「よー汐崎〜」
「…仁王くん」

 ヒョウテイ学園の人が来た次の日も、私は花壇の前にいた。背丈も伸びて、大部分の蕾が開き始めている向日葵と見てふと思い立ち、じょうろを使わずにホースの口を指で潰しながら、向日葵の背丈に合わせて水を撒いていると、後ろから気の抜けたような声が聞こえた。
 振り返ると、仁王くんは声色通り、力なくへにゃりと笑ったかと思うと、花壇横の木の木陰にストンと腰を落とした。

「あ゙ーっづ〜…」
「部活?」
「おん…」

 芥子色のウエアの胸元をバサバサと仰ぎながら、仁王くんが長めの前髪をかきあげる。

「なんでまたこんなとこまで…」
「汐崎おるかな〜って」
「…そう」
「リアクション薄いのぅ」

 へらりと笑った仁王くんはちょっと休憩、と呟いて前髪をかきあげていた手でそのまま自分の両目に手を当てた。まあ、確かに直射日光を遮るものもないテニスコートより、木陰のあるこちらのほうが涼しいだろうけれど。
 そんな彼の様子を横目で見ていると、手の隙間から仁王くんの片目がちらりと覗き、視線がばっちり合った。思わず肩を揺らすと、それを見た仁王くんはなんだか面白いものを見たように口角を上げた。

「昨日、テニスコート見に来とったじゃろ」
「…え、気づいてたの?」
「おん。真田と跡部が試合しとった時、なんかじょうろ持った奴が突っ立っとるなーって」
「昨日の人、跡部くんて言うんだ」

 まさか気づかれていたとは思わなかった。視力は決して良くも悪くもないが、距離的に真田くんと誰かが試合をしていることしか、私はわからなかったのに。というか、まさか私そんなに目立っていたのだろうか。

「…跡部のこと知らんかったんか」
「だって私テニス部とほとんど関わり無いもん」
「興味もない?」
「興味…ないなぁ」
「ほーう」

 仁王くんはいつぞやのように自分から疑問符を投げかけておいて、関心とも呆れとも言えない微妙な顔をしていた。



 水道を捻って、ホースから噴射させていた水を止める。そこで、はたと気づく。

「…仁王くん」
「なんじゃ」
「休憩はいいけど、水分摂った?」

「……」
「……」

「スポドリ置いてきた」
「…バカじゃないの」
「ひどいのぅ」

 休憩しに来て飲み物忘れるとか、それスポーツ選手としての自覚が足りなさすぎる。バカと言われても文句は言えないと思う。ただでさえこの炎天下の中、水分摂らなかったらこのいかにも暑さに弱そうな男子は一発で倒れそうだ。
 ちょっと待ってて、と仁王くんに声をかけて、私は一番近くの自販機に走った。制服のポケットから小銭入れを引っ張り出して、150円を投入する。ガタンと音を立てて落ちてきたペットボトルは、引き返す道のりであっという間に結露が浮かんで私の手を濡らした。

「はい。この暑さで水分摂らないとか、だめでしょ」
「…ははっ」
「笑い事じゃないでしょう」
「あんがと」
「…どういたしまして」

 笑いながらペットボトルを受け取った仁王くんは、すぐに口をつけた。彼が飲み口から口を離した時、中身はすでに半分以下にまで減っていた。

「しかし、よく気が回るのぅ、汐崎」
「…そうかな」

 仁王くんに言われて首をかしげる。別に、そんなことはないと思う。さほど几帳面というわけでもないし。ただ、この暑さで熱中症にならない術くらいは身についているだけの話だ。几帳面ではないが、体調管理に無頓着なわけでもない。

「部活、何もしとらんやったっけ?」
「うん。帰宅部」
「惜しいのぅ。なぁ、テニス部のマネージャーやらん?」
「やりません」
「即答か」

 ケラケラと笑った仁王くんは、最初から私の返事など想定していたに違いない。
 …ただ、ほんの少しだけ、残念そうな顔をした気がしたのは、あまりにも都合の良すぎる解釈だろうか。

「おーい、仁王!」
「…呼ばれてるよ、仁王くん」
「…呼ばれとるな」
「練習戻ったら?」
「んー…」

 そんなにここの木陰が気に入ったのか、生返事だけ寄越して腰を上げる素振りを見せない仁王くん。

「おい、仁王こんなところに…あ、汐崎」
「あ、桑原くん」
「すまねぇな、仁王が迷惑かけたか?」
「そんなことないよ。ほら、仁王くん練習戻りなよ」
「……仕方ないのぅ」
「ほら、早く戻らねぇと真田がまた…」
「はいはい」

 桑原くんに引っ張り起こされて、しぶしぶ仁王くんは立ち上がる。立ち去り際に、ほとんど中身も残っていないペットボトルを掲げて振り返った。

「これ、ごちそーさん」
「…はいはい」

 苦笑して、仁王くんと同じような台詞で芥子色のユニフォームを見送る。彼らの姿が見えなくなる頃、額から流れ落ちる汗の気配に、ようやく自分も長いこと夏空の下に居すぎたことに気付いた。早くあの冷房の利いた図書室に戻ろう。結局使わなかったじょうろを拾い上げ、なるべく日陰を辿りながら校舎への道のりを急いだ。

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