名字名前とのファーストコンタクトは3年に進級して2週間ほど経った英語の授業だった。

「ごめん宮地くん、今日の小テストの範囲、どこだっけ?」

 習熟度別でクラスの分かれる英語は、当然着席すべき席も変わってくる。自分の席に着いて復習でもするかとテキストを広げようとしたところで、唐突に声をかけられた。顔を上げると、申し訳なさそうに眉をひそめる、なんとも間抜け面な女子がいた。それが名字だった。

「…45ページから54ページ」
「54…よし、ありがと〜。さっきテストだって気づいてさ、宮地くんが隣でよかった〜」

 初めて言葉を交わした相手だというのに、名字はへらへらと笑いながら話を続けていた。この時の第一印象、『頭の緩そうなヤツ』。特に会話を続けてやる必要性を感じなかった俺は、名字の言葉に一音も返さずに手元の《頻出!受験英語〜必須熟語編〜》と書かれた表紙に視線を戻し、45ページを開いた。
 昨日までにほぼ覚えきってはいたが、たかが小テスト、されど小テスト、手を抜く気はないので最初から一通り目を通しておこうと思っていた。
 そこでふと、さきほどの名字の台詞を思い出す。…さっきテストに気づいたって言ってなかったか?
 他人の心配をするほど、自分はお人好しではないと自覚しているが、ちらりと隣の席を伺う。名字は俺が先ほど教えたページを開いてはいるようだが、慌てる様子もページをめくる様子もなく、気の抜けたような表情でテキストに視線を落としているだけだった。おおかた範囲10ページと授業開始までの時間を考えて諦めたのだろう。後輩の言葉を借りるなら人事を尽くせていない、といったところか。
 名字からまったくにじみ出ていない努力の影に、同じクラスに所属する身としていささか憤りを覚えた。曲がりなりにもここは習熟度別で一番上のクラスなのだ。2年ではクラスが違ったから、彼女のことは何も知らないが、どうせまぐれでこのクラスになったのだろう。きっと次の定期考査で下のクラスに落ちる。
 気を取り直して手元のテキストの文字を目で追う。赤シートで隠しても、隠れた文字がすぐに頭の中に思い浮かぶことに安堵しながらどんどんページをめくっていくと、あっという間に54ページまで到達した。ふわぁ、と隣で間抜けなあくびが聞こえると同時に、授業開始のチャイムが鳴った。


その1ヶ月後、俺は絶句していた。
 掲示板に張り出された定期考査の優秀者リスト。『宮地清志』の名前があること自体には別に慢心ではないが、今更驚くことではないと思っている。問題はそこではなかった。
 『8位 宮地清志』
 『5位 名字名前』
 不意打ちで真横からガツンと殴られたような衝撃だった。別に試験の結果の優劣で人と競いたいと思っているわけではなかった。けれど、なんだ、この敗北感は。脳裏にあの時の名字のふにゃりとした笑顔が浮かんで消える。バスケの試合とはまた違うモヤモヤに、俺の人相はよほどひどいことになっていたらしい。隣にいた木村から「8位じゃ不満なのかよ宮地」と脇腹に軽く肘を入れられた。違う、いや、違わないけど、そうじゃない。

「名前ってば本当にいつ勉強してるわけ〜?あの順位なんなの?」

 教室に戻ると、タイミングよろしく名字と、その友人らしい女子がいるのが確認できた。普段、名字の存在なんてほとんど意識の外だが、今は話が別だ。嫌が応でも耳がそちらの会話を拾ってしまうようで、定期考査の結果に浮き足立つ教室内のざわめきの中、妙にくっきりと聞こえてくる。

「いや、何って言われてもなぁ〜…」
「だって名前ってば授業中だってろくにノートも取ってないし、テストの範囲を1週間前に聞きにくるくせに毎回毎回…」
「え〜…普通に部活終わってから勉強してるだけだけど…」

 間延びした名字の物言いからは、謙遜はないように思えた。ただ当たり前のことをした結果。だからと言って結果に固執している風でもなく、やはり名字はへらりと笑った。ナントカちゃん、と女子の名前を名字が呼んだが、その名前はよく聞こえなかった。

「そっちはどうだったの?英語のクラス上がれそう?」
「たぶん大丈夫だと思う。…名前は英語どうだったの?一応、苦手なんだよね?」
「うん、いつも8割くらい」

 俺はその時、内心安堵していた。総合でこそ順位は俺の方が下だったけど、俺は英語に関しては特に苦手ではない。今回の英語は92点だった。これならひょっとすると、

「でも今回はちょっと頑張ったの〜!ほら!」
「どれ…ハァ?96?!学年2位じゃない!どこが苦手じゃこのバカ名前!!」
「痛い痛い!頭叩かないで!」

 …お察しの通り、俺は二度目の絶句を経験することになった。

 当然のごとく、英語のクラスはまたしても名字と同じクラスになり、あろうことか位置は違えど再び隣になった名字は、俺の顔を見るなり、あの気の抜けたような笑みを浮かべて話しかけてきたのだった。

宮地くんっていっつも授業前とか一生懸命勉強してるじゃない?私、いつもすごいなぁって思ってたんだ。バスケ部だってあるのに、って。だから私も頑張らなきゃって思ってね、今回の英語張り切っちゃったんだ〜!

 また隣よろしくね、なんて笑う名字に生返事をしながら、俺は無意識のうちに次は絶対にこの目の前にいるやつよりいい成績を出してやると考えていた。
 しかし、しばらくして少し冷静になってみると、今まで他人の成績と自分を比較してどうのこうの考えたことのなかった俺は、どうしてこんなにも一人で対抗心を燃やしているのかと思った。それと同時にあの名字の、とても学力の高いとは思えない間抜け面を思い出し、どうにも苛立ちがこみ上げてくる。
 この苛立ちを俺は放課後の部活にまで持ち込む羽目になり、

「宮地さん!なんで今日そんな機嫌悪ぃんスか!?まさか考査で成績落ちたとか、」
「うるせぇ高尾!轢くぞ!」

 むしゃくしゃして少しばかり荒いダンクを決めると、一番うるさい後輩が目ざとく絡んできたので、とりあえず一声怒鳴っておいた。




(2014/08/24)


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