4−2



罪悪感故にだろう、こみ上げてくる吐き気、震えそうになる手足。
それらを必死で取り繕ったというのに、すべては無駄な努力だった。
――彼は、最初からぜんぶ知っていたのだから。



「…黒子っ!?」
個別にあてがわれた部屋にたどり着いた途端、ひざから崩れ落ちた黒子に、緑間は慌てて腕を伸ばした。
「…っみどり、まく…っ、どうし、…ボク…っ」
「…いいから、ちゃんと息をはけ…!」
緑間に支えられながら、真っ青な顔で苦しそうに喉を鳴らす黒子。どうやら、過呼吸を起こしかけているようだ。
緑間はそんな黒子の状態に舌打ちをすると、腕の中の体を抱えなおし、強引にその唇を塞いだ。
「…っ!」
呼吸を堰き止められる苦しさに、黒子は身をよじり逃れようとするが、それを許してやるわけにはいかない。さらに拘束を強めながら、声だけはやわらかく囁く。
「…大丈夫だ、いい子だから大人しくしていろ…っ」
時に『キセキの世代』が舌を巻くような強かさを見せることはあっても、繊細でもろい部分をあわせ持つ黒子である。
昔無理やり投与されていた薬の影響もあってか、何か大きなショックを受けた時には今のような呼吸の障害をおこしたり、もしくは嘔吐に苦しむ姿を、緑間自身何度も目にしてきた。
それを本人が必死に隠そうとしているのは分かっていたが、まさか放っておけるはずもなく、その度にこうやって介抱してきたのだ。宥めるように背中を撫でてやる手つきも、慣れたものだった。
「……は…ぁ…っ!」
そのまま数分が経過し、黒子の呼吸もやっと落ち着いたものになる。
ぐったりとした様子で緑間に寄りかかりながらも、両足に力は入っているようだ。
「…緑間く…すみま、せん…っ」
「…まったく、本当にお前は世話がやけるのだよ…」
未だ忙しい呼吸の合間に紡がれた謝罪にそう言い返しながら、それでも黒子の髪をなでる緑間の手つきは優しかった。
「…それで、いったい何が、お前をそこまで追い詰めた?」
「……っ」
緑間の胸元に置かれた黒子の手に、力が入る。
苦しげな様子で唇をかみしめる黒子に眉をしかめがら、緑間は言葉をつづけた。
「…さきほどの騒ぎ――そこでお前に絡んできた男が原因か?」
「…!」
とっさにあげられた顔が、緑間の問いかけを無言のまま肯定している。
「…やはりか…あの男の顔を見た時のお前のリアクションが、気になってはいたのだよ…そしてそれは赤司がお前をここに連れてきた事とも、関係があるわけか」
「…えぇ、おそらくは…」
「…まったく、赤司もお前も、ずっと態度がおかしかったからな…何かあるとは思っていたが…」
緑間は深く息をつきながら、ここにくるまでの一連の出来事を思い返していた。






それは、一週間ほど前のこと。
「今回の任務には、テツヤも同行させようと思う」
『キセキの世代』のみが集められた軍事会議。そこで発せられた赤司の第一声に、誰もが一瞬息をのんだ。
「…ちょ、なに言ってるんスか赤司っち!」
「…珍しくテツも会議に参加させろとか言うから、何かあるんだろうとは思ってたけどよ……赤司、正気かお前」
貴族議員の選挙が行われるにあたって、軍部に影響力を持つ人間が有利に事を運ぶためには、隣国との戦で国民に分かりやすい戦果をあげる必要があった。
そんな身勝手な目的の受け皿になるのは、実際に戦場に駆り出される兵士たちである。
毎度毎度めいわくな話ではあるが、『キセキの世代』にとっては、もう慣れきってしまった事だ。
そんな中もたらされた、たった1つのイレギュラー。
ここ数年は戦場どころか公式の場に一切出ることなかった黒子を、軍本部へ連れ出すというのだ。
「ひどいな、もちろん僕は正気だよ。…少なくともテツヤを前線に出すつもりはないからね」
「…まさかと思うが、『影』として行動させるつもりじゃないだろうな…もしそうなら、いくらお前が言うことでも、賛同するわけにいかないのだよ」
「あぁ、『影』か…」
緑間の発言に、赤司は日ごろから口元に張り付けている笑みを消し、冷たく目を細めた。
『影』それはかつて黒子がもっともその手を汚していた時代につけられた、コードネームである。
「…まったく、懐かしくも忌々しい名だな。…心配しなくていいよ真太郎。もう2度と、テツヤにあんな真似をさせるつもりはない…絶対にだ」
そうきっぱりと言い切った赤司は、そこで幾分か表情をやわらげると、ずっと難しい顔で何事か考え込んでいる黒子に顔を向けた。
「…テツヤ、お前にはただ、僕らのバックアップを頼みたいだけだよ。今回はかなり大規模な遠征になるだろうし、お前の細かいフォローがあればとても助かる……何より、事が落ち着くまで何か月…いや、もしかしたら年単位になるかもしれないのに、この屋敷にお前を残していくのはあまりに不安だからね」
「たしかに、黒ちん1人にしとくと、また勝手にどっか行っちゃうかもしれないしねー。…黒ちんにちょっかいだすようなバカがいたらすぐにヒネりつぶしてやれるし、オレは赤ちんにサンセー」
「…なるほど、確かに一理あるかもしれんな」
「…まったく、テツは世話がやけてしょーがねーな」
赤司に続いての紫原の発言に、否定ムードだった他のメンバーも考えを改めたようだ。
――そんな中、その意見を聞き入れるわけにいかない事情を抱えていたのは、黒子だけ。
「…どうしたテツヤ?顔色が悪いようだが…」
「……いえ。ただ、再び現場に携わることになるとは、夢にも思ってなかったので…」
「無理もないっス。オレだって、まさかまた他の野郎どもの前に黒子っちを晒すことになるとは思ってもいなかったし……でもだいじょうぶ、黒子っちのことはオレらが全力で守るっスよ!」
「…涼太の言うとおりだ、安心していいよテツヤ……それとも他に“一般の兵士たちにかかわってはまずい事情”でもあるのかい?」
「……っ」
その瞬間、黒子が思い浮かべたのは、赤司とは違う色合いの赤髪を持った男の顔。
思わず息をのみながらも、それをまわりに悟らせるわけにはいかないと、強張る顔の筋肉を叱咤し、にっこり微笑んでみせた。
「…いいえ、まさか。ボクでお役にたてることがあるなら、これ以上嬉しいことはありません。喜んで、キミたちといっしょに行かせてもらいます」






「…多分あの時から、赤司君は全部わかっていたんだと思います……彼のこと」
「…彼……あの赤毛の男だな?」
「ボクと彼のかかわりをどうやって掴んだのかは分かりません。ただ、赤司君は彼の名前を呼びました。『火神大我』とフルネームで。…先ほどの騒ぎからずっとボクたちといっしょでしたから、その間に調べるということは不可能でしょうし…ならば、ずっと以前から知っていたとしか…」
「…なるほどな。オレたちを2人きりにしたのも、そんな事実に気づいて心乱すだろうお前を、見越してのことか…」
「…こんな話を冷静に聞いてくれるの、緑間君くらいですからね……今回のことで改めて思いました…赤司君に見通せないことなど、何もないんだと」
わずかに震えながらも、たんたんと説明を続ける黒子。
そんな黒子を見下ろす緑間の顔に浮かぶのは、複雑そうな表情だ。
「それで、その火神とやらはお前にとって、どんな存在だ?…あそこまでお前が取り乱すとは……お前たちの間に、いったい何があったというんだ」
「…いえ、正直、そんな深い因縁があるわけではないんです…先ほどの騒ぎの中で言ったように、一晩を過ごしたのは事実ですが、体の関係すら持っていません……ボクからは誘ってみたんですけどね、断られちゃいました」
黒子の体を手に入れた男のひとりとして、緑間は黒子の告白に純粋な驚きを感じずにはいられない。
黒子の、幼さと妖艶さが同居したような色香に抗える男がいるとは、思ってもいなかった。
「…そんな意外そうな顔するの、やめてもらえますか?」
「…あぁ、すまない。…しかし正直おどろいたのだよ……まさかその男、不能なのでは…」
「…もう、どうしたらそんな発想になるんですか」
不満を訴えるように、黒子は緑間の腕にかるく爪をたてる。
そんな子猫のような愛らしい仕草に和んでしまいそうになり、気を取り直そうと、緑間はわざとらしい咳払いをしてみせた。
「…そ、そんなことより……つまりは、先ほどのお前の行動はその男を守るためのもの…そういうことだな?」
「……はい」
黒子の脳裏に蘇る、火神の絶望にそまった瞳。
…たった一晩すごしただけの自分を忘れず、気にかけていてくれたのに。
なんの見返りもなく、途方もない約束を果たそうとしてくれていたのに。
自分の言葉や行動は、そんな彼を手酷く裏切るもので…。
「…彼――火神君には、本当にひどい事をしてしまいました…でも、ああでもしなければ…」
「…仕方がない。お前が気にかける男だ…そんな存在を、青峰らが許すわけないからな」
とにかく、と、緑間は黒子の顎に手をかけ上向かせると、言い聞かせるようにその瞳を覗き込んだ。
「…赤司がどうするつもりなのかは、オレにも分からない……しかし、いいか、お前にできることがあるとすれば、あくまで無関心を貫くことだ」
「……はい」
これから当分の間、ここで生活することになるのだから、その姿を再び見かけることもあるだろう。
そんな時でも、彼を目で追ってはいけない。
細心の注意をはらったつもりではいるが、ケガの状態はどうなのか。
純粋な彼なことだから、裏切りに傷つき、それを引きずってはいないだろうか。
そんな風に思いながら、決して態度に出す訳にはいかないのだ。
…後はただ、早く全てを忘れてくれるよう、祈るしかない。
「…わかったのなら、少し横になれ。顔色を戻しておかなければ、あとでオレが赤司に何を言われるか分からない」
「……緑間君も、いっしょに寝てくれますか?」
ベッドへと促されながらそんな願望を口にしてみせた黒子に、緑間は思わず顔をしかめた。
「…いいか、黒子。オレとて男だぞ。…お前とベッドを共にして、添い寝だけで済ませられるような理性など、持ち合わせていないのだよ」
それでもいいのかと問いかけてくる緑間に、黒子は背伸びをしながら口づける。
「…黒子」
「…いいんです、このまま横になっても眠れそうにないですし……いっそ、めちゃめちゃに抱いてください」
「…まったく、お前というやつは…っ!」
珍しく声を荒らげた緑間に抱え上げられシーツの海に沈められながら、黒子は苦しそうな笑いをもらした。
「…何を、笑っている?」
そんな黒子を訝しく思い、衣服を1枚1枚丁寧に脱がせる手はそのままに、緑間はそう問いかける。
「…いえ、すみません……どうしてボクはこんなに弱いんだろうと思って。…結局、キミたちに甘えることでしか生きていけない自分が、嫌になります…」
「…それこそ、お互い様なのだよ」
お前がオレたちに寄りかかってきたように、オレたちとてお前なしでは生きてこれなかったのだからな。
「…いいから、今はもう何も考えるな……逃避も、時には必要だ」
そんな風に自分にも他人にも厳しい緑間らしからぬ台詞を吐きながら、あとはただひたすら黒子と自分の快楽を追うことに没頭する。
そう、彼らはこうして、今日までを生きてきたのだから。
逃避、慰め、癒し、気分転換、所有の証。
その時々によって求めるものは違えど、黒子とキセキの世代たちは求め合い、セックスを繰り返してきた。
その度にお互いへの依存度は高まり、雁字搦めになっていく関係。
――そう、はじまりもそうだった。
純粋な信頼で結ばれていたはずの関係が徐々に歪み、狂っていった彼らの歯車。
それを決定的にしたのは、赤司が黒子を抱いた、その時からだったのだから。





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