるだろうか。
「……なあに、考える時間はたっぷりある」
 たとえ今ここに居なくとも、目を閉じればいつだって見えるから。
 出逢いの場所、御神木に背を預けて鈍色の空を見上げた。その獣耳の奥では聞こえるはずのない『誕生日の歌』が流れている。

――いつか再び、あの歌を聴きたい
犬夜叉はそっと目を閉じる。

顔に降りかかる雪の冷たさを春の日差しのように感じながら、
いつまでもそうして佇んでいた。
 


 春の日は、まだ遠い――

木漏れ日の詩







あとがき

犬夜叉の誕生を祝う企画なのに、どうしてこうなった(汗)
それはあちらに置くとして(←)、文中のかごめの台詞は私自身の気持ちです。
『犬夜叉』という作品が生まれてきてくれたこと、そして出逢えたことを本当に嬉しく思っています。
読んでくださってありがとうございました。
またお声を掛けてくださった『TBAI』主催の鈴宮さまにもこの場をお借りしてお礼を申し上げます。
(「黄昏の月黎明の星」管理人:へれん)
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