5−1



「………」
沈黙が満たす室内。
上官の執務室に呼び出されてから、そろそろ5分――今までの人生でこれほど長い5分があっただろうかと泣きそうになりながら、日向は今すぐにでも回れ右しそうになる足に、ぐっと力を入れた。
逃げ出したいのは山々だが、背後には部下たちが控えている。
その中でも一番心苦しい思いを抱えているだろう火神が黙って耐えているのだ、自分もしっかりしなくては。
そう覚悟した日向は、目の前に座る人物に改めて視線を向けた。
入室の許可をだした後は一切口をひらくことなく、無言で手元の資料に目を落としている少年――本日付けで日向の直属の上司に任命された、黒子テツヤ中尉へと。
軍部を掌握する『キセキの世代』たちの寵姫として名高い――悪名高いといった方がいいかもしれないが――彼の噂を何度も耳にしてきた日向だが、これほど間近にその姿を見たのは、今回がはじめてである。
(…なるほど、オヒメサマね…)
白い肌、大きな目、長い睫、軍人としてはありえないほどの線の細さ…しかも、なんだか甘くていい匂いがする。
ゴクリ、と喉が鳴りそうになり、日向はあわてて視線をそらした。
軍での生活が長く、女日照りがつづいている身には、あまりに目の毒であったから。
そんな日向の動揺に気付いたのか、黒子が資料から視線をあげた。
「…あ、の…っ」
透明度の高い湖のような瞳はすべてを見透かすような不思議な力を持っていて、ついにプレッシャー耐えきれなくなった日向は、自らそう話しかけた。
無礼なことだと承知している。しかし正直、そんなことに構っている余裕など、すでになかった。
「…し、資料のほうは、それで大丈夫そうっすかね…?」
黒子の手元にあるのは、日向とこの場に集まった隊員たちの、個人データである。
これまでの経緯はどうあれ、これから命を預け合うことになるのだから、まずはお互いのことをよく知る必要があるだろうと、今回の顔合わせの為にわざわざ作成した資料だった。
「…そこに書いてあること以外で知りたいことがあれば、おっしゃってください。説明させていただ…」
「けっこうです」
「……は?」
「けっこうです、と言いました」
すべらかな会話の突破口になればと、できるだけ好意的な笑みを浮かべてみせた日向に、黒子は手元の資料を放り出すことで応える。
「せっかく作ってもらって申し訳ないですが、これもいらなかったですね…あなたたちの事を知る必要性を、ボクは感じていませんから」
「…しかし、お互い何も知らないまま戦場に赴くのは、あまりに無謀なのでは!」
そこで口をはさんだのは、日向の右腕である伊月だった。
自分たちの人柄や能力を知ってもらうことは必要なはずだし、またその逆も然りだと。
伊月の発言に、他のメンバーも頷き同意を示す。
「…呆れた、もしかして、まともな戦闘に参加できるとでも思ってるんですか?」
そんな彼らに返された黒子の発言――それに、誰もが目を見開くことになった。
…こいつは今、何と言った?
「…それは、どういう…」
「どうもこうも、そのままの意味です。ボクが前線にでることはないですし、ならばあなたたちもそれは同じこと」
皆の気持ちを代弁した日向に向けられた黒子の視線は、どこまでも冷たいものだった。
それに気圧されながらも、日向は必死に言葉をつづける。
「…ちょっと待ってください…なら、今回の辞令はいったい何のために…」
「…一言でいうなら、嫌がらせですかね?」
すべては茶番なのだと平然と言ってのける黒子に、隊員たちの胸に怒りがふつふつと湧き上がる。
「…ちょ、なんだよそれ…っ!」
「…いいから、お前らは黙ってろ!」
たまらずあがった抗議の声を牽制しながらも、日向自身、怒鳴り散らしたくなる衝動をおさえこむのに必死だった。
何とか冷静になろうと大きく息をつき、黒子に向き直る。
「…失礼しました、黒子中尉……しかし我々には、このような扱いを受ける理由を、知る権利があるはずです」
「なにを寝ぼけたことを…日向一等准尉、あなたの部下――彼がしでかしたことを、知らないとは言わせませんよ」
言いながら黒子があごで示してみせたのは、ぐっと拳を握りしめ、何かに耐えるように俯く火神だった。
「…ボクと彼に関する下世話な噂も、多く出回ってみたいじゃないですか。そんな中での今回の人事です……気の毒ですが赤司大佐に目をつけられた以上、出世の道は絶たれたものと思ってください」
生かすでもなく殺すでもなく、飼い殺されるのが関の山。
「…そう睨まないでくださいよ、いいですか、命があるだけでもマシだと思って…」
「…ふざけんなっ!!」
己を睨み付けてくる複数の視線に怯えるでもなく、肩をすくめてみせた黒子に罵声をあびせたのは、ついに我慢できなくなったらしい火神だった。
「…ちょ、待て火神!」
「気持ちは分かるが落ち着けって!」
「あんたらはひっこんでろ…ださいっ!」
怒りもあらわに黒子に詰め寄る火神を、まわりのメンバーは何とか引き留めようとするが、圧倒的な体格と腕力の差を前に、なすすべもなかった。
最後の砦であった水戸部と日向をも振り切った火神は、黒子との間に存在する重厚なつくりのデスクに、ダン!と乱暴に手をつく。
上官に対しての、この態度。処罰の対象になるほどの暴挙だったが、火神の怒りを思えば、いきなり殴りつけなかっただけでも、十分賞賛に値するだろう。
「まわりくどい真似してんじゃねーよ!…お前も、あいつらも、気に食わないのはオレなんだろ!だったら、オレひとりを処分すれば済む話じゃねーか!」
他の隊員には関係のないことだと訴える火神と、黒子の視線がしばし交差し――先に目をそらしたのは、黒子の方だった。
「…相変わらず大した自信ですね……自分にそれだけの価値があるとでも、思っているんですか?」
「…なにを言って…?」
「…いいですか、キミひとりを処分するなんて簡単なことです……それでもそうしないのは、それだけじゃ面白くないからですよ」
「おもしろいって…」
平然と紡がれた台詞に、思わず絶句する火神。
やれやれとため息をつきながら立ち上がった黒子は、そんな火神の胸元に指をつきつけた。
「忠告したはずです、『キセキの世代』を甘く見るなと……彼らにとってキミたちの存在など、所詮ひまつぶし程度でしかないんですから」
「て、めぇ…っ!」
嘲るような笑みを浮かべた黒子に、ついに火神の怒りが限界を超えた。
衝動のまま胸元を掴みあげ、右腕を振り上げたその時、
「わるいな!野良猫の出産に立ち会ってたらすっかり遅くなっちまった!」
緊迫した空気をぶち壊す能天気なセリフに誰もが動きをとめ、声の主に視線を向けた。
その先にいるのは、部屋の入口で片手をあげている、長身の男。
「…き、木吉…?」
「どうした日向、そんなおっかない顔して……ん?」
顔をひきつらせた日向に平然と笑いかける木吉だったが、そこでようやく見慣れぬ人物に気が付いたらしい。
驚きに目を見開く黒子の姿にぱぁっと表情を輝かせると、迷うことなく歩みよる。
「あぁ、キミが黒子君か!」
「…そ、そうですけど……くんって…」
歳下とはいえ上官に対してのこの態度――本来なら咎めるべきなのだろうが、あまりに嬉しそうに笑う相手に、黒子はただ、パチクリと目を瞬かせることしかできなかった。
「いやー、人形だとか氷の女王だとか聞いてたんで、石地蔵みたいなヤツを想像してたんだけどな……こりゃまた随分とかわいい上司様がきたもんだ」
「…ちょ、どんだけ勇者なんだお前は!?」
「ん?だってかわいくね?」
顔を青ざめさせながらツッコミをいれた日向にのほほんとそう返しながら、木吉はさらなる暴挙におよんだ――わしゃわしゃー、と、人並みはずれて大きい掌で、黒子の髪をかき混ぜはじめたのだ。
「ほら、ふわふわしてて、子犬みたいだ」
「…っ!?」
誰もが絶句する中、言葉を失ったのは黒子も同じこと。
身をこわばらせ、まさに子犬を愛でるような手つきでわしわしと頭を撫でてくる木吉にされるがままになっていたが、はっと我に返ると、避難場所を求めて火神の背後に回り込む。
「…な、なんなんですかこの人…っ!?」
「…いや、ほんと何なんだろうな……オレもこの人のことだけは、未だによくわからねぇ…」
自らの背中にぎゅっと張り付き悲鳴をあげる黒子を無意識に庇いながら、火神も脱力したようにそう返したところで――
「……っ!」
お互い我に返り、あわてて身を離した。
「…ぁ……すみません、ボク…っ」
思ってもいなかった出来事に剥がれおちた、冷徹な上官としての仮面――思わず、素の自分を晒してしまった。
動揺にカァっと顔を赤らめた黒子に、火神は目を見開く。
「黒子…お前…」
両手で顔を覆ってしまった黒子の瞳が見たくて――そこに真実がある気がして、火神は黒子に手を伸ばした。
「…っ!」
「…なぁ、顔、あげてくんねーか」
頭に手を置かれ、そんな言葉を口にされ、黒子の体が小さく震える。
「…触らないでください」
「…いいから、こっち向けって」
「…だから、触るな…っ!」
「まぁまぁ」
頑なに視線を合わせようとしない黒子と、そんな黒子に焦れ、その細い手首を力ずくで掴みあげとする火神の間に割って入ったのは、もちろん木吉だった――そんな勇者が、他にいるはずもない。
「…ちょ、あんたは黙って…」
「…うん、お前の気持ちもわかるけどな、とりあえずもう少し冷静にならねーと。…ひとまずここは、オレに預けてみないか?」
な?と言い聞かせるように火神の肩を軽く叩いてやりながら、木吉は今度は黒子に視線を向ける。
また捕獲されてはたまらないと、毛を逆立てる猫のように警戒してくる黒子の姿に頬を緩めたくなるのをぐっと耐え、ビシっと敬礼してみせた。
「というわけで、自分に少々お時間をいただけないでしょうか、黒子中尉殿」





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