1−6



東の空がうっすらと明るくなりはじめる頃、黒子はそっとベッドから抜け出した。
今度は完全に気配を消しての行動だ。黒子が本気で自らの存在を消した時、それに気付ける人間はそうはいない。
案の定そのまま眠り続ける火神を見下ろしながら、黒子は音には出さず呟いた。
『火神君、本当にありがとう。そして……ごめんなさい』
そしてそのまま自らのコートを手に、部屋を後にした。




早朝特有の引き締まった空気を切り裂くようにして、黒子は駆けていた。
急げ急げ急げ急げ急げ。
――彼らよりも先に、戻らねばならない。予定より大分遅くなってしまったが、大丈夫、今ならまだ間に合うはずだ。
息を切らしながらも走り続けていた黒子だったが、ふいにその足が止まる。
「おーと、やっと見つけたぜかわい子ちゃん」
「……!」
突然目の前に立ちふさがった影の正体は、昨晩、黒子に絡んできた男たちだった。
…いや、それは正しい表現ではない。
男たちが火神に主張した通り、最初に彼らに声をかけたのは、黒子だったのだから。
――しかし本当に期待外れだった。
この町を牛耳る男たち――もう少し『使える』かと思ったのに。
「…すみません。急いでいるのでそこを通してください」
「おぉ、昨日の赤髪のにーちゃんはいねぇのに、随分と強気だねぇ」
「昨晩はあの野郎とお楽しみだったんだろ?なんだ、もうお役御免にされたのか?それとも坊やが、あいつじゃ満足できなかったのかな?」
顔に似合わず、淫乱な坊やだ。
そんな男の言葉に、残りの連中から下品な笑いがあがる。
「……」
「…おーこわ。んな睨むなって……まぁいいや、昨日散々な目に合せてくれた分、しっかり付き合ってもらうからな。2,3日は立てなくなる覚悟し…」
言いながら伸ばされた男の手を、黒子は無造作に振り払った。
「…おいてめぇ、なにす………ぎゃあぁぁ…っ!?」
当然腹を立てた男が語気を荒らげるが――次の瞬間、男が目にしたものは、己の掌に突き刺さった細身のナイフだった。
その痛みに、男の喉から絶叫が漏れ出る。
「…な、なんだ、…一体何が起こって…」
突然の出来事に、慌てふためく男たち。
そんな男たちを尻目に黒子はマントの中へと片手を突っ込むと、体の回転を利用して、取り出したソレらを思いっきり投げつけた。
ある者は踵を、ある者は腿を、ある者は片目を――致命傷にはならない、それでも確実にダメージを与える場所を正確に貫く、太く長い針。
「…こ、こいつ、暗器使いかよ…っ!?」
全て致命傷を避けて突き刺さった凶器は、逆を言えば確実に命を狙えるということ。
相対した小柄な少年の危険さに今更ながら気付いた男たちは、顔色を青ざめさせながら一目散に逃げ出していく。
「…ひっ、た、助けてくれ…っ!」
動けないまま残された男の1人が恐怖の眼差しを向けてくるが、黒子は冷たい一瞥を投げつけると、その横を通り抜けた。
…そう、黒子はただ先を急ぎたかっただけだ。これ以上この男たちに構うつもりはなかったので、そのまま背を向け再び走り出そうとした、まさにその時――…
「…がっ!」
背後から聞こえてきたのは、男の――…断末魔。
そして、
「…やーーーっと見つけたぜ、テツ」
「…!?……ぁっ!」
驚き背後を振り返ろうとしたところで――とつぜん口を塞がれ、それどころか背後から抱きすくめるような形で体を拘束されてしまった。
「……っ」
「…このカスが、テツに触れやがって…やさしーオレだから一発で仕留めてやったけどよ、他のやつだったら、どんな目に合わされてたか分かんねーぞ」
耳元に落とされる低い声に、首筋が粟立つ。
そんな黒子の反応を楽しむように、口元から離れ首筋に這わされた手は大きく浅黒い。
「……あ、お…みね君…?」
「…あ?確認するまでもねぇだろうが、何言ってんだ。…たく、てめぇはまたオレらがいねぇ間に逃げ出しやがって、屋敷中大騒ぎだぜー?黄瀬は黒子っち黒子っち泣きわめいてるし、緑間はいつにも増して変なもん集めはじめるし、紫原は菓子食いまくって…まぁ、いつも通りだけどよ……あとは、まぁ、分かってると思うが…」
「…っや、ぁっ…!」
今や衣服の中にまで侵入した図々しい手が、黒子の素肌を無遠慮に撫ぜる。
敏感な場所に触れられ、思わず悲鳴が上がった。
「…覚悟しとけよ、赤司のやつ、すっげぇいい顔で笑ってやがった」
青峰の言葉に、黒子の脳裏に左右色違いの瞳が浮かぶ。
「…っ」
「…あーあ、んな震えちゃって、かわいそーになぁ、テツ」
恐怖に身を強張らせた黒子の頬に口づけながら、青峰は口元を歪ませて笑う。
「…でもまぁ、仕方ねーよな。何度オシオキされてもいう事きかねぇテツが悪いんだぜ?…あぁ、何ならここで、オレが分からせてやろうか?」
「…いやだ、離してくださ…っ」
「…おっと、暴れんじゃねーよ。…だってお前が逃げるのって、オレたちだけじゃ物足りねぇからなんだろ?…それとも何か?オレらから自由にしてくれる、王子様でも探してんの?」
「…青峰君たちには、関係のないことです…っ」
反抗的な黒子の態度がお気に召さなかったのだろう、青峰の眉間に、いらだったような皺が寄せられる。
視線を反らされ続けられるのも不快だったので、青峰は乱暴に顎を掴み、無理やり黒子の顔を覗き込んだ。
「…っ!」
「…テツ、我儘もいい加減にしろ。これ以上、何を望むっていうんだ?…他の誰でもねぇ、お前はオレらの――『キセキの世代』のもんだ。…それでいいじゃねぇか」
青峰の呪いのように甘い言葉から逃れるように、黒子はかたく瞳を閉じた。
――どんなに乱暴に扱われることがあっても、その言葉を肯定してはならない。


『キセキの世代』
そう呼ばれる彼らは、かつては共に自由を求める仲間だった。
黒子を地獄から救い上げてくれた、ヒーローだった。
そんな彼らの役に立ちたくて、黒子は戦う術を身につけた。
他の皆のように正面から戦う力はなくても、せめて裏で、彼らの影として役にたつための、暗殺の技術を。
それらは全て、自由を手にし、信頼し合える仲間たちと心から笑い合いたいが為……望んだのは、それだけだったはずなのに。
…いつからか、彼らは黒子に、彼らと同じ場所に立つことを許してくれなくなった。
黒子に自由を与えたのと同じ手で、黒子を束縛するようになった。だから黒子は、彼らから逃げようと決めた。
…しかし、自分だけの力では不可能だと知っていた。
ならば、誰か利用できる存在を見つければいい。
こうして事あるごとに彼らの元から一時でも抜け出し、彼らに対抗しえる人間を見つけだそうと必死だった。

そして今日、彼に出会ってしまった。

利用する為近づいた。
思い通りに動かすために、体を差し出した。
……返ってきたのは、真摯な眼差しと、あたたかさと、純粋な好意だった。
(ごめんなさい、火神君……ごめんなさい…っ)
彼に出会い、気付いてしまった。
『キセキの世代』に向かって、何故捨て去ってしまったのだと非難していた大切なモノを、いつの間にか自分自身が手放していたことに。

青峰に抱き上げられながら、黒子は心から願わずにはいられない。
(どうか君だけは、そのまま真っ直ぐ自分の信じた道を突き進んで…)
そして、二度と火神と会うことがないように、と。
こんな汚い自分を、彼の前にさらすことのないように、と。



それでも、動き出してしまった歯車が止まらないことを、今は天だけが知っていた。





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