純血主義。

それが僕の家の家風で、そういう家に生まれたことに不幸も幸福も感じなかった。それが自分の運命なのだと、ただ与えられたまま飲み込んでいた。嚥下した現実はたいそう無味で、事実としての価値以外の何も自分に還元しなかった。

少しずつ、何かは確実に壊れ始めていた。

それは兄が家を出ていったことが発端だった。いや、兄が両親の望まない寮に入った時からかもしれないし、目に見えないだけでもっとずっと前のことだったのかもしれない。いずれにせよ、兄が一歩動くたび、兄が一つ自由を手にするたびに、走って言った亀裂は徐々に歪みを大きくしていった。
崩れたその粉塵は僕の視界を覆い、小石は鋭く僕の心に突き刺さり、身動きが取れないほどに僕の背に降り積もる。

…歌が聞こえた。

瓦礫の隙間から、見えるはずもない空の向こうから。


...。oо○ ○оo。...



「レギュラス」

 重たいそれを振り払うことの出来なかった僕に、それは愛だと教えてくれた人がいた。
 歌うように話す人だった。あの頃の僕は、家から背を向け遠ざかっていく兄を憎むことしかできない幼い人間で、その人の首元の深紅は憎悪を形容するものでしかなかった。
 顔を合わせるたびに、その人は歌を紡ぐように僕に声をかけてきた。いつしかその人の話には自然と耳を傾けられるようになり、しばらくして兄と同じ学年であると知る頃には自ら挨拶をするようになっていた。

「ねぇ、レギュラスは本当の空を知ってる?」

 彼女はいつものようにひと気の少ない渡り廊下で口を開いた。自分たちが話をするときは決まって人通りの少ないところだった。僕の寮と彼女の寮、濃緑と深紅。最初自分がそうであったように、敵対することの多い自分たちの立場では、人目のあるところで話をするのは憚られた。
 何だか密会みたいでいいねという彼女の微笑みに、言いようのない気持ちに駆られたのはいつだっただろうか。

「本当の空…?」
「今日はこんなに晴れているのに、太陽以外星なんて一つも見えないの。きっと本物の空にはいつだって星がきらめいて、そしてずっとずっと晴れているんだわ」

 彼女の言うことはいつも奇妙なことばかりだ。薄暗い廊下、淡く差し込む陽の光が彼女の横顔を縁取っている様子に、僕はただ何か神聖なものを見る時に似た視線を送るだけ。

「…今夜もし晴れたら、よく天体観測ができそうだ」
「そうだね。レギュラスが操る箒に乗せてくれたら、素敵な夜の散歩になりそう」
「スラグホーン教授に見つかったら怒られる」
「その時は私も一緒ね」

 羊皮紙が微かにこすれるように彼女が笑う。
 彼女と満天の星の下、吸い込まれるような夜の空を二人で空を飛ぶ光景が目に浮かぶようだった。それはとても幸せなことのように思えて、そして同時に決して実現することのない夢だとも知っていた。

 ねぇ、レギュラス。
 彼女が僕の名前を紡ぐ。


「…きらきら光る星たちを集めてその光で世界を照らせたら、とっても素敵だと思わない?」


...。oо○ ○оo。...



動かない手を必死に伸ばす。闇に埋もれた、この手でつかむ資格などないとわかっていても。

聞こえない、聞こえない。
此処からでは、聞こえない。

この深く冷たく重い、深い闇の中では。
閉じかけた目蓋の隙間から、かすかに、幻のように差し込む光。

見えない、見えない。
もう、届かない、指先すら。

(名前、)

ごぼり。最後の気泡が視界を包む。息もできないい闇の中で一人漂う。伸ばした手は空さえも掴めないと、わかっているのに。

崩れた自分の狭い狭い世界の中で、それでも僕には守るべきものがあると。それが愛なのだと君は教えてくれたね。いつしか身動きの取れなくなったこの世界で必死にあがいた。光のように歌を纏い導いてくれた君は、もう一度、僕に手を差し伸べてくれるだろうか。

ああ、そうだ、僕は。

彼女のあの声を、僕は、思い出さなければならない。


「ねぇ、レギュラス。きらきら光る星たちを集めてその光でこの世界を照らせたら、とっても素敵だと思わない?星たちの中には『レギュラス』もいるの。私、この天上にあるどんな星の中だって『レギュラス』を一番最初に見つけてみせるよ。絶対手を伸ばして、あなたの手を掴んで見せる。だからね、その時はね、レギュラス。

手を放したら、ダメだよ」



いつか聞いた言葉は、聞こえるはずもない夜の風の音にかき消されてしまう。目蓋はとうに力を失い、暗闇だけが僕を手招きしているようだ。
名前、もうすぐ僕は星になる。
君の言葉が本当ならば、君は僕を一番に見つけてくれるんだろう。
だからせめて、君が僕を見つけやすいように、この手を、

この手を、



...。oо○ ○оo。...




貴方は愛を知っている人。
家族を誰よりも愛している人。
重たくても、辛くても、貴方はそれを守ろうとする。
たとえ自分がどんなに傷ついても。
だからもし、貴方が暗くて寂しいところに連れていかれそうな時は、必ず私が連れ戻すよ。

だからレギュラス、その時は、

この手を、



(2015/12/30)

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