7−5



国の南西部に、大きな開拓村がある。
敵国に近いということもあり、軍部はその威光をかけて配備に力を入れていた。
しかしそれはつまり、敵国からすればそれだけ落としがいのある場所だということでもある。
――その村を消せと、上官は言った。
「……は?」
らしくもなく目を見開き驚きを露わにした赤司に構わず、上官は冷静な――いや、冷酷な言葉を続けた。
曰く、諜報員が紛れこみ、今や村は敵国に取り込まれつつある。住民は勿論、警備にあたっている軍部においても、誰が敵なのか分からない状態なのだと。
「…これは我々にとって、大きな汚点だ――そんなものの存在を、認めるわけにはいかないんだよ」
だったら、消してしまえばいい。大人も子供も、軍人も民間人も関係ない。その村そのものを、なかったことにしてしまえ。
平然と言ってのける上官に、赤司は整った顔を嫌悪に歪めた。
「…申し訳ありませんが、この任務をお受することはできません……軍の威厳を保つ為に、無関係な人々を犠牲にするなんて、そんな非人道的なこと許されるはずがない」
「…キミも木吉中尉と同じ意見か、残念だよ」
断るのは自由だが、キミにも彼と同じく降格してもらうことになると告げる上官を、赤司はむしろ開き直って睨み付けた。
「…構いません。どうぞお好きなように」
「……大した覚悟だが、キミの隊員たちはどうなるかな?」
「…どういうことです?彼らとて、自分の出世の為に一般人を犠牲にすることを望むはず…」
「…キミらしくもない理解の悪さだな。私が言っているのはそういうことではないんだよ」
――弱者を蹂躙できないというのなら、キミたちは蹂躙される側にまわるだろう。
上官の言葉に、赤司の顔色が変わった。
「勿論、今のまま隊を組ませ続けるつもりはない。…キミたちは優秀な軍人だから、使い捨てにするのは実に惜しいが……まぁ、最後まで精々役に立ってもらおうか」
「…ちょっと待って下さい、それはあまりに…っ」
ここで任務を断れば、赤司の隊は解体される。その挙句、都合のいいように利用され、最後は切り捨てられるだろう――そう、件の開拓村のように。
赤司にとっては、失った家族以上に大切な存在である隊員たち。彼らを守る為に、彼ら自身の手を、罪なき人々の血で汚せと命じろと言うのか。
「…あぁ、そう言えばひとりだけ、戦場では役に立ちそうにないのがいたな……まぁいい、ちょうど愛玩動物のひとつでも飼いたいと思っていたところだ」
「……っ」
脳裏に浮かんだ空色の瞳に、赤司の気持ちは大きく揺れ動く。
『…幸せです…ボクは、みんなといられることが、こわくなるほど幸せなんです』
出会った頃、身も心もボロボロだったあの子。控えめな笑みを見せてくれるようになったのは、いつからだっただろう。
『ありがとうございます赤司君。みんなに…キミに出会えて、本当に良かった』
あの笑顔を守りたいと願い――いや、いつの間にか、自分が生きる為、彼を必要とするようになっていた。
「……さぁ、もう一度だけ聞こうか赤司一等准尉」
キミは、どちらを選ぶ?
隊の仲間と、顔も知らない他人の命と。
上官の問いかけに、赤司はかたく拳を握りしめた。そして――







ズキズキズキ…
引き攣るような背中の痛みに、黒子は目を覚ました。
「…あれ?ここは…」
ぼんやりした頭で、記憶を辿る。
そうだ、ゆっくり休めるようにと、隊長である赤司に与えられた個室を借り、そこで休んでいたのだ。部屋に差し込んでいるのは夕日だろう、貧血を起こして緑間にここに連れてきて来てもらったのは午前中だったから、かなり長いこと眠っていたことになる。
「……っ」
そこで突然襲ってきた、大きな痛みの波。何とかやりすごそうと、黒子はベッドの上で体を丸め、浅い呼吸を繰り返した。
背中の入れ墨――お前は卑しい奴隷であり、快楽を得る為の玩具でしかないという悪意に満ちた枷を消し去ってから半年。元々ボロボロだった体に鞭をうち、皮膚の切除という大きな負担をかけたのだ、未だに痛みや体調不良に苦しめられるのも当然のことかもしれない。
それでも黒子は、少しも後悔はしていなかった。
過去の暴力に怯え、自らの存在を嫌悪して俯くことしかできないでいた黒子が前を向き歩き出す為には、どうしても必要なことだった。
しかしそれも、黒子一人だったらどんなに願っても叶わなかっただろう。
施術には少なくない費用がかかったし、術後しばらくは熱と痛みがひどくて起き上がることすらできなかった。その全てをフォローし黒子を支えてくれたのは、青峰をはじめとする同じ隊の仲間たちだ。
優れた能力を持つということ以外は、まるで共通点のない彼ら。
元は高い身分にあった者、スラムで育った者、子供の頃から軍に所属していた者、そして奴隷として生きてきた者など、その生まれ育ちもバラバラだったが、身分など関係なくお互いを認め合い、強い絆で結ばれている。
今、彼らと共に生きていけることが、黒子にとっては何よりの幸福であり、誇りでもあった。
そう、彼らがくれたものならば、背中の傷すら愛おしいと思えるほどに。
「…強くなりたい」
黒子の小さな、しかし切実な呟きを聞く者はいなかった。隊のみなは今頃、訓練にいそしんでいるのだろう。そうして彼らは、更に強く逞しくなっていく。
――他人に言われずとも分かっている、彼らの横に並び立つには、自分はあまりに役者不足だ。体が弱く、頭脳も人並み、更に特別優れた能力もないときては、役に立つどころか足を引っ張ることしかできない。
正攻法では難しいと、最近になって赤司から暗器の使い方を教わり始めたが、それだってどこまで通用するか分かったものじゃなかった。
彼らの役に立ちたい。彼らが与えてくれたものを、少しでも返したい。
考えれば考えるほど、焦りは募っていく。
「…ボクには、何ができるんでしょう」
彼らにはいつも幸せであってほしい、笑っていてほしい。その為なら、何でもする、いや、何でもしたいと心から願う。それが、黒子にとっての生きる喜びであり、『自由』の証なのだから。
「…って言っても、ボクじゃ力不足もいいとこで……ん?」
自らの無力さに、黒子が重いため息を吐いた時だった。
ふいに部屋の扉がゆっくり開いたかと思うと、そこから顔を覗かせたのは、この部屋の主だった。
「…赤司君?こんな時間にどう…」
こんな時間にどうしたのかと問いかけようとした黒子だったが、その言葉が途中で途切れる。赤司の瞳を染める、今まで見た事のないほど昏い色に気付いたからだ。
「……赤司君、どうしました?」
尋常ではない様子に、黒子は体調の悪さも忘れベッドを抜け出すと、赤司の頬に両手を伸ばした。
「…赤司君?」
「…黒子…黒子、黒子…っ」
透き通った大きな瞳に、ただ己を案じる想いだけが宿っているのを見て、赤司は耐えられなくなったように黒子を強く抱きしめた。
「…赤司君?…え、ちょっと、ま…っ」
そしてそのまま黒子を抱きあげたかと思うと、ベッドの上に押し倒した。
「赤司君っ!?…お願い、やめて…っ」
身長 はそう変わらないというのに、この力の差はどうだろう。
精いっぱい抵抗するも片手一本で体を抑えこまれ、黒子は悲鳴を上げることしかできなかった。
「…やだ、やぁ…っ!」
下着ごとズボンを脱がされ、足を大きく開かされる。ここまでくれば、赤司がしようとしていることは明らかだった。
(こわい、こわい、こわい…っ!)
青峰とだってキスすらできないほど、黒子を性具として扱ってきた男達に対する恐怖は、今も根強く残っている。いくら赤司でも――いや、赤司という大切な人だからこそ、己を無理やり犯そうとしている相手に、黒子は大きな絶望を抱いた。
「…青峰、君…っ」
恐怖に、体の震えが止まらない。縋り付くように口にした名も、情けない程に掠れていた。
「……テツヤ」
そんな黒子の耳元に、赤司が口を寄せてくる。彼が黒子の下の名を呼んだのは、これが初めてだ。
「……あか、し…君…っ?」
「…テツヤ、お願いだ…オレを、拒まないでくれ…っ」
ぽたぽたと、冷たい滴が上から降ってくる。赤司の顔には表情らしい表情は浮かんではいなかったが、それでも彼は、確かに涙を流していた。
「…テツヤ、テツヤ…っ」
「……っ」
首筋に顔をうずめられ、咄嗟に叫びそうになった黒子だったが、唇を噛んで耐えた。
『――たすけて』
絞り出すような、あまりに弱々しい赤司の声。普段の彼からは想像すらできないそれを耳にして、それ以上拒絶することが、どうしてもできなかったのだ。





【SLOTH:怠惰】





「…くそっ、くそ…っ!」
緑間は、普段の彼らしくもない悪態をつきながら、壁に拳を叩きつけた。
元々薄汚れていた前線の仮宿舎の壁に、どす黒い血がへばりつく。
彼は、はじめての大きな任務を終え帰還したばかりだった。
緑間が身を置くのは、皆が皆、優れた能力を持った部隊だ。何のミスもなく、余計な手間をかけることもなく、完璧に与えられた任を果たすことができた。
――それでも緑間の胸に、喜びなど一欠片も存在していない。
綺麗ごとだけでは生きていくことのできないこの世界。軍に入隊した時点で、いつかは人の命を屠ることになるだろうと覚悟していた。しかし今回の任務の前では、そんな覚悟など全く無意味だった。
彼が、彼の仲間たちが手にかけたのは、敵国の人間だけではない。いや、軍人ですらなかったのだ。
「……何で、こんなことに…っ!」
怒りと、悲しみと、やるせなさ。
頭の中はもうぐちゃぐちゃで、立っていることさえーー息をしていることすら辛かった。
他に感情を発散させる術を知らず、緑間は再び拳に力を込めた。しかし――
「…緑間君…っ」
それが振り下ろされる前に、緑間の腕にしがみついた小柄な人物。
「……黒子…っ」
「…これ以上手を傷つけたら、銃が握れなくなります。そしたら、自分のことも守れなくなっちゃいますよ…」
黒子はそう言いながら、長距離の狙撃を得意とする緑間の長い指に唇を寄せた。
その仕草はあまりに優しく慈愛に満ちたもの。だからこそなのだろうか、緑間の中に沸き起こったのは、すさまじい怒りの感情だった。
「……お前は…っ!」
緑間は黒子の両手首を捉えると、そのまま小さな体を壁に乱暴に押し付けた。
「…お前は、オレ達が知るずっと以前から、この任務について聞かされていのか…っ!?」
だからこそ、赤司との関係がおかしくなったのだろうと問い詰められ、黒子は緑間から視線を反らした。
「…お前になら、赤司を止められたはずだ!何故そうしなかった!?…紫原や黄瀬に体を投げ出して、青峰との関係すら壊して、お前は一体何を望んだのだよ…っ」
それは多くの罪なき命を犠牲にしてまで得たかったものなのかと言葉を続ける緑間の声は、今にも泣きそうに震えている。
「…ボクが、望むもの……」
そこまで言いかけて、しかし結局黒子は口を閉じ、その代わりに笑みを浮かべた。
癒しを与えるような、慰めるような、そして誘いかけるような、そんな甘い笑みを。
「…緑間君、手を離してください」
「……黒子?」
「…そしたらボクが、ツラいことを忘れさせてあげます……ね、この手を傷つける代わりに、ボクを抱いてください」
「……お前、何を…っ」
あからさまな誘い文句に動揺したのだろう、緑間の手から力が抜けた。
「…前線にも出れず、何の役に立たないボクがここにいるのは、その為なんですから」
拘束から逃れた黒子は、背伸びをして唇を緑間のそれに寄せた。
「…黒子…っ」
「…ほら、今は考えるのをやめて、ボクだけを見てください」
「……っ」
未だ戸惑いを見せる緑間だったが、黒子が膝をついたのを見て、思わず息を飲んだ。己の軍服の下衣を寛げ、そこに顔を寄せた黒子が何をしようとしているのか、分からないはずもない。
今まで、実の弟のように思い、大切にしてきた存在に欲情している自分に嫌悪感を抱いたが、目覚めてしまった男としての本能はそれをはるかに上回っていた。
「…黒、子…っ」
そうだ、今は、今だけは、この衝動に身を委ねてしまおう。
逃避というならそれでもいい――明日を生きる為には、必要なことだったから。




【SLOTH:怠惰】
――それは、誰の罪?





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