よく、晴れた日だった。
生徒数の多いこの学校の卒業式は、証書をもらうだけでもかなりの時間を要した。急に訪れた春の陽気は、卒業という節目を迎える何人かの緊張を、眠気に変えながら体育館を流れていく。私はそれをただ眺めていた。

「由依」

 式は滞りなく終わり、ある人は部活の後輩との別れを惜しみ、ある人は担任の教師から激励をもらい、ある人は憧れの人の元へ思いを伝えに、散り散りになった人の波は夕陽が赤く染まる頃には影もまばらになっていた。
 呼ばれた声に振り返る。制服の胸元にあったはずの黄色い造花はなくなっている。きっと部活の後輩にでも渡したのだろう。彼が部員に慕われていたことは、私もよく知っていた。

「すまない、待たせたかな?」
「ううん。大丈夫」

 誰もいない教室に、二人分の影が伸びている。黒板は色とりどりのチョークによってクラスメイトのメッセージやイラストがびっしりと並んでいた。私の視線をたどったのか、自分のところもこんな感じだったと、苦笑するその顔は、どうやら何かを探しているようだった。

「…由依は何を書いた?」
「うーん…どこに書いたかな。自分でももうわからないや」
「まあ、これだけびっしり書いてあればわからないか」

 私の筆跡を見つけることをどうやら諦めたらしい。黒板の表面を滑っていた視線が、ゆっくりと私のものと合う。そろそろ行こうか、と差し伸べられた手に、自分の手を重ねた。その指先は少しだけ冷たい。
 オレンジ色に染まる廊下を、肩を並べて歩いた。昇降口までの間、私は教室の黒板の文字たちを思い出していた。桜の花が満開を迎え、ピンク色の雨が降る頃には、あの黒板は次の生徒たちのために、あのカラフルなチョークの軌跡を微塵も残さず、あの黒板のメッセージたちは綺麗に消されてしまうのだろう。当たり前のことだけれど、それが寂しいことのように思えてしまう。

「由依」

 一足先に靴を履き替えた彼が、昇降口のドアを開けて待っている。ありがとう、とお礼を言って、外に出る。
 季節は春。よく晴れたこの日は、夕焼けもとてもきれいな日だった。
 教室の黒板の、クラスメイトたちの言葉の隙間にひっそりと書いた自分の文字を、もう一度だけ思い出す。誰も読まれず誰にも気づかれないだろうそれが、そのままきれいに消えてしまうことを静かに願いながら、再び彼の手を取った。



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