6−1



汚い、汚い、汚い、汚い、汚い―…!
己に対する嫌悪感に吐きそうになりながら、黒子は部屋を飛び出した。
散々好き勝手された体は重く、歩くことも辛かったが、もう一秒だって男と――奴隷としての黒子の全てを支配する『ご主人様』と同じ空間にいる事に、耐えられなかったのだ。
足を動かす度に注がれた欲望の残滓があらぬ場所から流れ出し、その気持ち悪さに涙がにじんでくるが、ぐっと歯を食いしばって耐えた。
いますぐ身を清めたい。でも、男の元には戻りたくない。
どうしようかと悩んだのは一瞬。黒子はすぐに庭へと続くドアへと近づき、開け放った。
その途端、シャツを羽織っただけの華奢な体に、冬の冷気が容赦なく襲いかかる。それでも、黒子が足を止めることはなかった。
そのまま黒子が目指したのは、広大な広さを持つ庭の中ほどに作られた、大きな噴水だった。
夏場は水遊びにも利用されるそれは、今は落ち葉が浮き、うっすら氷がはっていて、とても使える状態ではなかったが、黒子は迷う事なく足を踏み入れた。
刺すような冷たさに息を呑みながらも、冷たければ冷たいほど身が清められる気がして、夢中で水を浴びる。
――このまま、この凍った水に身を浸していれば死ねるだろうか。あの男から逃れ、自由になれるだろうか。
とうに歯の根は合わなくなり、手足の感覚は失われ、徐々にまわらなくなっていく思考で、そんな事をぼんやり考える。
そんな時だった、
『バカ野郎!何してんだ!?』
突然、黒子の腕を引いた誰か。
『こんな寒い中水浴びなんて、何考えてんだよお前はっ!』
死んじまうぞと怒鳴りながら、自分が濡れるのにも構わず黒子を軽々と抱き上げると、風の当たらない場所へと運んでくれる。
『…ちょっと待ってろ、今毛布を…』
そう言って離れていこうとする相手に、黒子は力の入らない手を必死に伸ばした。
自分を抱きしめてくれた腕は暖かく、そのぬくもりを失うことが、たまらなく悲しく思えたのだ。
『…おい?』
『…お願いです、もう少しだけ、一緒にいてください…っ』
その必死さが伝わったのだろう、熱出しても知らねーぞと眉を寄せながらも、再び黒子を抱きしめてくれた。
――あぁ、なんてあったかいんだろう。
体を震わせながら胸元に頬を寄せる黒子に、くすりと零れた笑い声。
『…お前、猫みてー』
浅黒い手に頭を撫でられ、見上げたその先にあったのは、太陽のようにあたたかく、眩しい笑顔だった。







(…青峰、くん)
抱き人形として飼われていた黒子。同じ屋敷で、下男として労働させられていた青峰。
2人が初めて出会った日から、実際には数年しか経っていなのに、もうずっと昔の出来事のように思える。
夢に見たのも、随分と久しぶりだった。
この、胸を揺さぶる想いは幸福感か、それとも哀しみなのか。
気付かぬ間に頬を濡らしていた涙を手で拭いながら、黒子は身を起こした。
「黒子っち、起きたっスか?」
その瞬間、かけられた声。視線を巡らせた先にいたのは、黄瀬だった。
見れば黒子の体には、軍服の上着がかけられている。これも、彼のものだろう。
「…すみません、気が付かなくて。いつ来たんですか?」
声をかけてくれればよかったのにと申し訳なさそうに言う黒子に、黄瀬は困ったように笑ってみせた。
「…んー、そうしたかったのは山々なんスけどね…黒子っち、疲れてるみたいだったから」
執務机に腰掛けていた黄瀬はそこから離れ、黒子がいるソファへと近づいてくる。
「ほら、ひどい隈っスよ。…執務室で仮眠とらなきゃならないほど、黒子っちがムリすることないのに」
黒子の目元に口づけながらの台詞には、隠しようのない不満が込められていた。
しかし夢を見ながら泣いていたことには気づかれていないようで、黒子はこっそり胸を撫で下ろす。
「…緑間っちのところの偵察部隊に、黒子っちの下の奴らも同行する事になったそうっスね」
「…相変わらず、情報が早いですね」
「当然っスよ。だって、黒子っちに関することだから」
当たり前のようにそう答えてみせる黄瀬だが、やはりその表情は険しいものだった。
「…今回の為に、黒子っちが緑間っちに頭下げに行ったって聞いて…しかも、こうやって睡眠時間削ってまで仕事に追われて……どうして黒子っちが奴らの為にそこまでしてやるのか、理解できねぇっスわ」
そこまでしてやる価値が、あいつらにあるとは到底思えない。
地を這うような低い声で言葉を紡ぎながら、強く抱きしめてくる黄瀬。
そんな彼に、黒子はこっそりため息を吐いた。
こんなことになるのではと、言い訳を用意しておいて良かった――真実は語らず、納得してもらう為の嘘を。
「…別に、そんな大した理由があるわけじゃないです。ある程度の任務をあたえないと、文句ばかりでうるさいんですよ、彼ら」
「…本当に、それだけ?」
「それだけです」
光の加減で金色にも見える黄瀬の瞳が、鋭く黒子を射抜く。
それに怯えるでもなく、真っ直ぐに視線を返してくる黒子に、黄瀬の方が折れた。
「…まぁ、黒子っちがそう言うなら仕方ないっスけど……でも」
「でも?」
「…奴らに黒子っちとられたみたいで、寂しいっス」
オレだって中々会いに来れないのに、毎日のように顔合わせてるあいつらはズルいと、唇を尖らせながら、黄瀬は訴えてくる。
「……なに子供みたいなこと言ってるんですか。いいから、そろそろ自分の任務に戻ってくださいよ」
「…相変わらずつれないっスね、黒子っち…」
呆れたようにため息を吐かれ、不満そうに唇をとがらせた黄瀬だったが、いっそ開き直ることにしたらしい。
「…もう子供でいいっスから、黒子っち補給させて…」
ちょっとだけでいいからと口では言いながら、抱きしめていた体をソファに押し倒し、軍服へと手をかけてくる黄瀬の眼は本気だった。
その飢えた獣のような様子に、黒子は慌てて声をあげた。
「…ちょっ、ここをどこだと思ってるんですか…っ!」
「んー?オレは誰に見られても気にならないけど、黒子っちが嫌なら鍵かけてこようか?」
「気にしてくださいよ!ていうかやめ…あ…っ!」
首筋に軽く歯を立てられ、その痛みと快感がない交ぜになった強い感覚に、黒子の口から思わず甲高い嬌声が漏れる。
「…や、ぁ…っ」
「…これだけで震えちゃって……かわいい、黒子っち」
男に愛される事に慣れた体は、ほんのわずかな刺激にも反応し、より強い快楽を求めてしまう。
黒子がそんな自分を嫌悪していると承知しながら、黄瀬は愛撫の手を止めようとはしなかった。冷たくされた仕返しに、少しだけ意地悪がしてやりたかったのかもしれない。
「黒子っちだって、そろそろオレが…オレらが欲しくなる頃じゃないっスか?…黒子っちが自分じゃできないの、知ってるっスよ」
もう自分で触るだけじゃ、イケないんでしょ?そう耳元で囁くと、ビクリと強張る体。
図星をさされ、羞恥に染まっていく頬が可愛らしい。
「恥ずかしがることないんスよ?…オレは、嬉しいっス」
いっそ、もっともっとオレらに溺れて、オレらなしでは生きていけなくなっちゃえばいいのに。
「…や、き、せ…く…っ」
「…黒子っち…」
歪んだ愛欲が込められた言葉にか、それとも単に強い快楽故か、涙でうるんだ空色の瞳をうっとり見下ろしながら、黄瀬は黒子の唇を奪うべく顔を寄せ――
「はいはーい、そこまでー」
――たところで、突然目の前に書類を挟まれ、紙にキスをするはめになった。
「……アンタ、相変わらずいい度胸っスね」
青峰ほどでないにしろ、なまじ顔が整っているだけに、黄瀬の一睨みには大の男を震え上がらせるほどの迫力がある。
が、今回は相手が悪かった。
「やだなー、そんなことないですけどー…でもほら、大切な人のピンチに何もできないようじゃ、真の男とは呼べないっしょ……ねぇ、テっちゃん」
黄瀬の怒りをさらりと受け流し、いたずらっぽく片目をつむってみせた男に、黒子は思わず安堵の息を吐いた。
緑間が信頼する部下であり、黒子にとってはキセキたちを除けば唯一の友と呼べる存在である高尾和成。ここに居合わせたのが自分たちの事情を知る彼で、本当に良かったと。
「執務中申し訳ありません。高尾少尉、緑間中佐の命を受け、参上しました!」
そんな黒子の想いが伝わったのだろうか、嫌味なほど堅苦しく敬礼してみせた高尾に、黄瀬もしぶしぶ黒子から身を離したのだった。





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