「…あの!山崎センパイ…ですよね?」

 試合会場から一歩外に出ると、黄昏が包んだ空気は随分冷ややかに感じた。それでも、コート内を駆け回った体には丁度いいくらいなように思える。山崎弘はジャージのポケットの中に直で入れてきた小銭を手で遊ばせながら、自販機の前へと歩を進めた。とあるチームメイトの思いつきに、ノリがいいとは思えないような周囲が珍しくノッた結果の雑用という名のパシリだったが、自身のじゃんけんの弱さに対する憤りは控室からここまで来る間にほぼ消化した。ディスプレイに素早く目を走らせる。未だ室内に残るチームメイトたちは、よりによって全員が全員異なる飲料を所望していて、そのことに対して嘆息しつつも、一つ一つのリクエストを思い起こしつつ、山崎は小銭を数えボタンを押していく。背後から声をかけられたのは、ちょうどそんな時だった。

「…あ?」

 声をかけられて反射的に振り返ったものの、そこにいたのは知り合いとして記憶に残ってはいない人物だった。しかも、女子である。山崎は言葉になりそこなった短い音を口から発した状態でしばし硬直した。

「あっ、やっぱり山崎センパイだった!」
「え、あ、おう…?」

 女子は山崎と目が合うや、固まった山崎とは対照的にあからさまに声を明るくした。気圧されながらも、山崎は必死に自分の知人と照合するか考えを巡らせる。制服を見る限り、どうやら霧崎第一…同じ高校の女子であるらしく、そして自分のことを「先輩」と呼ぶのだから1年、だろうか。よくよく顔立ちを見ると、胸のあたりまで流れ落ちている黒髪と化粧っ気はないのにやたら白い肌のコントラストは、外灯に照らされていっそう浮いている。ようするにかなりの美少女であり、もし知り合いにいたとしたら絶対に覚えているはずなのである。しかし、山崎には目の前の美少女と一致する知り合いなど、存在していなかった。

「あー…わりぃんだけど、お前…」
「私、さっきの試合観てて…すっごくかっこよかったです!」
「は……」
「霧崎に入ってから何回かバスケ部の試合を観に行かせていただいてるんですけど…やっぱり山崎センパイのプレーが一番素敵です!他の方が相手のエースの動きを封じている隙に決めたスリーポイントとかもう私ものすごく感動しちゃって…!今から帰ろうかなって思ってたんですけど、センパイがいらっしゃるのに気がついて、つい声かけちゃいました!」
「そ、そうか…」

 清らかでおしとやかな見た目と裏腹に、目を輝かせながら饒舌に言葉を紡ぐ女子に、山崎はたじろいた。美少女に「かっこいい」などと褒められて、嬉しくないわけではないが、如何せんこのような事態には全くと言っていいほど慣れてはいなかったのだ。あいつとかならこういう時にも手馴れていそうだと、紫髪のチームメイトを頭に浮かべた時、ふと目の前で未だに話続ける女子の発言を思い返し、背筋がヒヤリとした。…相手のエースの動きを封じているときに…?

 それは紛れもなく、今日の試合で行われたラフプレーの瞬間のことを指していた。最近の試合から徐々に増え始めたラフプレーという手段。霧崎第一というチームに所属する自分は、自主的にそれを行うことはせずとも、その行為が悪であることを知りつつ、チームメイトを強く諌めたりしたことはない。審判からも見えない、客席から観て目立つものでもない。見えない妨害は存在しないも同義だという、そんなチームの色に染められつつあることも自覚していた。
 しかし、それはチームに席を置き、あくまで勝つための手段として割り切っているからこその考えであり、ラフプレー自体は大衆にとっては紛れもない悪だ。にも拘らず、この女子生徒はラフプレーに対してなんら責めるような空気は一切まとっていなかった。しかしラフプレーに気付いていないわけではなさそうだ。あまりにも淀みなく話し続けているため一瞬流しかけてしまったが、明らかにそれは常識を伴えば異質だった。

「…で、私、山崎センパイのことが好きで」
「……は?」

 思考の中に沈んでほぼ聞き流していた台詞の中から、都合よく拾い上げたその言葉に思わず勢いよく視線を上げる。その拍子に1つボトルを取り落としてしまったが、それに目をやる余裕はなかった。それって、つまりは…。あからさまに動揺した山崎は、自分よりも幾分か低い位置にある双眸に完全に捉えられていた。薄桃色の唇に艶やかな笑みを濃くした女子は、半歩、こちらに近づいてくる。

「センパイ、それで、良かったら…」
「何してんだザキ」

 あともう少しで女子の手が触れる…その間に割って入ったのは、聞きなれた男の声だった。振り向いた山崎の視界には、すっかり陽が沈んだ空を背景に、こちらに向かって歩いてくる花宮の姿があった。

「は、花宮」
「テメェ、自販行くだけでどんだけ時間かかってんだ。いい加減帰んぞ。さっさと荷物取ってこいバァカ」
「あ、ああ。わりぃ。すぐ取ってくるわ」

 呆れと怒りが混在するキャプテンに、とりあえず所望通りの缶コーヒーを渡すと、受け取るや花宮は無言でプルタブを引いた。先ほど落としたボトルの中身は、炭酸ではないことが幸いだった。拾い上げたそれに内心胸を撫で下ろしつつ、山崎は踵を返そうとするが、そこで違和感に気付いた。そしてちらりと振り返る。花宮真が、仮にも霧崎第一の生徒、しかも女子生徒の前で猫を全く被っていない。

「…ンだよ」
「いや、その、花宮…」
「山崎センパイ、良かったらそれ持っていくのお手伝いしましょうか?」

 スッと白い手が伸びてきて、腕に抱えたボトルが数本奪われる。女子はにっこりと笑みを浮かべ、「行きましょう」と山崎を促す。そのまま流されるように足が動きかけたのを制したのは、またしても花宮の声だった。

「名前」

 それはどうやらこの女子の名前らしかった。ますます山崎は混乱した。どうやら花宮と彼女は知り合いらしい。それはわかった。自分の名前を知っていたのも、花宮のチームメイトだからなのだろう。しかし、名前で呼ぶほど親しい間柄とは…?
 女子生徒が花宮を振り返る。未だに綺麗な笑みを湛えた彼女は、静かに口を開く。

「なぁに、まこちゃん」
「お前、ザキなんか毒牙にかけたってメリットねぇぞ」
「やだぁ毒牙なんて人聞きの悪いこと言わないでよぉ」
「あとその気色悪い喋り方やめろ虫唾が走る」
「まこちゃんだって、普段は猫何匹も被ってるくせにー」

 まあいいや。行きましょう、センパイ。事態が呑み込めない山崎のジャージの裾を掴んだ彼女は、あっという間に室内へと導いた。目を白黒させる山崎に気付くと、微笑みを一層深くした彼女は、造作もなく衝撃の事実を言ってのける。

「自己紹介が遅れました。私、まこちゃんの従妹の花宮名前です」
「…『花宮』?!」
「はい、そうです」

 しかし、確かに言われてみれば思いあたる節はいくつかあった。花宮真のあの整った容姿と性格の根底は遺伝だったのかと、驚きのあまり思考が逃避しかける。ということはさっきの会話もからかっていたに違いない。あの花宮の親族であれば頷ける。そう自己完結しかけたところで、彼女…花宮名前は、彼女の従兄が機嫌の良い時に見せる笑みとどことなく似たそれを口許に浮かべながら、やはりあまりに自然な造作で爆弾を手渡してくるのだった。


「あ、さっきのまこちゃんの言葉、鵜呑みにしないでくださいね。私、本当に山崎センパイのこと好きだから、純粋に狙ってるだけなんで。ゆくゆくは私とお付き合いしていただけたらなぁなんて思ってるので、検討していただけたら嬉しいです」



title by たとえば僕が
(2015/04/07)


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