3−1



下品な笑いと怒鳴り声、さらにはどこかで殴り合いでもはじめたのか、陶器やガラスの割れる音までが交じり合う室内。
ここは場末の酒場でも娼館でもない、れっきとした国家施設――軍本部内に置かれた、下士官と一般兵卒の為の詰所である。
「…おーおー、相変わらず騒がしいこって」
いつまで経っても慣れることのない喧噪に、日向は思いっきり顔をしかめた。
「…まぁ、ろくな教育も受けてねー、腕っぷしだけで這い上がろうって連中が集まってんだ、お上品に振る舞えって方が無理だろうが…」
そして一つ大きなため息をつくと、背中を預けていた壁際から離れ、勢いをつけ走り出す。
「…お前も、一々まともに相手してんじゃねぇよだアホ!!」
「…うぉっ!?」
そんな罵声と共に放たれた日向のとび蹴りは、売られた喧嘩を嬉々として買おうとしていた男の背中にきまった。
「…てぇな…っ!何すんだ…ですか!?」
日向の渾身の蹴りをまともに食らっても、軽くよろける程度のダメージでやりすごした相手――火神が、そう噛みついてくる。
「…何すんだじゃねーよ!もめごとは起こさない、大人しくしてるっつーから本部に連れてきてやったのに、何さっそくやらかそうとしてんだお前はっ!?何もしねーうちから出入り禁止になるつもりかよ!」
「…すんませんでした」
一応の――本当に一応の敬語でコーティングしながら、それでも不満を全面的に訴えていた火神だったが、そんな日向の言葉に、渋々ながら己の非を認めざるをえなかった。



『吹き溜まり』と呼ばれる南部の町。そこに設置された軍の駐屯所で、日向が火神を自らが率いる部隊へ誘ったのは、今から2週間ほど前のことである。
もっとも、ここで言う部隊とは、軍に正式に認められたものではない。
元帥をトップに据える軍の階級にあって、公式に把握と統率がされているのは、将官、佐官、尉官までである。
その数の多さと能力のバラつきのせい――要するに、そんな下々の事まで国として管理できないという理由から、日向らが身を置く准士官以下の兵士たちの処遇は、大まかな配属先以外は放置されている状態だ。
勿論、実戦においては、個人でできる事には限界がある。
そのため彼らは訓練所や送られた戦場など、下級兵士が集う場所である程度の人数ごとに、非公式な部隊を編成していた。
どのような隊になるのか、それは中心となる人物の人柄や個々の能力によって多きく異なり、それが彼らのその後の運命に大きな影響を及ぼすことになる。
――そう、今や軍部において絶対的な地位を築きあげた『キセキの世代』とて、はじめはそんな無名の一部隊でしかなかったのだから。
そんな事実だけみても、どの隊に所属するか、自分の隊に誰を引き入れるか、それがいかに重要なことなのかが分かる。
下級兵士が軍部の扉を叩いてまずするべきことは、どこの部隊に所属することが自分の能力を活かし、出世に繋がっていくかを見極めること。
そんな常識を、知らずにいる者などいないだろう。
(…このバカ以外はな)
謝罪の言葉を口にした後も不満気な表情を浮かべている火神に、日向は再びもれ出そうになったため息を、むりやり飲み込んだ。
この火神という男は実際、大した人物だと日向も認めている。
鍛え上げられた立派な肉体に、卓越した戦闘能力、それに加え、戦うという事に関する勘や本能は、もはや野生動物なみだ。
口が悪く激昂型だが、その分裏表や横柄さはないし、それどころか戦場では邪魔になるかもしれないと危惧するほどの優しさ素直さを持っている。
正直日向にとっては、その能力、人物像共に喉から手がでるほどの逸材だったし、彼に声をかけたのは正しい判断だったと、今も胸をはって断言できる。
…しかしながら、自分ひとりで上へとのし上がり、あまつさえ『キセキの世代』を超えようなどと真面目に考えていたあたり、思い上がり云々ではなく、もはやただのバカである。
「…お前さぁ、頼むからここではあんま無謀なこと言ってくれるなよ」
「…は?…あぁ、『キセキの…」
「だからその名を軽々しく口にしてんじゃねーって!」
つーか無謀って何すか、無謀って。
そう訴えてくる火神に、問題はそこじゃねーんだよとツッコみを入れながら、日向は胡乱な視線を返した。
「大体、なんでお前がこの召集について来たがったのか理解できねー。…貴族議員の選挙がどうとか、それによって軍部や周辺国がどう動くとか、そんな説明が聞きたわけじゃねーんだろ?」
「…いや、それは勿論……てか、なんで選挙が他国との戦争につながるのかとか、説明されてもまったくわかんねーし、むしろ興味ねーんですけど…」
でも、と言葉をつづける火神の瞳に、炎が灯る。
「…今回の招集は、『キセキの世代』も絡むもんだって聞いて…ここに来れば、奴らを間近に拝めるって思ったから……あとは、」
…もしかしたら、突然あらわれて突然消えた『アイツ』に関しても、何か分かるかもしれねーし。
「…あとは?」
「…いや、噂でしか知らないそいつらを、その強さを、肌で感じたかった。それだけっす」
一瞬みせた迷いはすぐに消え去り、かわりにその表情に浮かんだのは獰猛な笑み。
それはまさに、野生の虎さながらで。
「…まぁ、頼もしいかぎりだけどよ」
そんな火神に畏怖とわずかな恐怖を抱きながら、それでも彼をはじめとする部下の命を預かる隊長としてこれだけは言い聞かせなければと、日向は震えそうになる己を叱咤し、はっきりとした強い口調で言葉をつづけた。
「…どんなに実力があろうが、今のお前はただの一兵卒でしかないってことを忘れんな。対して、お前が追い抜こうとしてる相手は、貴族のみで構成されたお飾りの将官を除けば軍の中で一番階級の高い…つまり、実質的に軍部の実権を握る連中だ。その力を、決して見くびるんじゃない」
「……うっす」
トーンの変わった日向の声の真剣さに気付いたのだろう、火神は今度は言い返すことなく、素直にうなずいた。
「…実際『キセキの世代』を気に食わねぇと思ってる奴も少なくねぇし、ぶっちゃけオレ自身もそんな一人だが……みんな死にたかねーからな、直接つっかかる奴なんて早々いねーよ。…特に、赤司征十郎には」
「…それって確か、奴らのリーダーだっていう…」
聞き覚えのある名に火神がそう問いかけると、日向は即座にそれを肯定する。
「あぁ、『キセキの世代』のリーダー的存在で……オレたちにとっても、絶対的な支配者だ。…いいか、これだけは覚えておけ。ここで生き残りたけりゃ、赤司の逆鱗に触れるようなことだけはするな、絶対にだ」
奴の命令に逆らう事、下された指令を果たさず敗走する事、まして、裏切りや下剋上などもっての外。
「…あと、これは赤司に限ったことじゃねーんだが……奴らの『オヒメサマ』に決して手を出してはならない、ってのが軍部においての絶対的な掟だ」
「……はぁ?」
他はともかく、最後に関しては本気で訳がわからない。
女でも囲っているのかと、火神が少々下世話な疑問を口にしようとしたまさにその時、
「…おい、来たぞ…っ!『キセキの世代』だ!」
そんな声が、それまで部屋を満たしていた喧噪を、嘘のようにかき消した。





main page

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -