6−3



一通りの書類にサインをし終え、ひとつ大きく息を吐いた赤司は、数時間ぶりにペンを置いた。
彼が長年愛用している赤いガラスペンが黒子からの贈り物であることを知るのは、ごく一部の人間だけだろう。
『これ、赤司君の色にしか思えなくて…すごく綺麗でしょう?』
もう何年前のことになるのか。照れたように微笑みながら黒子が贈ってくれた、はじめてのバースデープレゼント。
「……」
過ぎ去った日々に意識を飛ばしかけた赤司だったが、すぐにその無意味さに気付き、らしくもなく感傷的になっている自分に苦笑を浮かべながら、腰を上げた。
まだやるべきことは残っていたが、流石に疲れが溜まっていたし、何か口に入れたくなった。
今から部下を呼んで用意させるのも面倒だったので、気分転換がてら、自ら給湯室に向かうつもりなのだ。
「…全く、この僕が、自分の決断を後悔する日が来るとはね」
たとえばここが軍本部ではなく私邸であったなら、何も言わずとも、仕事に追われる自分を心配した黒子が、紅茶のいっぱいでも持ってきてくれていただろうに。
そしてその後は、細い体を腕に抱きしめながら、心地の良い眠りにつくのだ。
性的な交わりでなくてもいい。ただあのやさしく甘い香りに包まれ、何より大切な存在をそばに感じられるだけで、赤司は――いや、キセキの世代の誰もが、明日への希望を持ったまま今日を終えることができた。
軍本部に移動になった当初は、己の私室に黒子を呼び出すことも少なくなかったが、任務に就かせてしまった以上、あの軍人にあるまじき体力のなさを知っているだけに、したくもない自重を強いられている。
(…もっとも今夜に限っては、たとえ呼び出したとしても、本人に断られただろうけどね)
数時間前に目にした光景――黄瀬の私室へと入っていく黒子の姿を思い出した赤司が、何か考え込むように目を細めた時だった。
正面からこちらへと向かってくる荒々しい足音に気付き、俯き加減だった顔を上げる。
そして、その主が浮かべている表情を見て、思わず苦笑を浮かべることになった。
「…赤司か…テメー、なに笑ってんだ」
「何でもないよ、大輝。…ただ、随分と機嫌が悪そうだと思ってね」
普段から愛嬌とは無縁の青峰だが、今の彼が浮かべている表情の凶悪さといったら――子供が見たら、間違いなく泣き出してしまうにちがいない。
「…テツヤに今夜の相手を断られたのが、そんなにショックだったかい?」
「…てめぇ…っ」
からかう風でもない、本気で同情したような口調に湧き上がった怒りの感情のまま、青峰は赤司の胸元を掴みあげた。
「…なんでテツを黄瀬のとこに行かせた。しばらくムリさせるなっつったのはお前じゃねーか!…いや、それだけじゃねぇ」
自分より恵まれた体格を持つ青峰に掴みかかられて、それでも眉ひとつすら動かさない赤司の態度に、更に煽られる苛立ち。
「テツを本部に連れ出した挙句、あんな野郎共を部下につけやがって……赤司、テメー、何を企んでやがる…っ」
憎しみと怒りを露わにしながらも、その根本にあるのは黒子の身を案じる心だ。そんな青峰の心情を理解している赤司は、余裕の態度を崩さなかった。
軽く肩を竦めたかと思うと、
「…とりあえず、この手を離せ」
「…っ」
ほんの僅かな動作で自らを締め上げる手首を捻り、その痛みに顔をしかめながら、更なる攻撃を警戒し距離を取った青峰へと、冷たい視線を向けた。
「…企むなんてひどいな。僕はいつだって、一番にテツヤと…そして、お前たちのことを考えているつもりだよ……そう、たとえ」
――お前が僕の事を、殺したいほど憎んでいたとしてもね。
静かな赤司の言葉に、青峰の表情が歪む。
「…テメー、よくもぬけぬけと…っ」
その手が僅かに震えているのを見て、赤司はわずかな笑みを浮かべた。
それは間違いなく、憐みの笑みだった。
「…僕を斬りたくて仕方ないんだろうが……諦めるんだな、お前にはできないよ」
「…何、を…」
「お前と同じく、僕に対して含みのある涼太に関しては、いつか牙を剥かれる日が来るだろうと思っている。それがテツヤの為になるなら、あいつはためらわないだろう」
でもお前は――『あの時』僕を、そしてテツヤを斬ることができなかったお前には、
「…今更、何が出来るとも思わない」
「……て、めぇ…っ!」
視界が真っ赤に染まる程の怒りを感じながら、それでも青峰は返す言葉を持たなかった。
なぜなら赤司の言うとおり『あの時』――青峰だけのものになるはずだった何より大切な存在が、他の男に奪われたあの日。
『…見ないで…青峰君、見ないで…っ!』
泣きながら赤司に抱かれる黒子の姿を目の当たりにして、怒りと絶望を抱きながら、それでも青峰は何もーー黒子を救うことも、許すことも、そして憎むことすら出来なかったのだから。
「…難儀なことだな。お前はただ、テツヤを失いたくなかった。それだけなんだろうに」
言葉を失ったまま俯く青峰に、赤司は静かに語りかける。
「…身勝手なことだと分かってはいるが、考えずにはいられないよ……お前がテツヤをそこまで想っていなければ、お前もテツヤも、こんなに苦しむことはなかっただろうに、とね」
「…オレは…っ」
出口を求め、胸の内で暴れる激情を抑え込むように、固く拳を握りしめる青峰。
「…あれー?赤ちんと峰ちん?」
続けられることなく消えていった青峰の言葉を引き取るようにして発せられたのは、そんなのんびりした声だった。
「2人して、こんな時間に何やってんの?」
「…敦か……いや、何でもないよ」
「…ふーん?峰ちんは?」
「…知るかよ…っ」
訝しげな視線で問いかけてくる紫原に舌打ちを返した青峰は、2人に背を向け、そのまま速足で歩き去って行ってしまった。
向かった先は間違いなく、黒子の元だろう。
一瞬だけ後を追うか迷った赤司だったが、結局はその場にとどまった。
「…峰ちん、いつにも増して荒れてたね。どうせ黒ちん関係なんだろうけど」
毎回毎回、懲りないよねと呆れたように言いながらも、紫原が赤司に向けた視線には、責めるような色が含まれていた。
「…でも、今回は赤ちんが悪いと思うよ」
「へぇ、珍しいな…敦が僕に意見するなんて」
「だって、オレも面白くないって思ってるからね……黒ちんの下についてる、あいつらのこと」
今すぐにでもヒネリ潰しに行きたいと無表情で呟く紫原に、赤司はただ肩をすくめてみせた。





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