※名前変換ありません



 いつからだったか、この狭い家族…もとい兄弟という名のコミュニティーの中で、一日に一度は誰かが母親の手伝いをするということが暗黙の了解となっていた。字面だけ見れば可愛い兄弟間の約束事のように思えるかもしれないが、自分たちは六つ子、しかも成人男性で一人として職に就いていない、ニート集団。
 普段は「ニートたち」と笑顔で呼ぶ母親だが、生みの苦労も育ての苦労も考えたくないが想像をはるかに超えるものだっただろう。

「なあ、誰か一日一回くらい母さん手伝うっていうのはどうよ」

 たぶん、いつかの母の日か何かだったと思う。そんな提案を自分たち兄弟にしたのは長男だった。それに一も二もなく賛同したのが、次男である、俺。少なからず、面倒をかけている自覚はある俺たちは、結局全員がその案に乗ることとなった。ただし、そんな長男の発言にはある欠点があることに、その当時の俺は考えが及ばなかった。やつは「誰か」が手伝いをしようと言ったのだ。

「…昨日も一昨日も、俺が“手伝い”をしたんだけどな…」

 つまり、昨日手伝いをしたからと言って今日が免除になるわけではないということだ。パーカーの袖をまくりながらついた溜息は、誰に聞かれることもなく消えていった。
 昨日はスーパーへおつかい、一昨日は玄関の掃除。6人そろってニートとは言え、いや、ニートだからこそ、俺たち六つ子は家の仕事だってしたくないのだ。結局毎日押し付け合いになり、運が良ければじゃんけんという最も平和な解決方法に落ち着くのだが、大体はあの手この手を使って自分以外の誰かにやらせたようとする。言い出しっぺの長男おそ松が一番手伝いをしていないのは今更なのでもう置いておく。

「じゃあお母さん、パート行ってくるから。お皿よろしく、カラ松」
「ああ、任せてくれマミー!」

 台所の入り口から顔をのぞかせた母親を振り返る。片手にはスポンジ。今日は察しの通り、皿洗いだ。皿洗いとはいえ、両親と成人男性兄弟×6の皿だ。あっという間にシンクには山ができる量。母親に笑顔で返事をした手前、最後までやりきらなければならないとは思うが、

「まあ…仕方がないか」

 どうせ誰も見てやしない、自分一人だけの空間。素の自分の口から零れた溜息はシンクの底にどんどん降り落ちていく。無意識に止まっていた手を再び動かし始めると、スポンジの泡が再び息を吹き返し始めた。
 我が家の食器洗い用洗剤はその時一番安いものを選ぶためか、毎回変わる。安いものというとほとんどが特別香りの付いていないものが多いから、気分が変わるわけでもないが。たかが食器洗いに気分転換も何もないけれど、もしこれが家族人数も少ない、例えば年頃の女の子の一人暮らしなんかだったら、昨日新商品コーナーに鎮座していたナントカの香りとかいう洗剤の方を選んだりするんだろうか。
 だんだん現実逃避の方向に脳がシフトしていくのを感じたが、皿はまだ半分以上残っている。のろのろと手を動かしながら、脳は好きなように妄想を広げていく。
 例えばそれなりに可愛い女の子…いや、この際むさくるしい男じゃなければいい…で、成人済ニートを養ってくれるような人はいないだろうか。二人なら皿もこんなに大量にないだろうから、食器洗いくらいなら毎日できる。洗濯も、何度か家の手伝いをしたこともあるし、掃除だって出来る。荷物持ちくらいなら喜んでやろう。ちょっとした手伝いと引き換えに、俺を養ってくれるカラ松ガール…うーん…いや、もしかしたら、きっと、どこかにいるかもしれない…!

 思い立ったら即行動したくなる性。早くこの大量の皿と泡とスポンジに別れを告げ、カラ松ガールを探しに街に繰り出さなければ…。作業ピッチを上げようとした、まさにその時。背後でガサリと、ビニール袋が擦れるような音がした。

「ん?」

 母親が忘れ物でもしたのだろうか。振り返ろうとしたとき、スポンジから水が跳ねて、思わず両目をつむる。そうっと目を開けると、目の中には入らなかったようで、想像したような痛みは感じず、ほっとする。そして今度こそ振り返った。

「どうしたんだ、マミー?忘れ物か?」


★★★



 バイト帰りのスーパーが日常として板についてきたのを、素直に喜べない自分がいる。高校生という文字通り制服を脱ぎ捨てたばかりの頃は「華の女子大学生!気ままな一人暮らし!なんかかっこいい!!」などと気楽に考えていたものだけれど、いざその生活に身を投じてみるとわかる。バイトとはいえ仕事終わりに食材を買いにスーパーの自動ドアをくぐることの、何とも言えないしんどさ。既に先に家を出た姉とまだ中学生の妹を含め三姉妹を養いながら毎日そんな生活をしていた両親は本当に偉大だとつくづく思う。

「あなたたちが家を出た時に困るから」

 私たち姉妹に手伝いをさせる時の母親の常套句が頭をよぎる。当時はそんな尤もらしい理由づけしてどうせ自分が楽したいだけじゃんバカみたいだなんて思っていたが、お前がバカだと当時の自分を蹴り飛ばしたい。今学業とアルバイトを両立させながら一人生活できているのは、母親に多少なりと家事に関してしごいてもらったおかげだ。

「あ、そういえば洗剤なくなりそうなんだった」

 明日以降のための食材をカゴに放り込みながら、ふと思い出し店内を移動する。商品棚の一番手前に“新商品 ホワイトフローラルの香り”と店員さんによる手書きポップと共にかわいらしいパッケージの食器洗い用洗剤が陳列していた。新しいもの好きの血が騒ぎ、一本手に取る。今使っているものの値札と交互に見比べ、そのままカゴに放り込んだ。ホワイトフローラルというのがどういう香りなのかはよくわからないが、有名メーカーの洗剤だし、外れることないだろう。まあ一番の理由は“シトラスレモンの香り”に飽きたということなのだが。

 買い物を済ませ、スーパーを出る。春先とはいえ、星のちらつく夜はまだ冷える。ただでさえ今日のバイトは客が多く、いつも以上に動いたおかげで心身ともに疲れ切っている。先ほど買った洗剤が脳裏をよぎるが、本当は皿洗いなんてせずに食べるものを食べ、シャワーを浴びてさっさと寝てしまいたい。ガサリときしむレジ袋を抱え直し、家路を急いだ。 

 ああ、こういう時に「俺が持つよ」とか言って荷物持ってくれる彼氏とか、欲しいなぁ。普段、特別彼氏の存在を欲したこともないくせに、こういう時は都合よく想像の羽根が羽ばたくように女の脳みそはできているらしい。街灯が照らす道を急ぎながら、自分の頭が勝手に初めて妄想に思考を投じる。
 別に難しいことは頼まないから、荷物を持ってくれたり、たまに食器洗ってくれたり、私がバイト行ってる間に洗濯物を取り込んでおいてくれたり…そういうことをしてくれる人なら付き合いたい。私が住んでいるマンションは幸いにも一人暮らしとしては余裕があるくらい(妹が遊びに来たとき狭いのは嫌だと駄々をこねたため)だから、二人住んだところで問題はないだろう。同棲するならせめて、バイトでいいから仕事はしてほしいけど、もう疲れ切っている今は手伝ってくれるなら無職でもいいと思えてしまう。というか純粋に顔が好みなら養ってもいいかもしれない。

 そんなくだらない妄想をしている間に、気付いたら家の玄関の前だった。鞄のポケットから鍵を取り出す。ガシャリと控えめな音と手ごたえを確かめ、ドアノブを回す。

「…ただいま」

 内鍵を回しドアチェーンをかけながら、返事などないとわかっているのもののつい口をついて出てきてしまう。スニーカーを乱雑に脱ぎ捨てて、奥の部屋の窓からもれる月明りを頼りに廊下を進む。
 手探りで電気のスイッチを探し当てる。カチリと音をたてて、室内を人工的な光が包む。暗闇に慣れきっていた両目が反射的に閉じられ、左手に持ったレジ袋がガサリと音を立てる。ほんの数秒後、私はゆっくりと目蓋をあげた。

「…え?」




「どうしたんだ、マミー?忘れ物か?」


 キッチンの奥、シンクに体を向けたまま泡だらけのスポンジを片手にこちらを振り返る、青いパーカーの男。
 疲労と混乱でショートした頭は、とてもではないが正常な判断ができないらしい。私の姿を見て、なぜか唖然としている男の手からスポンジが滑り落ちるのを見届けてから、私は口を開いた。


「…私、あなたのマミーではないです」




つい手を出してしまった。
わかりづらいですが、カラ松がトリップしてます。続くかも?

(2016/03/31)

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