2−1



「…っ」
体にのしかかってくる重みに、黒子は小さくうめきをもらした。
大きく足を開かされ、まとめた両手首をシーツへと押し付けられてしまえば、身動きすら満足にできなくなる。
それでも、耳元に荒い息を吹きかけられるのが気持ち悪くて、せめてもの抵抗にと顔を反らすと、そんな態度が生意気だといって頬を張られた。
衝撃に、目の前が白く染まる。口の中が鉄くさいので、切れたのかもしれない。
でも、痛いのはいい。まだ我慢できる。
ほんとうに怖いのは、過ぎるほどの強い快楽でドロドロに溶かされ、自分を失ってしまう事。
そんな黒子の気持ちなどもちろん理解することなく、男は今夜も下卑た笑みを浮かべ、注射器を手に取った。
新しい薬だと、男は説明した。これまでとは比べ物にならないほど、気持ちよくなれるのだと。
ならばその後の副作用も、それは強いものに違いない――今までですら薬を使われてから数日は、ろくに物も食べられなくなったというのに。…―でも、それでいいのかもしれないと、黒子は未だ痛みにかすむ頭でぼんやりと思った。
さっさと壊れてしまったほうが、早く楽になれるだろう。
希望のカケラも見いだせないこんな世界で、これ以上生きていて何になる。
心残りがあるとすれば、ひとつだけ。
(…もう一度、彼に会いたかった…)
それは、黒子の真っ暗な世界に差し込んだ、唯一の光。
実際に言葉をかわしたのはまだ数回、それでも彼の明るい笑顔だけが、黒子の心の支えだった。
『………テツ…っ!』
…―――え?
その時、黒子の耳に届いた声は、今まさに脳裏に思い描いた相手のもので。
幻聴かと疑う間もなく、体の上にのしかかっていた男の巨体が、吹き飛ばされる。
『…まさか…』
『…テツっ!おい、無事か!?』
自分の身に何が起こったか分からず、ただ目をシロクロさせていると、ぐいっと体を引かれた。
『…青峰、くん?……なんで、ここに…』
『何でじゃねぇよ!…助けにきたんだ、お前を。オレと一緒に逃げるぞ』
裸の肩をシーツで包んでもらいながら、黒子は青峰を見上げたまま、動けずにいた。
『…うそだ、そんなの…無理です、だって…っ』
…逃げ出す?この男から、この屋敷から――奴隷という身分の、自分から?
そんなことが、できるはずない。
青峰に殴りつけられ、今は全裸でだらしなく床にのびている男は、この国でも有数の資産家で、身分も低くない。
そんな相手に手をだすことがどれほど危険なことか、青峰にも分からないはずなのに。
『…今なら、間に合う。あとはボクが何とかします、お願いだからキミは逃げてください…ボクは、青峰君に何かあったら…っ』
青峰の胸元に縋り付き、黒子は必死にそう訴える。
そんな黒子に、青峰はやさしく笑ってみせた。
『…だいじょうぶだ、テツ』
勇気づけるように名前を呼びながら、青峰は黒子をぎゅっと強くしめる。その腕は、まだ子供と呼べる年頃の少年とは思えないほど、力強いものだった。
『…かわいそうにな…こんな殴られて、繋がれて。腕なんて痣だらけじゃねぇか。…辛かったよな、怖かったよな…っ』
僅かに震えて小さくなっていく語尾。こんな風に弱々しい青峰の声を、黒子が聞くのは初めてだった。
そんな青峰がどうしようもないほど愛おしく思えて、黒子は自分よりずっと高い位置にある頭に腕を伸ばし、ぎゅっと抱え込んだ。
『…違います。辛かったのは、ボクだけじゃない。青峰くんだって…』
『…ありがとなテツ。んで、ごめん。ほんとはもっと早くに来てやりたかったのに、すっかり遅くなっちまった。でも、もう大丈夫だからな。オレと…オレたちと行こう』
『…オレ……たち?』
黒子が口にした疑問に、青峰の視線が横にそらされる。
それを追っていった先、いつからそこにいたのか、黒子と同じ年頃の子供が数人、こちらに視線を注いでいた。
『…キミが、黒子だね?』
その中の一人、一番背の低い、赤い髪の少年が口を開く。
『…青峰から話は聞いてる……大丈夫、オレについておいで』
青峰にシーツごと抱き上げられながら、黒子は赤い髪を持つ少年の色違いの両目からそらせないでいた。――その眼差しが、声が、まるで魔法のように、意識に入り込んでくる。
決して頑強とは言えない体つきながら、不思議な力強さを感じさせる少年だ。
『…怯え、縮こまり、自由を夢想することしかできなかった日々とは、もうお別れだよ…オレたちと、世界をひっくり返そうじゃないか』
言葉と同時に、黒子に向かって差し出された手。
一瞬迷いながらも、見守るような青峰の視線に背中をおされ、黒子はその手をとった。

赤髪の少年――赤司と出会ったこの瞬間、黒子は生まれてはじめての『自由』を手にしたのだ。


―――だった、はずなのに。


「…ぅ、ぁ…あぁ…っ!」
胎内に感じた、熱の奔流。
その感覚に、過去の記憶を漂っていた意識が、現実へと引き戻された。
体の内側を欲望で汚される感覚から逃れようと体をよじるが、手足はとっくに使い物にならないほど疲労しきっていた為、それもままならない。
――この屋敷に連れ戻されたのが、昨日の朝方。逃げ出した仕置の為と、それからどれだけの間こうして犯され続けているのか、時間の感覚などとっくに失っている。
何度目か分からない絶頂を迎え、黒子がうつろなその瞳にうつすのは、高い天井だ。
――それは、黒子の存在が『モノ』でしかなかった頃飽きるほど見てきた光景で、一瞬、過去の記憶と現実の境が曖昧になり、パニックを起こしそうになる――
「…っ…テツ…っ?」
「……ぁっ」
が、目の前にある体のその肌の浅黒さと呼ばれた己の名に、何とか自分を取り戻す。
「…あお、みね…くん…っ」
「…どうした、テツ?…んな、どっか遠いところでも見るような目ぇしてんじゃねぇよ……オレは、ここにいるだろ?」
青峰の、欲望を放った後特有の掠れた声が紡ぐ言葉はやさしげで――それでも、彼の次の行動は、それを裏切るものだった。
「…ひぅ…っ!…も、やぁ…っ」
乱暴に腕をひっぱられ、黒子は青峰の膝の上に抱き上げられた――その間も、2人の体はつながったまま。
「…きゃぅ…っ!…いやぁ…だっ!…もぅ……やぁ…っ」
「…あーあ、子犬みてぇに鳴いちゃって。かわいーなぁテツ」
言葉で懇願しても、聞き入れられる様子はない。
もうどうしたらいいのか分からず、せめて相手の不遜を買う事だけは避けようと、黒子は力の入らない腕を伸ばし、己を犯す男のたくましい首に縋り付いた。
「いい子だ、テツ…」
それに満足したのか、チュっと音をたてて頬に落とされたキス。
腰をつかむ大きな手に力が込められ、また体の中をかきまぜられ、その苦しいほどの快楽に翻弄させらるのだと、黒子が覚悟して目を閉じた――その時、
「…大輝、それぐらいにしとけ。テツヤを壊す気か?」
静かな声が、2人の間に割り込んだ。
「…チっ、赤司か……」
黒子しか目に入っていなかった為か、乱入者に気付きもしなかった自分に舌うちしながら、青峰はその声の主の名を口にした。
「…壊れちまえばいいんだよ…もう、どこにも逃げられねぇように……なぁ、テツ?」
とりあえず青峰に赤司の静止を聞き入れるつもりはないようで、言いながら、黒子の唇を乱暴に奪った。しびれ切ってまともに動かない舌を絡み取り、強引に吸い上げる。
その苦しさに黒子の喉の奥から音にならない悲鳴があがるも、今の青峰には、それすら快楽を煽る要素でしかなかった。
「大輝」
だが、再度の呼びかけが、そんな青峰に歯止めをかける。
「…邪魔すんな。そもそもテツがここまで弱ってんのは、お前が散々好き勝手しやがったせい…」
未だ満たされることのない己の欲望を堰き止められることが腹立たしくて、青峰はそう赤司に噛みついた。
――それに返ってきたのは、冷たい鉄の感触だ。
こめかみに銃を突き付けられ、流石の青峰も大人しく黒子から身を離さざるをえなかった。
「…おいおいおい。念のため言っとくが、オレは丸腰だぞ。んな相手にここまでするのかよ」
「見ればわかる。…むしろ、ここまでしないと分からないお前に、問題があるんじゃないか」
やれやれと肩をすくめてみせる赤司は、わがままな子供に手を焼く保護者そのものだ。
そんな態度が気に障り、本来であれば色々と言い返してやりたいところであるが、未だ自分に向けられた銃口のせいで――いや、たとえ赤司の手に武器がなかったとしても――青峰が赤司に逆らえたことなどないのだ。
「……ったく。興ざめもいいとこだ。…じゃあな、テツ。赤司に食い殺されるなよ」
憎々しげな舌打ちと皮肉を残し、床に放ってあったバスローブを適当に身に着けると、青峰はそのまま部屋を後にした。
「…まったく、大輝といい、敦といい、図体ばかり大きくなって、中身はいつまでたっても子供だな……そう思わないかい、テツヤ」
銃をホルダーに戻しながら、赤司は黒子が力なく横たわるベッドへ腰を下ろすと、身に纏った黒い軍服が汚れるのも構わず、白濁にまみれた空色の髪を撫でた。
「…あぁ、こんなところまでドロドロだ、かわいそうに――でも仕方がない、僕たちから逃げ出した、テツヤが悪いんだから」
「…っ」
にこり、と綺麗に笑う赤司に凌辱の記憶がよみがえり、黒子は体が震えだすのを止めることができなかった。
それと同時に、背中に刻まれた刺青が熱を持ち痛み出す。
「…そう怯えなくても、今回はこれで許してやるから安心していい。…大輝じゃないけど、僕もお前の泣き顔は嫌いじゃないからね、久しぶりに堪能できて楽しかったよ……ただ」
そこでふと、黒子の背中を撫でていた赤司の顔から笑みが消える。
「次にオイタをした時は、こんなものじゃ済まさないからそのつもりで……そうだな、足の一本でももらおうか」
「…痛…っ」
台詞をなぞるように、実際に腿に爪がたてられ、その痛みに黒子の表情が歪む。
逃げ出したいのは山々だが、すでに自分では立ち上がれないほど疲労しているため、歯を食いしばりながらその苦痛を甘受するしかない。
「…なんて、ね」
やがて、白い肌にうっすら血が滲んできたところで、ようやく赤司は手を離した。
「冗談だよ。この綺麗な足を失うのは忍びないし、もし実行したら、何だかんだでテツヤに甘い大輝が黙ってはいないだろう。…でも、お前を狂愛してるのは、僕や大輝だけじゃないってことを覚えておきな。もし、お前がこれ以上僕らを裏切るようなら……最初に狂うのは、果たして誰だろうな…?」
そう楽しそうにそう呟くと、赤司は黒子から身を離し、そのまま背を向け歩き出した。
「…あぁ、そうだ。風呂に入れてやりたいと言っていたから、涼太がすぐに来ると思う。…大人しく、待ってるんだよ」
そんな言葉を最後に、遠ざかっていく気配。
重い音と共にドアが閉められ、鍵のかけられるのを確認すると、ようやく黒子は体の力を抜いた。
限界まで追い込まれた疲労の為か、目を閉じていても眩暈がする。
重い腕を持ち上げ顔を覆った黒子の――その口元に浮かんでいたのは、歪んだ笑みだった。

――これが、自由か?

生まれながらに奪われ、焦がれ、一度は手にしたはずのもの。
『彼ら』が与えてくれたはずのもの。

…自分たちは、一体どこで間違えてしまったのか。
散々泣かされ、とっくに枯れ果ててしまっていたはずの涙が、頬を伝う。
その熱を不快に感じながらも、休息を求める体の欲求に抗うことはできず、黒子は深い眠りの淵へと落ちて行った。





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