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「…おら、見せてみろ」
「…はい」
火神の言葉に、大人しく差し出された細い腕。
出会いから1時間ほど、火神と少年――黒子は今、町の安宿にいた。
先ほど乱闘を繰り広げたのは火神だが、その前、男たちから逃げた時のものだろうか、腕にケガを負ったらしい黒子に気付き、手当の為に連れ込んだのだ。
「…あぁ、浅く切れただけみたいだな。…ったく、こんくらいで済んだからよかったけどよ、オレが通りかからなかったら、お前今頃ボコボコにされた挙句……その、なんだ、とにかくひどい目に合されてたんだぞ。第一、怖くて逃げるくらいなら、最初からあんな野郎どもに関わってんじゃねぇよ」
「…ボクが逃げたのは、別に怖かったからじゃありません。…ただ、彼らが思ったよりよわ…痛いっ!」
「…消毒してんだから痛いのは当たり前だっつーの。いいから大人しくしとけ」
遠慮なく消毒液をかけられ、その痛みに黒子の体が逃げをうつが、火神はそれを許さず片手で――腕力の問題以前に、この体格差である――楽々と抵抗を封じてやった。
「…見かけによらず優しい人だと思ったのに……やっぱり乱暴です」
「…てめ、さっきからちょいちょい失礼だよな。喧嘩売ってんのかよ!」
ツン、と猫のようにそっぽを向く横顔が生意気で、それにカチンときた火神は、包帯を巻く手に力を込めた。
「い、いた…っ、だから、痛いです…っ!」
「あーそうかよ、授業料だと思って諦めろ」
それまでずっと人形のように無表情だった黒子の顔が、痛みにしかめられる。
うす水色の瞳にうっすら涙すら浮かんでいるのを見て、火神は何やら奇妙な満足感を感じた。
それと同時に余裕も生まれ、少しだけ突っ込んだ会話をしてみる気にもなる。
「…大体、あいつらと何があったんだよ……お前、そう身なりも悪くねぇし、そもそもこんなとこにいる人間には見えねーぞ」
今は部屋の壁にかけられたフード付きのコートをはじめ、黒子が纏う衣服はデザインこそシンプルなものだが、仕立ては良いものだ。
生涯ほとんど着た切りスズメで過ごす下層の人間たちとは、比べるまでもない。
「…それはこちらの台詞、って感じですけど」
火神の頭からつま先まで目を走らせながら、ポツリと黒子は呟いた。
そしてそれはその通りだったので、火神は思わず言葉に詰まってしまった。
「…お、オレのことはいいんだよっ!…お前な、ここがどこだか分かってんのか?犯罪者と逃げ出した奴隷――失う物を持たねぇ、無法者どもの町だ。お前みたいに自分の身すら守れねぇような弱い人間が、いていいとこじゃねーんだよっ!」
怒鳴りつける火神の声には、決して小さくはない苛立ちが込められている。
基本的にお人よしな彼ではあるが、ただ甘いだけの男ではないし、何より、弱いくせに身の程をわきまえない人間が、好きではなかったからだ。
「…好奇心か?それとも家族と喧嘩でもして心配かけてやろうとか、そんな感じなんだろうが。…そんな甘えたガキに、これ以上つき合うつもりはねぇからな。さっさと着替えて出てけよ。そのまま大人しく家に帰るもよし、そうじゃなけりゃ、またさっきの奴らみたいのに絡まれて、その後そいつらに売られようがマワされようが…どっちにしろオレには関係ねぇ事だ。好きにしろ」
そう吐き捨てながら、壁にかけられたコート――何が入っているのだろう、意外なほど重かった――を黒子に放り投げてやる。
手当を受けたベッドに座ったままの黒子は、怒るでもなく怯えるでもなく、ただじっと感情をうかがわせない無機質な瞳で、そんな火神を見返していた。
その落ち着いた智を感じさせる眼差しに、こいつは思ったよりは幼くないのかもしれないと、火神はふと思った。もしかしたら、自分とそう変わらないのかもしれない。
そのまましばらく無言で視線を交差させていた彼らだったが、やがて先に目をそらしたのは黒子だった。
ベッドから腰を上げ、コートに腕を伸ばす――のかと思いきや、彼が手をかけたのは自身の纏う服で。
「…っ、何してんだよお前!?」
そのまま何の戸惑いもなく、身に着けていたシャツを脱ぎ捨てる。
「……っ」
現れたのは、細身ながら確かに男の体。
それでも、その白さと穢れのない雪原のような美しさに目を奪われ、それを自分の手でめちゃくちゃにしてやりたいような強い欲望を感じ、火神は思わず息をのんだ。
「…おまっ、何のつもりだよ、服を着ろ!」
「…これがボクです。見てください」
「…もう見たし!いいから…」
「…ここです、ちゃんと見て…」
どこか哀しみを秘めたような黒子の声に、火神は咄嗟にそらしてしまった顔を無理やり元の位置に戻した。
その視線の先、黒子は火神に背を向けている。
そして次の瞬間、火神は先ほどとは違う意味で息を止めることになった。
黒子のシミ一つない綺麗な背中で、存在を主張するそれ。
――そこに刻まれたのは、禍々しいほどに美しい、大きな刺青だった。
「……お前、それって」
聞いたことはあった。
主人が奴隷に、自分の気に入りの『所有物』である証としてつける、つまりは所有印である。
しかも黒子のそれは、一度つけられたものを消して、その上から新しいものがあてがわれているようだった。古い傷跡が引き攣れて、見ているだけで痛々しい。
「……ボクは、ボクを束縛するものから逃げてきました…”今度こそ”自由を手にする為に」
静かな声に、動揺はない。
それでも目の前の小さく頼りない背中に、火神は胸を締め付けられる思いがした。
奴隷として他人を扱うこともなく、勿論扱われたこともない火神にとっては正直、奴隷制度は遠い世界の話である。
だが、彼らについて僅かな知識しか持たない火神にも、今まで黒子がどういった扱いを受けてきたのか、大体の想像はつく。
…この容姿と体格だ、肉体労働に回されたとは到底思えない。
ならば、男の望むままに鳴かされる、籠の鳥として飼われていたか。
この痛々しい傷跡が、何よりの証拠だ。
「……悪かった」
むき出しにされた悪意ある所有の痕跡に耐えられなくなり、火神は身近にあったシーツで黒子の体を覆ってやった。
「…悪かった、もう、いいから…っ」
繰り返された謝罪の言葉に、黒子は体の位置を変え、正面から火神を見上げた。
「…前言撤回します。やっぱり、キミは優しいです」
僅かに微笑みながら、そう言って黒子は切なそうに目を細めた。





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