講義室はまだ一つ前の講義を受けた学生が半数を占めているようで、教授の姿はすでに見えないものの、聞きなれない単語がいたるところで飛び交っていた。友人たちに頼まれ一足先に来てみたが、目の前の光景からまとまって席を確保できるスペースを捜すのに難儀しそうだとわかり、少し肩を落とす。

「あれ、中森さんやん」

 奥の方の空間に走らせていた視線を少し下に向けると、見覚えのある顔がそこで手を振っていた。

「忍足くん」
「奇遇やな。次ここの教室なん?」
「そう。先に席を取っておこうと思ったんだけど、まだどこも席がいっぱいそうだから」
「俺、人待ちしてるだけやし、もうすぐ移動するから、よかったらここ使いや」
「そう?じゃあお言葉に甘えて」

 忍足くんの周りの席にはぽつぽつと鞄が置かれており、どうやら休み時間に入っていったん席を外した友人たちを待っているだけのようだった。忍足くんが雑にその鞄たちをどかしてくれた机の上に、友人たちから預かってきた席取り用のノートを置いていく。私はそのまま忍足くんの隣に座った。

「ちょっとだけ久しぶりだよね。医学部との合同授業も今年度はなさそうだし」
「せやな。そっちも元気そうで何よりや」
「うん、なんとか進級出来たって感じ。留年するかと思ってひやひやした」
「中森さん、相変わらず数学苦手やもんな」
「……その節はお世話になりました」

 理系に進学したくせに、私は数学が元々苦手だ。入試ですっぱり数学からは手を引いたと思ったのに、いざ大学の講義がはじまってみると当然のように数学の講義があって気を失いそうになったのは去年の丁度今頃だ。そんなこんなで、医学部に進学した忍足くんに、試験前どうしても解けない問題を教えてもらったという経緯を思い出し、おどけて手を合わせながら忍足くんを拝むと、忍足くんは面白そうに笑った。

「なんやテンション上がっとる?ええことでもあったん?」
「え、そうかな。あ、忍足くんに久しぶりに会えたからじゃない?」
「随分うれしいこと言ってくれるやん、お嬢さん」

 冗談に冗談で返してくれる、この会話のテンポは気分がよかった。気分が乗ったついでに私は口を開く。

「あ、久しぶりに会ったと言えば…この間、高校の時の同級生と偶然会ったの」
「へぇ。高校ってことは立海の?」
「そう。S大に通ってるんだって。私知らなくてびっくりした」

 先日再会した丸井くんの顔を思い出す。

『先輩、この人誰っすか?』
『ああ、俺の友達』

 友達っていうのは、私にとって忍足くんのような存在だと思っていたけれど、丸井くんにとっての定義は私とは少し違うんだろうな、と改めて思う。そもそも異性の友人が少ない私にとって、忍足くんの方が珍しい存在なのだろう。

「立海も学年の人数の規模がちゃうもんな。いちいちお互いの進路なんかわからんよな」
「忍足くんのとこも?」
「せやなぁ。高3の時に同じクラスやったら多少は…内部進学が半数やけど」
「うちもそんな感じだな」

 立海大付属。大学付属の名の通り、立海大学にそのまま進学する人も多く、それが目的で中学受験をして入学する人が大半だった。ただ、ひと学年当たりの人数も多い学校ゆえに、卒業後の全員の進路を知るのは難しい。同じ学年であっても中高6年間で話したことのない人がいるレベルなので、それも当たり前といえばその通りなのだけれど。立海大に進学する人が大半とはいえ、私のような他の大学を受験する人数もそれなりにいたはずだ。

(…なのに丸井くんは私のことを覚えていて、声をかけてくれたのか)

「…あ」
「どうしたの?」
「…あいつら人のこと置き去りにして先に学食行きよった」
「あらら」

 どうやら待っていたはずの友人たちは、忍足くんに荷物を押し付けて先に目的地に向かってしまったらしい。スマホに視線を落としながらため息を落とした忍足くんは、先ほど雑に避けていた鞄を、さらに雑に持ち上げる。

「というわけで、俺はそろそろ行くわ」
「うん。またね」
「ほな」

 去っていく背中を見送って、鞄からスマホを取り出すと、ちょうど友人たちからLINEが来たところだった。もうすぐ到着するというメッセージに席取りできている旨を返信して、改めて周囲を見渡すと見知らない他学部の人たちの割合が減り、見覚えのある同級生たちが集まり始めている。

 この大学に入学して丸1年経つが、実習で同じ班になったりしたとしても親しくなれるのは一握りだ。さすがに同級生ということは顔をみればわかるが、名前や何のサークルに所属しているとか、そこまでは知らない人がほとんどで、やはり私にとってはその一握りに対してしか、“友人”という呼称を使うのに躊躇してしまう。

 …だから、この間の丸井くんの言葉に浮足立ってしまうのは、価値観のズレによる単なる錯覚みたいなものだ。

「由依〜!」
「席ありがとう!」
「ううん、大丈夫だよ。お疲れ」

 開けっ放しの講義室のドアから顔を出した友人たちに笑顔を向けながら、私は自分に言い聞かせる。



 講義開始まであと10分。学生たちの往来が未だにざわめく窓の外は、いつも通りの平和な午後だった。



×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -