テニス部が関東大会で準優勝したと聞いたのは、終業式の時だ。

 ざわついた生徒達。代表として壇上へ上がった真田くんへ向けられた視線は、いつもその背に向けられる羨望と敬意だけでは決してなかった。部活をしていない私でも知っている。これまでの、特に私の代からのテニス部の実績。ずっと知り得る限りで無敗を貫いてきたテニス部の、『準優勝』。

 壇上で賞状を受け取った真田くんの背筋は、普段通りピッと伸びている。遠目から見た表情も、いつもの厳格そうな表情を崩さない。特別誰に向けられているというわけではない。ただ、向けられた生徒達からの視線は、一つひとつは些細でも、重なったそれはおそらくとても重たい。

 ちらりと、隣のクラスの方を見る。銀髪はやはり目立ち、すぐに見つかった。私が立っている場所からだと、彼がどんな表情でそこに立っているのかわからない。真田くんとは違い、ほんの少し前かがみのその背中に、少しだけ胸が苦しくなる。


「夏じゃな」


 あの時、そう言った彼は、一体どんな思いを抱えていたのだろうか。





 8月。

 駐輪場に自転車を停め、大きく息をつく。あまりの暑さに一つに結いた髪のおかげで熱気に晒された首筋から、汗が止まることなく流れ落ちていった。…こんなことなら、バス代ケチらなければよかった。

 普段の授業よりよっぽど重量の小さい鞄をカゴから引っ張り出し、図書室に向かう。約束通り、鍵は開いていた。ここを開けたはずの司書の先生本人は見当たらず、しかし冷房がつけっぱなしになっているところを見るとたまたま席を外しているだけのようだ。汗をかいている状態だとさすがに冷房直下の席は冷える。なるべく直に冷風の当たらない席に鞄を置く。これで今日一日、ここが私の指定席となる。

 図書室から出ると、一気にむわりと湿った熱気が顔を覆う。一度涼しいところに入ってしまうとこの反動にものすごく気力を奪われる。図書室に戻りたい気持ちを無理やりに無視して昇降口まで元来た道のりを戻る。足取りはほんの少しだけ思い。

 夏休み真っ盛りだというのに、部活の盛んな立海は今日も様々な方向から掛け声が飛び交う。ますます騒がしくなった蝉の声と張り合っているのだろうかと思うほど。もはや手馴れたもので、用具入れからいつものじょうろを取り出す。なるべく、日陰を踏みながら花壇へと向かう。

 一際大きな歓声が上がったのはその時だった。
 思わず振り返ると、どうやらその元はテニスコートらしかった。

「おい、聞いたか、テニス部に氷帝学園の奴が乗り込んできてるって!」
「まじかよ!行こうぜ」

 バタバタと駆け抜けていく生徒。はて、ヒョウテイ学園ってどこの学校だったか…。野次馬に紛れて、そうっとテニスコートを覗き込む。遠目に見て、どうやら誰かが試合をしているようだった。あの後ろ姿、黒い帽子は…たぶん、真田くんだ。その相手が、おそらく噂のヒョウテイ学園の誰かさんなのだろう。この距離からだと、フードを被っていることもあり、顔までは確認できなかった。テニスはめっきり詳しくないけれど、真田くんが全国区の選手であることは知っている。その彼と試合が成り立っているのだから、相手の人も強いのだろう。いつの間にか、暑さも忘れて私はテニスコートを見続けていた。

「…これは困った事態だなぁ」

「…えっ?」

 不意に、隣に人の気配がした。振り返ると、目に入った芥子色のジャージ。しばらく、顔を見ていない人物がそこにいた。

「ゆ、幸村くん?!」
「やあ、汐崎さん。久しぶりだね」

 にっこりと笑った幸村くんは、委員会?と私の手に持ったじょうろを指差した。そこで気づく。そうだ、私水やりに行く途中だった。

「…うん、そう。花壇の水やりに。幸村くん、いつ退院したの?」
「この間ようやくリハビリが終わってね。終業式には、間に合わなかったけど」
「そうだったんだ。…よかった、元気そうで」
「汐崎さんもね」

 さて。幸村くんはテニスコートに視線を戻した。彼の目は少しだけ細められ、たった今私に向けられていた優しい笑顔は一瞬にして影を潜めた。

「あの試合を止めてこないと」
「え、止めるの?」
「うん。あのままだと、真田が負けるかもしれないからね」
「…強いの?相手の人」
「彼も全国区だからね。…とはいえ、彼もまた強くなっている」

 委員会で見た彼の表情とは違う、きっとこれが立海テニス部部長の彼の一面なのだろうと思った。幸村くんはそのままテニスコートの方へと降りていってしまった。コートのフェンスの入口から中へ入っていく幸村くん。そこまで見送ってから私も踵を返した。



 花壇の土はやっぱりカラカラで、昨日ちゃんと先生は水遣りをしたのだろうかと不安になった。しゃがみこんで、じょうろにホースから水を入れながら、蝉の大合唱に耳を傾ける。ジィ――…ジィ――…熱気と騒がしさでクラクラする。一瞬、ホースから出る水をそのまま頭から被りたい衝動に駆られた。…いや、この間の切原くんみたいな状態に、自らなろうとは思わないけれど。

「…?」

 ザッザッザッ、砂を踏む音が聞こえてくることに気づいたのはもうだいぶその音が近づいてきてからだった。誰かが小走りにこちらに向かって駆けてくる…というより、これはそのまま走り去る速度だ。振り返ると、その人は、先ほどテニスコートにいた、ヒョウテイ学園の人だった。思わず反射的にその場に立ち上がる。

 その人はちらりとこちらを一瞥した。そしてやはり足を止めることなくそのまま走り去っていった。アイスブルーの瞳と交錯したのはほんの一瞬だったのに、無意識にひゅっと喉が鳴った。すっぽり被ったフードから覗いた顔は、鼻筋の通った綺麗な顔立ち。しかし、その眼光は、真田くんと似ていると思った。あの日、『準優勝』と書かれた賞状を、全校生徒の前で受け取りながら、様々な意味のこもった多くの目を向けられながら、それでも決して崩すことのなかったあの真っ直ぐな眼差し。

「…あ、やば」

 立ち上がった弾みでホースの口がじょうろの口から外れて足元の乾いた地面に水たまりが出来かけていた。慌てて水を止めて、ふと先ほどの人影が去っていった方向を振り返る。その姿はもうだいぶ遠く彼方にあり、きっともう二度とあのアイスブルーの瞳と、あの眼光を持つ人に会うことはないのだろうと、その時は思っていた。

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