「跡部くんの写真が欲しいんだよね」

名前の言葉に顔を上げる。机の上に雑多に並べられた人物写真。すべて名前がカメラに収めたものらしい。何か規則を持って並べれているものなのか、神経衰弱のトランプのように散らしただけなのか、俺には判別がつかなかった。
教師の都合で自習になった教室は、雑談に興じるやつ、真っ先に寝るやつ、これ幸いと次の授業の宿題に手を付けるのもの、様々いて、全体が波打つように声が入り混じっていたが、窓際のこのあたり一帯は、なぜかそれらから切り離されているように静かだった。

「…お前、跡部のこと好きなのか?」

気になったことを、やっとのことで尋ねてみた。自販機で買ってきた無果汁炭酸が缶の淵でしゅわしゅわと音を立てている。名前は造作もなしに頷いた。

「うん。かっこいいよねぇ跡部くん。写真撮らせてもらえないかなぁ」

名前の視線は先ほどから窓の外に向けられたままだ。グラウンドでは、跡部のクラスがサッカーをしているところだった。ここから見てもすぐに見つかるその姿を、今名前も見ているのだろうと思うと、なんとなく靄靄とした。

「…今度、撮ってやろうか、写真」
「ん?」
「写真。一緒にさぁ、跡部と」
「えぇー」

俺の提案を、名前は笑った。こちらを向いて俺の顔を見た名前は、かぶりを降った。ハの字の眉は困ったような、呆れたような、普段からはっきりとしているこいつにしては微妙な顔をしていた。

「やだなぁ、私が写ってどうするのよ。私は跡部くんの写真が欲しいのに」
「…あ、そ」

釈然とはしなかったが、それは飲み込んだ。名前は俺の問いに対しては否定をせずに頷いた。名前は昔から嘘をつくこと嫌うやつだ。だから、きっとそういうことなのだろうと思う。その事実は何故か飲み込むのを躊躇ってしまった。

「あ、ねぇ。どれがいいと思う?」

机の上の写真の山を、粗雑にこちらに推しつきてきた。結局これらの並びは無作為だったのだと知る。名前が指差す写真を覗き込むついでに、缶を口元に運ぶ。頭の中を巡るのは、名前と、それからグラウンドでボールを追っているあいつのことだった。

いつの間にか炭酸の抜けたそれはひどく物足りない味がしたのを憶えているのに、その時差し出された写真には誰が写っていたのか、俺は思い出せないでいる。


**


「いい加減、俺様をダシに使うのをやめたらどうなんだ」

 頭上に降ってきた声に顔を上げる。口ぶりこそ怒っているように聞こえるが、別に起こっているわけではないことを、私はよく知っていた。へらりと笑うと、あきれたようなため息と共にひと睨みされた。

「あは、バレてた?」
「バレてるも何もねーだろ」

 跡部くんは芝生の上にしゃがみ込んだ私と並ぶでもなく、一歩離れたところに立ったままだった。ジャージではなくて制服姿で立っている氷帝の王様は、いつもと変わらない態度を崩さない。

「跡部くんさぁ」
「アーン?」
「その髪さぁ…坊主とは言わないよね」
「うるせぇ」
「でもその髪型、私は好きだな」

 まるで宍戸みたい。そうこぼすのを跡部くんは聞き逃してなんてくれなくて、今度こそ怒気を孕んだ視線が頭上に刺さって首を竦めた。しかしそれをすぐに収めた彼は、もう一つため息をついた。

「いい加減、はっきりしたらどうなんだ」

 跡部くんのこういうところに、私は素直に好感を持てる。一見不遜な態度を崩さない彼は、自分の懐の中に入れた人間には意外と優しく、そしてお節介焼きだ。委員会を通して接点の増えた彼のそんな一面を知って、私の跡部くんに対する高感度は飛躍的に上がったと言っても過言ではない。
もちろん、友人として、だけれど。

「うーん」

 両手で包み込んだデジタル一眼を指先でひと撫でする。父親にプレゼントしてもらったこのカメラは、写真部、そして報道委員として私の仕事の相棒として定着している。電源を入れて画面を操作する。そこに映る風景に、私の口角は自然と上がった。

「あ、そうそう。撮影許可、ありがとね。テニス部のことばっちりカッコよく映したから安心して!」
「…おい、聞いてるのか」
「特に跡部様ね!」
「テメェな」

 端正な顔の眉間にしわが寄る。その様子がなんだか可笑しくて笑うと、さらにしわが深くなったのでやめておいた。天下の跡部様の眉間のしわを深くした罪で有罪判決なんて出ようものなら、私はこれから生活できなくなってしまう。なにより、私はこの跡部くんの友人兼ファンを自称しているので、今後試合観戦出禁にでもなったらたまったものではない。

「あ、ねぇ、跡部様、私喉乾いたなぁ」
「…俺様をパシリに使うとはいい度胸じゃねーの」
「いいじゃん、どうせ突っ立ってるんだし。何でもいいから買ってきてくださいよ、跡部様」
「気色悪い呼び方するんじゃねぇ」

 不愉快そうに顔を歪めながらも、なんだかんだ踵を返してくれるあたり、やっぱり跡部くんは優しい。その背中をちらりと見送ってから、手元のカメラに視線を落とす。そこに映っているのは先日のテニス部の試合風景だ。
 暑い日だった。サスペンデットゲームとなった次の日は特に、前日の雨の所為もあり、蒸し風呂のような環境だった。そして、それは決して気温だけではなく、選手双方から放たれる熱気、ギャラリーの熱気、すべてがその場の温度を上げる要因だった。
 カメラを構え、ファインダーを覗く。その光景はまだ鮮明に思い出せる。その熱を私にもわけてくれと、シャッターを切った。何度も、何度も。太陽が焦がす炎天下、汗ばんだシャツは不思議と気持ち悪くはなかった。けれど、どうしてだろうか。どんなにズームしても、シャッターを切っても、ファインダーを通して見た彼の姿は随分と遠くに感じた。彼は一度もこちらを振り向かなかった。たぶん一度も私に気付くことはなかった。大きな熱のうねりの中、ボールを追いかける横顔は、きらきらと輝いていた。私は、それをとても美しいと思った。
 気が付けば、消費したメモリの大半は件のダブルスの試合ばかりになっていた。もう何度も見返しているけれど、見るたびに胸の奥が熱くなるような気がした。いつもならすぐに現像してしまうのに、なぜだか勿体なくてずっと画面の中に閉じ込めたままにしている。

「ほらよ」

 いつの間にか跡部くんが戻ってきていて、その手には見覚えのある缶が握られていた。跡部くんの手には不釣り合いのような気がしてちょっとだけ可笑しかった。

「ありがとう」

 受け取ってプルタブを引く。炭酸の抜ける独特な音が、鼓膜を揺する。宍戸がいつも自販機でこの無果汁の微炭酸を買うのを、私はずっと前から知っている。

「校内新聞に載せる写真、迷うなぁ」
「期待してるぜ、報道委員長」
「まあそう急かしなさんな、生徒会長」

 跡部くんの軽口を受け流しながら、缶を口元に運ぶ。しゅわしゅわと喉を刺激する感覚と、舌に残る甘さに、すぐに口を離した。やっぱり炭酸は苦手だ。

 夏休み前、宍戸に校内新聞に載せる写真を選んでもらったことを思い出す。あの時も宍戸の手には今私が手にしているものと同じ柄の缶が握られていて、宍戸はそれを美味しいとも不味いとも言わずにただ口に運んでいた。
 幼稚舎から一緒の男の子。たぶん異性の同級生では一番近くてそれは向こうも同じと思っているはずだ。自分の進むべきものをちゃんと見据えている彼はいつの間にか眩しい存在になっていて、どんどん私の知らない宍戸になっていった。でもいつもまっすぐにこちらの目を見てくる彼は、やっぱり変わらない宍戸で、そんな彼といつしか顔を合わせることが気恥ずかしくなっていった。あの日も、なんとなくそれを悟られたくなくてグラウンドの外を眺めていた。

 ふと、顔を上げるといつの間にか跡部くんはいなくなっていた。取り残された私はアルミ缶とカメラを握りしめて、再び回想した。
机の上に並べられた写真。私が切り取った空間の記録。どれがいいと思う?私が訊ねる。宍戸が机の上を覗き込んで、何か言った。場面をもっと鮮明に思い出したくて、私は目を閉じた。

 しゅわしゅわと、炭酸が抜けていく音がする。あの時、宍戸が指差していた写真には、誰が映っていたのか。

どうしてだろう、思い出せない。







(K.K as 宍戸亮)


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