7−4



隊長の赤司が不在の場合、隊員に指示を出すのは緑間の責務である。
「…うるせーな、分かってるって」
そう例え、いい加減訓練に戻れとの至極まっとうな命令に対して、このように反抗的な態度をとられたとしても、だ。
「まったく、お前という奴は…!」
黒子を抱き締めたままプイっと顔を反らした青峰に、緑間は顔を引きつらせた。
黒子と2人きりになれる貴重な時間を邪魔されて不機嫌になる気持ちは分からないでもないが、仮にも副隊長という立場の自分に対してその態度は何だと、青峰を睨み付ける。
「大体、お前がそうやって甘やかしすぎるせいで、いつまで経っても黒子が軍部の人間に軽んじられる羽目になるのだよ!」
「んなの、オレがフォローしてやれば問題ねーだろ。テツはオレの大事な相棒なんだ、お前らにどうこう言われねーでも、ちゃんと面倒見るし」
「…まるで、黒子の事を心配しているのは自分だけだと言わんばかりの台詞だな」
「…あ?何が言いたいんだよ」
「あの、ちょっと待ってください…っ」
剣呑なやりとりを交わす2人に挟まれた黒子は、慌てて間に割って入ろうとした――が、
「……っ」
「テツっ!?」
「黒子っ!?」
青峰の腕の中から抜け出した途端、ひどい眩暈と吐き気に襲われ、膝から崩れ落ちてしまった。
「…黒子、大丈夫だ、ゆっくり息をするのだよ」
ギリギリのところで腕に抱きとめ、体を支えてやりながら、緑間は細く頼りない背中をさすってやった。
熱はないようだが、白い額には汗が浮かび、顔色は真っ青だ。
「…貧血だな。食事はちゃんと取ったのか?」
「…食べました……けど、戻してしまって…」
ここ2日ほどずっとそうなのだとか細い声で応える黒子から青峰に視線を移すと、悔しそうな不安そうな、何とも言えない表情を浮かべていた。
黒子の不調に気付くことが出来なかった自分に怒りを感じているのだろうが、それは緑間も同じことだった。
「…気付いてやれなくて、悪かったのだよ」
「そんな、緑間君が悪いわけじゃ…」
「…そう思うのなら、次からは素直に弱音を吐くことだ」
お前からも言ってやるのだよ青峰。
緑間に促され、驚きに目を見開いた青峰だったが、次の瞬間その顔には苦笑が浮かぶ。
「…そうだな、緑間の言う通りだぜ、テツ」
「……なんか、青峰君と緑間君が仲良いのって、変な感じです」
後でみんなに話してあげなくちゃと、クスクス小さな笑い声をたてる黒子に、2人はそろって顔を見合わせた。
「…そんな青白い顔をして、笑っている場合ではないのだよ」
「ほんと、言ってくれるじゃねーかテツ」
緑間に呆れたようにため息を吐かれ、青峰にぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられながら、黒子はやはり微笑んでいた。
そんな黒子につられるようにして自然と笑みを浮かべてしまっていることに、青峰も緑間も、気付いてはいないのだろう。
「…とにかく、オレは黒子を部屋に連れて行くのだよ。お前は訓練場の黄瀬と紫原に合流しろ」
「…リョーカイ、副隊長殿」
自分の手で世話をやきたい気持ちは勿論あったが、具合の悪い黒子の前でこれ以上言い合いをするわけにもいかないと、青峰は大人しく緑間の言葉に従った。
「では行くのだよ黒子…歩けるか?…あぁ、いい、ムリはするな」
「…すみません、緑間君にはいつも面倒をかけてしまって…」
「…こう見えて、かつては医者を志していた身だ。病人を放っておけないのは昔からのクセみたいなものだからな、お前が気にすることはないのだよ」
緑間はぶっきら棒な口調で言いながら、足元の覚束ない黒子を横抱きにし、なるべく負担をかけないようゆっくりと歩き出す。
「そう言えば、緑間君の家は代々お医者様の家系なんですよね」
「…赤司に聞いたのか?」
「はい、赤司君とは、子供の頃からの付き合いだとか…」
「…家柄は段違いだがな……元々あいつは、王族にも連なる貴族の出なのだよ」
しかし赤司は、ある日突然すべてを失うことになった。この国で何百年も前から続く、くだらない争いに巻き込まれたせいだ。
緑間も同じような境遇ではあるが、失うものが多かった分、赤司が受けた傷はより大きかったに違いない。
「…すみません」
「…何を謝ることがあるのだよ。この腐った国のせいでツラい思いをしたのは、お前も同じことだろう」
「でもボクは、元から何も持っていませんでしたから、大切なものを失うツラさを知りません……とても悲しいことだと、想像することはできますが」
財産や地位、そして家族。失ってしまったものに思いを寄せて表情を暗くした緑間に、余計なことを言ってしまったと罪悪感を抱いたのだろう、謝罪の言葉を口にした黒子の体を、緑間は大切な宝物を扱うように優しく抱えなおした。
「…そうだな、オレも、そして赤司も、失うことを極端に恐れているのは確かなのだよ……もう二度と、あんな想いをするのはたくさんだ」
オレがお前や青峰たちに小言を言ったり、赤司が厳しい態度を取るのもそのせいだと、緑間は静かに語る。
「…オレにとっても、赤司にとっても、今はこの隊が全てだからな」
「それは、ボクも同じですよ」
この隊にいるみんなが何よりも大切だと、自らの腕に抱かれながら円らな瞳を向けてくる黒子に、緑間は優しい眼差しを返した。
「…なら、お前はもっと自分を大切にするべきなのだよ」
「…自分を?みんなを、ではなくてですか?」
「オレ達が共に在る為にはお前が……いや、いい、鈍いお前には、言ってもムダなのだよ」
とにかくお前はもっと食べて体力をつけろ。そして少しはオレたちを安心させろとすっかりいつもの調子を取り戻し小言を繰り出す緑間に、黒子は安堵しつつも不満気に唇を尖らせた。



「あぁ、よく来てくれたね赤司一等准尉」
急に呼び出してすまなかったと詫びの言葉を口にしながら、上官は長い話しになるから腰を下ろすよう促してきた。
上官の前で着席が許されたのは、これが初めてだ。何より、この猫なで声は一体何のつもりなのか。
胸の内でむくむくと警戒心がわきあがるが、それをおくびにも出すことなく、赤司は従順な態度で上官の言葉に従った。
「…さて、お互い忙しい身だ、さっそく本題に入らせてもらうが……キミの隊に、特別な任務を与えたいと思ってね」
「…特別な任務、ですか?」
「元はキミたちの指導員でもある、とある中尉へ命じるつもりだったんだが、断られてしまったんだよ」
だからこれはキミたちにとって大きなチャンスでもあるのだと、あくまで優しげな笑みを浮かべる上官に、赤司が抱いたのは大きな不信感だった。




【ENVY:嫉妬】




ガチャンっ!
乱暴に開かれたドアの衝撃が伝わったのか、窓辺に置かれていたガラスの花瓶が床に落ちて粉々に砕け散る。
しかし黄瀬はそんなものには目もくれず、中に活けられていた赤いバラの花を踏みつけながら、部屋の奥へと足を進めた。
「…全く、大輝といいお前といい、人の部屋に入る時はノックをしろと…」
「……どけ」
部屋の主である赤司が嘆くのも聞かず、黄瀬は低い声でそう言い捨てた。
一見冷静に見える彼だが、その無表情の奥では、今までにないほどの怒りにかられているのだろう。
そんな黄瀬に赤司はただ肩を竦めてみせると、大人しくその場から退いた。
これで、立ちはだかるものは何もない。黄瀬は目の前に垂れ下がる天蓋のカーテンに、震える手を伸ばした。
「……黒子っち…?」
絹とレースが何枚も重ねられた向こう、大きなベッドの上には、黒子が一糸も纏わぬあられもない姿で横たわっていた。
「……っ!…なんで、こんな……っ」
その白い体中に散ったキスマークや内ももを汚す白濁液、そして荒い呼吸や桃色に染まった頬を見れば、今の今まで男に抱かれていたことは一目瞭然だった。
ならば相手は誰なのか――そんなこと、考えてみるまでもない。
「なんでっスか、黒子っち……なんで赤司なんかに…っ!」
黄瀬の悲痛な叫びに、黒子が応えることはなかった。
眠っているわけではないのだろうが、全てを諦めたような虚ろな瞳を見るかぎり、黄瀬の言葉が届いているかどうかすらあやしいものだ。
「…なんかに、とは言ってくれるじゃないか」
「赤司…っ!」
苦笑の滲んだ言葉に即座に反応し、黄瀬は赤司に掴みかかった。
「…涼太、手を離せ」
「黙れっ!…黒子っちに何をした?弱みを握って脅したんスか?それとも、力づくで無理やり犯したのかよっ!?」
「…何を言いだすかと思えば、人聞きの悪い」
「じゃなきゃ黒子っちが青峰っちを裏切るわけないっスよ!…お前だけじゃない、紫原っちともなんて…」
何か事情がなければ、黒子っちがそんなことするはずないと、黄瀬は苦しそうに顔を歪めた。
「…敦に聞いたのか、それとも早速ウワサになっているのか……とにかく、僕から説明できなかったのは残念だが、これは全部テツヤが選んだことだよ」
「…御託はいい、黒子っちに二度と触れるな!」
どこまでも冷静な態度を貫く赤司の胸倉を締め上げたまま、黄瀬はもう片方の手を軍服の上着に突っ込んだ――そこから取り出したのは、小ぶりの拳銃だった。
「…僕に刃向うとは、その度胸だけは褒めてやろう。が、それ以上に愚かだな」
その言葉が虚勢ではないことは、黄瀬にも分かっていた。
引き金を引こうとした瞬間、赤司は黄瀬を容赦なく叩きのめすだろう。そして彼は、二度目のチャンスを与えてくれるような優しい人間ではない。
「…いいっスよ、殺りたければ殺ればいい。黒子っちがツラい目に合ってるのに何もできないくらいなら、いっそ死んだ方がマシっス」
紛れもない本音を口にしながら、黄瀬は引き金にかけた指に力をいれたが――
「…黄瀬君、やめてください」
銃をつきつけられた赤司を庇うように、黄瀬との間に身を割り込ませてきたのは、黒子だった。
「…黒子っち、何で…っ」
赤司のものなのだろう、少しサイズの大きいシャツ一枚を羽織り、透き通った空色の瞳で自分を見上げてくる黒子は、ついさっき目にした光景がウソのようにいつも通りに見えた。だからこそ、余計に募る焦燥感。
「ねぇ、黒子っち、赤司の言うことなんてウソだよね?…黒子っちが望んで青峰っち以外の男に抱かれるなんて……しかも、何人も相手にするなんて、そんなことあるはずないっスよね?」
縋る様な眼差しを向けてくる黄瀬に、黒子はゆっくりと首を横に振った。
「…赤司君はウソなんてついてません……全て、ボクが自分から望んだことです」
それは、黄瀬にとって死刑宣告にも等しい言葉だった。
「…なんで…なんでそんなこと言うんスか!?…ねぇ、誰でも良かった?黒子っちにとって、青峰っちはそんな程度の存在だった?…だったら、オレだって良かったじゃないっスか!!」
黒子っちにとって、青峰っち以上の存在はないって信じてたから。
青峰っちが、何より黒子っちを大切に想ってるの、分かってたから。
「…だから、黒子っちが幸せになってくれるなら、それでいいって思ったのに…っ」
人の欲と悪意で満ちた肥溜めのような場所に生まれた黄瀬は、恵まれた容姿を武器に、他人を蹴落とし、時に利用し、ずっと自分だけを信じて生きてきた。
我ながらなんてひどい人間だと呆れることもしばしばだったが、後悔はしていない。負け犬として生まれて、負け犬のまま死ぬのだけはごめんだったから。
それに、希望もあった――こんな自分でも、こんな汚濁に満ちた世界でも、いつか、生きる理由を見つけられるかもしれないと。
「…黒子っち、誰でもいいなら、オレを選んでよ……その為になら、何でもするから」
黄瀬にとってこの世界で唯一、純粋で綺麗だと思えるもの。ようやく見つけた、希望そのものである黒子を見つめながら、黄瀬は再び赤司に銃口を向けた。
「お前にも…青峰にも、この人は渡さない」
赤司を睨みつける整った横顔に本気の覚悟を見出し、言葉では止めることが出来ないと悟ったのだろう、黒子は周りに視線を走らせると、見つけたそれに手を伸ばした。
「…黄瀬君」
「…黒子っち…?」
静かな、しかし強い意思が込められた呼びかけに振り返った黄瀬は、黒子の手に握られた元は花瓶だったガラスの破片を目にして、目を見張った。
それまで余裕の態度を崩さず悠然と構えていた赤司も、黒子の意図を掴むことができず、僅かに眉をしかめている。
「…黒子っち、そんなものに触ったら危ないっスよ、ほらこっちに…」
「なら、銃を下ろしてください」
「……え?」
「キミが赤司君を傷つけるなら、ボクも同じように、ボクを傷つけます」
言いながら、黒子はガラス片を自らの首筋につきつけた。
「…何してるんスか!?」
慌てて駆け寄ろうとした黄瀬を牽制するように、黒子は手に力を込めた。尖った先が触れた薄い皮膚に赤い線がひかれ、そこから命の証が零れ落ちてくる。
「黒子っち、もうやめて…っ!」
「…痛いのはボクなんですから、そんな泣きそうな顔しないでくださいよ」
こんな場面にふさわしくない、子供を優しく咎めるような笑みを浮かべてみせた黒子に、黄瀬はついに銃から手を離した。
「…何でそこまで……ひどい、ひどいっスよ黒子っち…っ!」
そのまま、オレに黒子っちを傷つけさせるなんてと子供のように泣き出してしまった黄瀬の前に、黒子は膝をつく。そして、涙のしょっぱい味のする唇にそっとキスをした。
「…黒子っち…?」
「泣かないでください黄瀬君……ボクは『キミたち』のものですよ」
「…『オレたち』?」
「…それでいいなら、ボクを好きにしてください……キミにも、ボクの全てをあげたいんです」
それが、ボクにできるせめてものことですから。
最後の言葉が音になることはなかったが、それでも赤司だけは、黒子の気持ちを違うことなく受け取った。
「……黒子っち…っ!」
その上で、黒子を抱きあげベッドへ運ぶ黄瀬から視線を反らし、そのまま部屋を後にした。
これで、黒子の体を手に入れる男がまた一人増えることになった――それは、自分が望み、黒子が望んだことだ。
「…だからこれは、嫉妬なんかじゃない。僕にも、涼太にも…大輝にすら、そんな資格はないからね」
確かに感じた胸の痛みに無理やり蓋をして、赤司はポツリと呟いた。




【ENVY:嫉妬】
――それは、誰の罪?





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