7−2



「…テツ?テーツテツ、おーいテツー」
繰り返し名を呼ばれ、黒子は浅い眠りから呼び戻された。
太陽を背に自分を覗き込む相手の笑顔が眩しくて目を瞬かせていると、そんな様が可愛いと言って額に落とされたキス。
「…もう、犬じゃないんですから、そう何度も呼ばないでくださいよ」
一応不満を訴えてはみたが、口元に小さく笑みを浮かべた表情では、説得力のかけらもないだろう。
でも仕方がない。優しく、甘く、時に熱に浮かされたように青峰が口にする己の愛称に、どうして微笑まずにいられるだろうか。
「なに言ってんだよ、テツがいつまでもひっくり返ってるからだろーが。ほら、まだ訓練は終わっちゃいねーぞ」
黒子の髪を、それこそ子犬にするみたいにわしわしと撫でてやってから、青峰は腕を伸ばし、脱力した上半身を引っ張り上げてやった。
「…うー……あと5分、放っておいてもらえませんか…」
「…さっきからそう言って、もう30分は経ってんぞ。そろそろ戻らねーと、オレまで赤司にどやされ…」
「…うぅっ、青峰君…っ」
「……分かった。分かったから、んな目で見上げんな!」
大きな円い瞳にじっと見つめられ、青峰はしばらく葛藤しながらも、結局はその愛らしさに白旗を上げることになった。
「…まったく、ほんとテツにはかなわねーなー…んじゃ、あと5分だけだぞ。そしたらちゃんと残りのメニューもこなせよ。オレも、最後まで付き合ってやるから」
「……ありがとうございます」
拗ねたような表情とぶっきらぼうな優しさに黒子は思わず笑みをこぼし、からかわれたと思ったのか、青峰はそんな黒子の頭を両腕で抱きすくめる。
「こらテツ、生意気だぞてめー!」
「い、いたいですって青峰君のバカ…!」
「そのわりに笑ってんじゃねーか、バカテツめ」
けらけらと笑いながら、じゃれ合う2人。
あの頃――黒子が性具として飼われ、青峰が同じ屋敷で下働きとして使われていた当時には、考えられなかった光景だ。
黒子たちが軍に入隊してから、半年ほどが経った。軍人として過ごす日々はツラいことも多かったが、少なくともここには、自分たちを束縛するものは何もない。
安心しきった表情で笑う黒子を、青峰は蕩けそうに甘い眼差しで見つめ、笑みを描く唇に誘われるように、そっと顔を近づけた。
「…テツ…」
「…っ」
しかし、唇と唇が触れ合う直前、黒子はビクリと小さく体を震わせた。
「…やっぱ、まだムリか…?」
「…ごめんなさい…」
幼い頃から散々、男たちの欲望を押し付けられてきた黒子である。
過去に受けた暴力がトラウマになっているのだろう、日常の中の触れ合い以上のこと――性的な接触に、拒否反応を起こすようになっていた。
相手はいやらしい顔をしたあの男じゃない、愛しく想う青峰なのだと分かっていても、体を求められるたび脳裏によぎるのは、苦痛でしかなかった行為の断片で。
「…バーカ、オレは気にしてねーから、あやまるなって」
「…でも、あの……男の人って、こういう事できないと、つまらないでしょう?」
不安げな表情で、まるで初心な小娘のような事を言う黒子に、青峰は思わずぷっと噴き出した。
「…な、何で笑うんですか!ボクは真剣に、青峰君のこと心配して…っ」
ボクだって男の端くれです――男の生理は理解しているつもりだから。
「…だから、その…」
怒りと羞恥に頬を染める黒子に、青峰はニヤリと意地悪く笑いながらその顔を覗き込んだ。
「…つまり、オレも他の連中に交じって、町の娼館にしけこんで来い、つーことか?」
「……それは…っ」
女を抱いていいのかと尋ねてくる青峰に、自分で促したはずなのに、黒子は答えを返すことができなかった。
「…それ、は…っ」
「…って、泣くなよテツ!オレが悪かった!…冗談に決まってんだろうが」
しばし言葉に詰まった後、その大きな瞳からぽろぽろと涙を溢れさせた黒子を、青峰は慌てて抱きしめた。
「…なぁ、分かってるだろ。女なんてどうでもいいんだよ…オレが抱きたいと思うのは、お前だけだ」
お前だってそう思ってくれてるんだよなと尋ねれば、自らの腕の中、黒子は即座に頷いてみせる。
「…はい、ボクには、青峰君だけです」
「だったら、焦る必要はねーだろ?オレたちはまだはじまったばっかなんだ。ゆっくりゆっくり、進んでいきゃいーんだよ」
「…はい…!」
な?と優しく笑う青峰につられるように、黒子もめったに見せない満面の笑みを浮かべてみせた。



【LUST:色欲】



「…あぁ…っ!」
男の上にまたがった男娼が、悩ましげに腰をくねらせながら、高い啼き声を上げた。
――町で声をかけられ、気まぐれに買ってみたが、これはまた随分と掘り出し物だったようだ。
要求された金額からは考えられないほどの上玉だと、客である男は脂下がった表情を浮かべ、少年を責め続けている。
「…ワシも今まで散々遊んできたが……これほど極上の体には、お目にかかったことがない」
一体誰に仕込まれたのかと男がいらやしく笑いながら尋ねると、少年は猫の様に目を細めた。
「…ぁ…っ、旦那様のような…火遊びのお好きな、方たちにです、よ…っ」
軍の中枢を担う立場でありながら、どこの馬の骨とも知れぬ男娼とベッドを共にするなんて、
「…なんて、いけない旦那様…っ」
「…おぉ、これは、また…っ」
言いながら、更に官能を煽るように淫らに動いてみせる少年に、男は愉悦の声を上げる。
――そんな自分を、少年が冷たい目で見下ろしていることも知らずに。
やがて少年を貪りつくした男は、そのまま眠りについた。
今はもう夜半過ぎになるだろうか。男は心地の良い疲労感に包まれ、ベッドの中でいびきをかいている。
「…ん?」
そんな男に、突然のしかかってきた誰か。
「…あぁお前か、可愛い奴め……しかし、今夜はもう眠い…」
男娼に更なる行為を催促されたと思い込み、男は何ともノンキな台詞を吐く――が、
「…またあし…っ!?」
突然、枕で顔を抑え込まれ、そこでようやく身の危険を感じたらしい。
「…な、なにを…っ!?だ、誰か…っ」
慌てて助けを呼ぼうとするも、無駄なことだった。
「……遅いですよ」
平和ボケも、いい加減にしてくださいね。
少年の呆れたような言葉と重なったのは――一発の銃声。
「…さて、と…」
今の銃声はなんだ!?旦那様はどうした!?
部屋に近づいてくる喧噪を耳にしながら、男娼――黒子は、窓辺へと歩み寄る。
「…っ、まったく、あの色ボケじじい…っ」
途端、体を襲った鈍痛に、らしくもない悪態をつくはめになった。
正直、散々好き勝手されたダメージが残っていないとはいえないが、これくらいならば問題はないだろう。
そう判断し、そのままひらりと窓の外へ身を躍らせた。
2階から飛び降りたのにもかかわらず、黒子はそれを感じさせない身軽さで着地してみせる。
「…お見事です、黒子少尉」
そんな黒子を迎えたのは、黒い軍服を纏った数人の男たちだ。
「…『影』から本部へ。任務は滞りなく遂行されたと、報告してください」
黒子は自らのコードネームを口にしながら、男の1人にそう指示を与えた。
そしてそのまま、これで己の役目は終わったとばかりに、さっさとその場に背を向けた。
用意されていた迎えの車に乗り込みながら、小さく呟く。
「…今日で7回目、か。思ってたより大がかりな任務になってしまいましたし……これはもう、隠してはおけないかな…」
その通りだった。
『影』――暗殺者としての任務を果たし、軍の宿舎に帰り着いた黒子を待っていたのは、怒りに満ちた5つの眼差しだった。
赤、黄、緑、紫、そして青。
その苛烈な光を宿した瞳は恐ろしいほどに美しく、黒子は今の状況も忘れ、思わず見とれてしまった。
「…驚いたよ。まさかこの僕が、裏をかかれるとはね…っ」
本気で怒っているのだろう。珍しくも赤司の声が、微かに震えている。
「誰がお前に、こんなことをしろと言った…っ!?」
お前に暗殺術を教えたのはこんな使い方をさせる為じゃなかったと、赤司は歯を食いしばる。
「……もう、全部バレちゃってるんですね」
「…テツヤ、何を考えているんだ。お前ほどの腕なら、体なんか使わずとも十分に任務をこなせたはずだ!」
軍部で高い地位につきながら、敵国に通じていた男の暗殺命令。
その任務に黒子が投入されることは、皆も事前に知らされていたはずだ――さて、その先の詳しい情報は、どこから漏れてしまったのだろう。
感情がマヒしてしまったかのようにそんな事をぼんやり考えながら、黒子はポツリと呟いた。
「…そちらの方が確実に任務をこなせると、上層部が判断したからですよ」
それだけのことだと、黒子は平然と言ってのける。
「…そもそも、そんなに騒ぐようなことでもないでしょう……この体を抱いた男が1人2人増えたところで、今更じゃないですか」
「なんで、そんな…黒子っち…っ」
「黒子、お前という奴はっ!」
黒子の言葉に更に怒りを煽られたのは、赤司だけではなかったようだ。
思わずといった風に声をあげた、黄瀬と緑間。一見冷静に見える紫原も、その手の中で、好物であるはずの菓子を粉々に握り潰してしまっている。
青峰はどうだろう?――黒子はどうしても彼の方を見ることができなかったから、その様子を窺い知ることは出来ない。
しかし、確認する必要はなかった。
「…テツヤ、お前は…っ!」
赤司が声を荒らげたその時だ。強く肩を掴まれたと思った次の瞬間、パンっ!という渇いた音が部屋に鳴り響く。
「…ぁ…っ!?」
そして、頬に感じた強い衝撃。
「…あおみね、くん…?」
青峰に頬を張られたのだと、すぐにはその事実を把握することができなかった。
「…テツ…っ」
初めて手を上げられたショックより、その痛みより、黒子の胸を打ったのは、青峰の表情だった。
(……あぁ、ボクはまた、キミを傷つけてしまった…)
「…大輝、気持ちは分かるが、やり過ぎだ」
手加減したとは言え、黒子に暴力を振るってしまった自分が信じられなかったのだろう。言葉を失い佇む青峰を呪縛から解き放つように、赤司はその肩を叩いてやった。
そして、衝撃に倒れ伏したままの黒子を見下ろしながら、すぅっと目を細める。
「…分かっているさ。今回の任務を成功させることが、僕たちにとってどれだけ有利に働くか――でも、たとえ僕たちの為だとしても、お前にその体を好き勝手させるわけにはいかないんだよ」
だって、お前の全ては僕の――僕たちのモノなんだから。
きっぱりと言い放ち、赤司は黒子が纏った軍服へと手をかける。
「…赤司、君…?」
「…ねぇ、テツヤ。ここにいる皆と、もうすでに1度や2度、寝てはいるだろうけど……全員いっしょにっていうのは、初めてだね?」
「……何を、言っているんですか…?」
赤司がしようとしていることが信じられなくて――信じたくなくて、黒子は目を見開いた。
「…お仕置きにはピッタリだと思わないかい……ほら、反対意見もないみたいだしね」
赤司の言う通り、黄瀬も、紫原も、色事にあまり積極的でないはずの緑間まで、怒りと、そして欲望を含んだ視線を黒子へと向けてきている。
「…大輝、お前もそれでいいな?」
赤司の問いかけに、青峰は答えない。
ただ、無言で黒子へと腕を伸ばし、そして――


それは、まさに狂乱の時間だった。
少し前まで必死に抵抗し、泣き叫んでいた黒子も、今は虚ろな目をしてグッタリと身を投げ出している。
それでも、男たちはその体を貪ることを、やめようとしなかった。
自分たちの想いを裏切り、己を軽んじた黒子が憎くて仕方がなかった――心から、彼を愛していたから。
「……あぁ、テツヤ。いい事を思いついたよ」
もう何度目か、黒子の中へ欲望を注ぎ終わった赤司は、醜い傷痕が残る白い背中を撫でながら、そう呟いた。
「…ここに、お前が僕たちの物だという印を刻もう――目に見える形で、お前に枷を与えてあげるよ」
赤司の腕から、今度は黄瀬へ。
「…や…ぁ…っ!…も、……ゆる…し…っ!」
黄瀬の膝に抱き上げられ、その欲望を受け入れさせながら掠れた悲鳴を上げる黒子の耳には、赤司の言葉は届いていないだろう。
――だが、それでいい。
「…今はただ、快楽にのまれてしまえばいい……そうすれば、僕たちだけを見て、僕たちの事だけを考えていられるだろう?」

黒子の背に5色の花弁を持つ花の入れ墨が刻まれたのは、この数日後のことだった。



【LUST:色欲】
――それは、誰の罪?





main page

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -