5−3



髪を揺らす夜風。その冷たさに、黒子は小さく身震いした。
黒子がいるのは、軍本部の片隅にある小さな庭園だ。
何があるわけでもない、猫の額ほどの花壇とベンチが置かれただけのそこは、黒子のお気に入りの場所だった。
もうどれくらいの時がたったのか。黒子はひとりベンチに腰掛け、さきほどの木吉とのやりとりを、頭の中で反芻し続けていた。
――信じてほしいと訴えた木吉に、黒子は首を横に振った。
『…そんなに簡単に言わないでください』
『もちろんすぐにとは言わないさ。でも、チャンスをくれないか?オレたちのことを知ってもらえば、きっと考えも変わるはずだ』
『…その自信はどこからくるんですか』
『そりゃあ、みんなと積み重ねてきた時間があるからな……大丈夫、少なくともオレらは、お前に庇ってもらわなきゃならないほど弱くはねーよ』
『……そもそも、何を勘違いしてるのか分かりませんが、ボクに国を変えたいなんてご立派な意思はありませんよ。自分さえよければそれでいいと考えるような、ちっぽけな人間ですから』
『お、奇遇だな。オレもだ』
『…自分の目的の為に、あなたたちを利用するかもしれない』
『だとしても、騙されるマヌケなオレらが悪いんだから気にするなって……まぁ、できれば、の話だけどな』
笑いながら力強く言葉を紡ぐ木吉。その瞳に宿った真っ直ぐな光は、見覚えのあるものだった。
そう、かつては彼らーーキセキの世代の瞳にも、同じものが輝いていたのだから。
「…この国を変える、か…」
そのせいだろうか、そんな大層な言葉も、笑い飛ばすことはできなかった。
それどころか、差し出された手を取ってみたいという想いも、確かに存在するのだ。
現状から抜け出したいと望んでいるのは、黒子も同じ――そしてそれはもしかしたら、キセキの世代の望みであるかもしれない。
(…でも、こわい)
裏切られるのはいい。相手を憎めるなら、いっそそちらの方が楽だから。
それよりも、信じた相手が、心を許した相手が変わっていく様を見るのは、もう嫌だった。
「…ボクは、どうしたいんだろう」
木吉たちを信じたいのか、信じたくないのか。
キセキの世代達から逃げ出すのではなく、立ち向かうことを選ぶべきなのか。
出口の見えない思考の迷路に迷いこんだ黒子は、子供のように膝をかかえ――その瞬間、背後の茂みが揺れ、驚きに肩を揺らすことになった。
(…この距離で、気配に気づかないとは…っ)
考え事をしてたとはいえ、あまりにひどい失態だ。
迂闊な自分に歯噛みしながら、咄嗟に軍靴へと手を伸ばす。
目で確認する必要はない、そこに仕込まれたのは、手によくなじんだ暗器だ。
そのまま、いつでも攻撃にうつれるよう身構えると、無駄のない動きで体の向きを変え、鋭い誰何の声をあげる。
黒子の動きに触発されたのか、茂みの揺れが大きくなり、そして――…







「……黒子?」
軍内部を当てもなくブラブラ彷徨っていた火神は、足音を忍ばせて歩く細い後姿を見つけ、思わずそう声をかけた。
かけてから、しまった、と焦る。
火神は自室待機を命じられた身である。抜け出したことが隊長にバレたら、ただでは済まないだろう。
だが、そんな火神以上に動揺を見せたのは、何故か黒子の方だった。
ビクリと大きく肩を揺らし、振り返ることもしないまま、火神へと質問を投げかけてくる。
「……こんな時間に、一体なにをしてるんですか」
「…いや、ちょっと気分転換に…」
まさか――お前のことが気になって、じっとしていられなかった――などと、正直に言うわけにもいかない。
ごにょごにょと適当に言葉を濁す火神だったが、その間にも黒子はこちらに背を向けたまま。
流石に不審に思い、火神は黒子との距離をつめるべく足を踏み出した。
「…近づかないでください!」
「…っ!?」
その途端、鋭い声があがり、驚いた火神は思わず動きをとめる。
黒子のその余裕のなさは彼らしからぬもので、火神の脳裏にひとつの可能性が思い浮かんだ――まさか、ケガでもしているのではないかと。
「…おい、何があったんだよ。いいからこっち向けって!」
「…何もないですし、あったとしてもキミには関係ありません。いいからさっさと…」
この場から立ち去れと言いたかったのだろうが、火神はそんな言葉に従うつもりは毛頭なかった。
「…っ、来るな…!」
距離をつめる気配を感じたのか逃げ出そうとするのを許さず、肩に手をかけ、乱暴に体の向きをかえさせる――と、
「………え?」
次の瞬間、火神が視界におさめたものは、焦りの表情を浮かべた黒子。
そして、その腕に抱えられた――黒い子犬だった。
「…ち、ちがいます!これは、その…っ」
「……」
「…あぁ、もう!どうしてこのタイミングで通りかかるんですかキミは…っ!?」
「……」
「………かがみ、くん?」
どう考えても、迷い込んだ子犬を保護するのは『冷徹な軍人』に相応しい行為ではない。
それが分かっていながら、なついてくるその犬のまっすぐな眼差しに、どうしても見捨てることができなかったのだ。
数分前の自分を呪いながら、しどろもどろな言い訳を口にする黒子だったが、目を見開いたままの火神に気付くと、訝しげに眉を寄せた。
笑いとばすか。それとも思いっきり罵ってくるか。
黒子の予想に反して、ただ身を強張らせる火神。…そのこめかみから流れた汗は、まさか冷や汗だろうか。
「……あの、火神一等兵?」
返されることのないリアクションに、さすがにいたたまれなくなった黒子は、火神の目の前で片手を振る。
それと同時に、黒子の腕の中で子犬がキャンと鳴き、
「…ぅ」
「う?」
「うおおおぉぉぉぉぉ…っ!?」
そのとたん我に返ったのだろう、奇声をあげながら、火神はものすごい勢いで黒子たちから距離をとった――いや、逃げ出した。
「……は?」
「…な、なんでこんなとこに犬がいんだよ!?」
「……はぁ」
「……ちょ、なんだよその呆れたような目は!?つーかそいつお前に似てんなおい!!」
「…いや、似てるかどうかは知りませんが……もしかしてキミ、犬がこわいんですか?」
「…べ、べつにこわくなんて…」
「そうですか?…ほら」
「…ひっ!?バカ!こっちくんな!」
子犬を眼前に差し出すと、腰が抜けたのか、火神は壁際にへたり込んでしまった。
その情けない恰好に、黒子は思わず吹き出す。
「な、何わらってんだよテメー…っ!」
「…だ、だって、そんな図体で、こんな小さな子犬がこわいなんて…っ」
必死に笑いを堪える黒子だが、完全には耐えきれなかったのだろう、その肩は小刻みに揺れてしまっている。
そんな扱いにも、ただジト目で睨み付けることしかできないでいる火神がまたおかしくて(犬がこわくて近づけないからだろう)笑いの発作がおさまる頃には、すっかり涙目になってしまっていた。
「…あー、苦しかった…」
「…んな笑うことかよ…」
目元をぬぐう黒子に、火神は拗ねたようにボソリと文句を吐く。
子供のような態度に、黒子は完全に毒気を抜かれ――それと同時に、ごちゃごちゃ物事を考えるのが、バカらしくなってしまった。
「…まったくキミって人は……どうしてこうも簡単に、ボクの心を揺らしてくれるんでしょうね」
「……は?」
「…何でもないです。それより、ボクが犬を拾ったことは他言無用でお願いしますよ」
そのかわり、キミが小さな犬にビビッて腰を抜かしたことも、内緒にしてあげますから。
いたずらっぽく片目をつぶった黒子の反応が意外だったのか、火神は目をまたたかせる。
「…なんだよ、ずいぶん素直じゃねーか。……また何か企んでんのかよ?」
そうそう騙されてはかなわないと珍しく慎重な態度を見せる火神に、黒子はただ小首をかしげてみせた。
「…さぁ、どうですかね?……ところで、肩の傷はもう大丈夫ですか?」
「…え?…あぁ、もうほとんど影響ねーけど…」
「…そうですか、それは良かった」
――なら、問題ないだろう。
「…おい?」
明らかにほっとしたような表情をみせた後、何か決意したように口元を引き締めた黒子は、訝しげな表情を浮かべる火神に背を向け、歩き出す。
「……信じるチャンスを、か」
黒子の腕の中、彼によく似た瞳を持つ子犬が、まるで呟きに応えるようにワンと鳴いた。





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