「……うん、我ながらフットワークがバグってる気がする」

 思わず呟いた小さな声はあっという間に雑踏に紛れていって、行き交う人の耳にはもちろん、自分の耳にもかすかにしか届かなかった。
 学校の掲示板に貼り出されたトーナメント表、そのすぐ横に貼り出されていた全国大会のポスターに書かれていた東京の会場。ケータイの電源を入れて、こっそり写真に撮ったその会場名と最寄駅が今立っているこの場と相違ないことを確認する。はじめて降り立った駅は、当たり前だけれどスーツを着た人から、大学生くらいの人まで、様々な人が行き交っていて、いつも通り制服を着ている自分が、もしかして場違いだっただろうかとちょっとだけ不安になる。……同級生の試合を観に行く格好の正解がわからなかったのだけど、大丈夫だろうか。
 ICカードが入ったパスケースとケータイと財布だけを入れた小さいメッセンジャーバッグのショルダー部分を左手で握る。ちょっとだけ潮風の匂いがして、なんとなく緊張がほぐれた気がした。

 仁王君は、別に来て欲しいわけじゃないと言っていたけど、私はあの時彼に「頑張れ」の一言も言えなかったから、あわよくば試合が始まる前に…なんて、こんなところまで来てしまった。……やっぱり暑さでおかしくなったとしか思えない。テニス部はおろか、テニスというスポーツにだってとんとご縁がなかったのに、1人の同級生のために電車を乗り継いでここまで来るなんて。

 ぐるぐると自分の普段なら発揮されないであろうでたらめな行動力に思考を巡らせていると、芝生の広がる広場の向こうにテニスコートと思しきものが並んでいるのが見えてきた。

(あれ、ちょっと待って)

 そして、その向こう側、大きなアリーナの建物を認識した瞬間、私は重大なことに気付いてしまった。

(どこに行けばテニス部の人たちに会えるの…?いやそれよりもしかして、試合観るのにチケットとか必要な感じ…?)

 小学校の校庭で行われる弟のサッカーを観に行くみたいな、そういう軽い気持ちが無意識下に残っていたのだろうか。アスファルトの上で立ち尽くす私の横を、どこかの学校の制服を着た人たちがチケットを片手に通り過ぎていくのを見送る。学生服の背中を見送りながら、会場はここであってて良かったとか、制服で試合を観に来ても別に浮いてなくて良かったとか、現実逃避しそうになる思考回路に、いやいやいや、と内心ツッコミを入れて静止させる。会場は目の前なのに、せっかくここまで来たのに、あまりにもうかつすぎでしょ。やっぱり慣れないことをするものじゃなかったかもしれない。


「おい」

 茫然とアリーナの外壁を見上げる私の背後から低い声がかかる。道のど真ん中で突っ立っていたから、邪魔になっていることに今更気がついて慌てて端に避けながら振り返った。

「ご、ごめんなさい」
「……その制服、立海の生徒か。こんなところで何をしている」
「えっ、と……」

 振り返ると、とんでもない美形がこちらをアイスブルーの瞳を怪訝そうに細めてこちらを見下ろしていた。なぜか相手は私の制服をみてすぐにこちらの所属がわかったようだが、あいにく私は初対面にもかかわらず不遜な態度の相手のことを判断しかねていた。校章であろうと思われる紋章がシャツの胸ポケットについていて、不躾にならないようにそっと目を走らせると、「HYOTEI GAKUEN」と書いてあるようだ。
 ……ん?ヒョウテイ学園?

「跡部!やっと見つけた…!」

 ちりっと刺さるような既視感を感じていると、アリーナの方から人の流れに逆らうようにこちらに駆けて来る姿があった。ポニーテールを左右に揺らしながら近づいてきた女の子は近くで見るとすらっとしたモデル体型の美人だった。

「レギュラーみんな到着しているのにいつまで経っても来ないから、樺地も探して……って、え、立海の子?」
「ああ、何だか知らねぇがここで突っ立っていやがった」
「他校の女の子に無意味に絡むの、もうやめなよ……えっと、テニス部の関係者ですか?もうすぐ試合始まっちゃうから、急いだほうが良いんじゃないかな」
「えーっと、関係者っていうか、どちらかというと無関係者というか……」
「……?」

 美人さんが首を傾げる。それはそうだ、自分でも何を言ってるんだろうと思う。

「一般の応援ならあっちの入り口から入場で、チケット確認してるみたいだけど……案内しましょうか?」
「あ、いや、えっと……実はチケットいるの知らなくて持ってなくて……」

 美人さんが目を瞬かせて、美形……跡部くんをチラリと見上げる。跡部くんはなぜかその目配せには反応しないまま、私の顔をじいと見てくる。そのアイスブルーの瞳と視線が交錯した時、私はやっと先ほどの既視感の理由に気付いた。そうだ、このひやりとする眼光を私は知っている。ヒョウテイ学園、跡部……この間うちのテニス部に来て真田くんと試合していた、あの時の……!

「……ふん、そういうことかよ」

 私がはっとするのとほぼ同時くらいに、跡部くんは何かを納得したのか、小さくそう呟くと、いきなり私と美人さんを置いてスタスタと歩き出した。彼の靴の先はまっすぐ試合会場に向いている。

「ちょ、ちょっと跡部、」
「せっかく来たんだ、観ていけば良いだろう」
「えっと、でも、チケット……」
「おい、マネージャー」

 慌てた声を出す美人さんはどうやらマネージャーさんだったらしい。マネージャーさんは跡部くんの声に一旦口をつぐんだ。私もそれに倣って、彼のセリフの続きを待つ。

「お前、そいつを連れて関係者口から入ってろ。うちの関係者ってことで手配しておいてやる」

 跡部くんの口から飛び出した突拍子もない台詞に息が詰まる。隣でマネージャーさんも息を飲む気配がしたが、すぐに彼女は小さく嘆息を漏らした。

「……はぁ。わかった。じゃあ先に行ってるから、なるべく早く来てね」
「ああ」
「……え、ちょ、いや、なんかよくわからないんですけど、そこまでしてもらうわけには、」
「うちの部長の気まぐれだから、気にしないで甘えておけば良いと思う。えっと、」
「あ、汐崎です」
「汐崎さんね。……神奈川からせっかく来たんでしょ?跡部もああ言ってるし、試合観て行きなよ」
「……ありがとうございます」

 マネージャーさんに頭を下げる。いつの間にかケータイ片手にどこかに電話をかけながら遠ざかっていった跡部くんの背中に、心の中で同じように頭を下げた。マネージャーさんと軽い自己紹介をしながら連れ立って歩きつつ、私は自分の額を汗が伝うのを感じる。

 私は、私が知らなかった夏から目を逸らさない為に、やっとここまでやってきたのだと、今更実感できたような気がする。会場の白い外壁が夏の日差しを反射してきらりと光った気配がした。

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