「よー、お疲れ」
「…お疲れ」

 やっぱりまた会ったな。そう言って笑う丸井くんはこの間のようにラケットバッグは持っていなかった。先日「またね」と言って別れたとはいえ、当たり前のように声をかけられて内心心臓がバクバクいっている自覚がある。果たして私は今どんな顔をしているんだろうと少し不安になる。変な顔をしていないといいと思う。

「丸井くんは帰りいつもこの時間なの?」
「あー、たまに?中森は?」
「私も、たまに」
「へぇ」

 ……しまった、会話が終わってしまった。仕方がないので、ホームの屋根の合間から見える、半分がオレンジ色に染まり始めた空を見上げる。どうにも居心地が悪い。丸井くんはなんでこうも自然にパーソナルスペースに入ってくるんだろう。ついこの間再会したばかりだよね、私たち……。

「あ!そういえば、」
「えっ」

 黙って空に視線をさまよわせながら早く電車が来るように祈ることに集中していたせいか、急に飛び出した丸井くんの声に肩を揺らしてしまう。それをみた丸井くんはけらけらと笑っている。

「この間も思ったけど、中森ってそんなビビりだったっけ?」
「…いや、うん、ごめん。普通にびっくりした」
「わりぃ、普通に俺がでかい声出したからだよな」

 素直に謝られてしまうと逆に気まずいんだけどなぁ……と心の中で呟く私をよそに、鞄からスマホを取り出した丸井くんがそれをこちらに差し出してきた。

「この間きけなかったからさ、よかったら連絡先教えて」

 差し出された画面にはすでにQRコードが表示されていて、もしかしなくても私が読み込む側である。返事もそこそこに、あわあわと自分のスマホを取り出して彼のスマホ画面の上にそれをかざす私は傍からみたら完全にビビりに映っていることだろう。
 “新しいともだち”の欄に表示された、“丸井”の文字と美味しそうなケーキのアイコンを眺めていると、「適当にスタンプとか送って」という声が降ってきたので、あわててトーク画面を開いた。

「ん、さんきゅー」
「ううん」

 慌てて送信したスタンプはあんまり可愛げのないキャラクターものだったけど、丸井くんは気にしていないふうだった。……こうやって私の連絡先を聞いてきたのも、ただ中学高校の同級生と再会できたからという意外に特に他意はないんだろうなぁ。と考えたところで、ふと我に返る。いや、それ以外に他意があったところでどうするというんだ、私。彼がスマホをしまうのに倣ってわたしも自分のをしまう。丁度そのタイミングで電車が到着するアナウンスがホームに響いた。

「今日は丸井くん、テニスの道具は持ってないの?」
「ああ、今日はバイトあるから」
「そうなんだ」
「中森はなんかバイトやってねぇの?」
「やってたけど、この間やめちゃった」
「え、なんで」
「バイト詰め込み過ぎて留年しかけたから…」
「まじ?中森頭いいイメージあったからなんか意外だな」

 そろって電車に乗り込むと、それなりに人は多かったが満員電車というほどでもなかった。車内のアナウンスや周りの乗客の声、足元から伝わる振動が徐々に緊張をほぐして、会話は進んでいく。

「てか中森ってT大だよな。何学部?」
「薬学部だよ」
「ほら、頭いいやつじゃん」
「別にそんなよくないよ。…もともと数学苦手だし」
「あー、そういや中学んとき数学の追試受けてたもんな」
「……え」

 しかし、丸井くんの何気ない一言で、ようやく鎮まりかけていた鼓動がもう一度跳ねる。が、それは電車の振動に掻き消されて丸井くんに気付かれることはなかったようだった。

「てかバイトって何やってたんだ?」
「えっと、隣駅のカフェで…」
「まじ?俺のバイト先とちけーんだけど」
「そうなの?」
「俺そこの隣のビルの3階にある…」
「塾?」
「そー、塾講」

 そういえば中学生やら高校生がよくバイト先で勉強していたのを思い出す。なるほど、その中に彼の教え子がいたのかもしれないと思うとつくづくこの1年間で一回も遭遇しなかったのが逆にすごいくらい、生活圏が被っていたんだなぁと思う。
 気が付くともう次が降りる駅だ。てっきり丸井くんは電車に乗ってそのままバイト先に向かうのかと思いきや、一旦かえって着替えてから行くのだと言う。制服がバイト先の更衣室に置いてあった自分とは違う…先生も大変だね、と言うとまあな、と返事が返ってくる。そうこうしている内にドアが開き、丸井くんと並び立って駅のホームに降りた。

「ああ、そうそう」

 ICカードを改札にかざして数歩歩いたところで、この間のようにそのまま別れるものだと思っていたら、丸井くんがぱたりと足を止める。

「どうしたの?」
「この間一緒にいた後輩……えっと、赤也…切原赤也、わかる?」
「さすがにわかるよ」

 こちらから一方的であったが前々から聞いていた彼の人物像は、実際に対面した後の印象とそう大きく変わらない、人懐っこい笑顔を思い出しながら頷く。
 私の肯定に対してなにやら神妙に頷くと、丸井くんは口を開いた。

「その赤也がさ、中森の連絡先知りたいって」
「……ん?」
「いや、まあ……そういうことなんだと思うんだけど」

 丸井くんの目がどうする?と聞いている。言外に彼が言わんとしていることに、わからないふりができるほど、私は鈍感になれなかった。丸井くんと会ってから延々と心臓に悪い思いをしているが、一周回って私の頭の中は急激に冷えていくような気配がした。…なんだ、他意はあったんじゃないか。
 ポケットの中でスマホがバイブレーションする気配を感じて、ちらりと画面を覗く。表示されている名前が目に入った瞬間、さらに自分の思考が冷静になっていくのがわかった。

『なんやテンション上がっとる?ええことでもあったん?』

 忍足くんの言葉を胸の中で反芻して飲み下す。私は、何を浮足立っていたのだろう。頭から冷水を浴びて、夢から醒めたような気分だった。

「ごめん、丸井くん。……私、」

 私は、丸井くんに何の他意を期待して、何にがっかりしているんだろう。

「……私、彼氏いるから」

 自分の言葉に、心臓が重く痛む。私はいつまであの頃を引きずって、いつになったら終われるのだろうか。



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