※第2部5章までの若干のネタバレあり


「カドック、最近ちゃんと寝ている?」

 彼女、名前はカルデアの医療班の一人だった。ドクター・アーキマンの元、Aチームの主に体調管理面での補佐を務めていた。年の頃が近い所為か、名前は何かと僕を気にかけて世話を焼いていたのだと思う。

「……全く睡眠を取っていないわけではない。必要最低限は自分で管理しているさ。任務に支障をきたすことはない」
「努力家は認めますけど、無理をしたら本番で十全な力を発揮できないよ」
「僕の力なんて、他のメンバーの足元にも及ばないだろう」
「また、そんなこと言って。だからって、不要ということもないでしょ」

 それに、と彼女は続ける。

「カドックの力はそんなに卑下するほど無力ではないのを、私は知っているから」

 そう言って、名前は僕の前髪の隙間を掻き分け、右手を額に軽くかざす。ひんやりとした指先は、すぐに離れていったが、一瞬触れたそこが軽く熱を持つような感覚を覚えた。

「うん、さっきモニターでも確認していたけど、熱とかはないみたいだね」
「…急に触るな」
「魔術師と言えど、体調管理はやっぱり直に触れないとわからないこともあるから」

 悪びれずそういった彼女はにこりと微笑んで僕の目を覗き込む。名前の前だと、どうしてもパーソナルスペースを乱されがちなことに、少し前から気付いてはいたが、自分が思っている以上にそれを不快に思うことはなかった。

「カドック」
「……なんだよ」
「死なないでね」

 その言葉に何と返したのか、正直覚えていない。何も返さなかった気もするし、何を突然言い出すのかと、真面目に取り合わなかったような気もする。
 ひどく不安そうな目だった。それから起こることを予期していたわけではないだろう。名前はそういったことが得意な部類の魔術師ではなく、少し魔術に理解がある、ただの医療スタッフだ。

「カドックなら、大丈夫だと思うけど。気を付けてね」

 不安そうな目をしながら、そう言う名前の言葉は、何だか暖かい気がして、くすぐったかったことは、なんとなく覚えている。彼女の言葉はそういう不思議な力があるように思えた。少なくとも、彼女が「大丈夫だ」と言ってくれるなら、僕は卑屈な自分を押し込めて、この任務で成果を上げることができるんじゃないかと、そう思っていた。
 
――結果として、少なくともあれを約束とするならば、僕がそれを守ることは叶わなかった。

 あの日、2004年の冬木にレイシフトを行うはず僕は、人理修復に関与することもなく、彼女の言う「気を付ける」ことすらも出来ないままコフィンの中で、

――確実にその瞬間、一度命を手放したのだから。

 ああ、本当に、僕の人生はいつだって、できるはずだったという、後悔ばかりだった。


。*・*・*。



「……その後悔を抱いて生きなさい、マスター」

 思えば、彼女はアナスタシアに似ていたと思う。顔立ちは一切似ているとは思わないし、彼女はただの一介のカルデア職員であって、皇族特有の空気感とは縁遠い存在であったから、具体的に何がと聞かれると返答に困るのだが。

「私は、信じています」
「あなたはきっと、正しく為すべきことを為すと」

 僕の腕の中でアナスタシアは微笑んだ。今にも消えそうなエーテルの体は、記憶の中の冷たい指先に似ていた。


。*・*・*。



「……最後に一つだけ、聞いてもいいか」

 その問いを投げかけたのは、半ば無意識にも近かった。自身の異聞帯を失い、サーヴァントを失い、あの時自分を奮い立たせていた大半を手放し、それでも何の因果か生きながらえてしまった僕が、そのすべてを奪い取っていった当事者と再びオリュンポスの地で出会って、ふと聞いてみたくなった。

「お前は、名前名字というカルデア職員を知っているか?」
「……?」

 汎人類史最後のマスター、藤丸立香の顔に困惑の色が浮かぶ。
 それが答えだった。

「あの、カドックさん…名前さんは…」
「…何も言うな、キリエライト。もういい。…僕はもう行く」

 気遣うようなキリエライトの声色にも腹が立った。地下機構の部屋から出るとつけられている気配がしたが、苛立ちをぶつけるように魔力を駆使して移動速度を速めるとあっという間にその気配も薄れていった。完全に自分の背中に刺さる気配が消えたところで、ゆっくりと足を止めた。

――ああ、そうか。

(彼女はもう、とっくにいなかったのだ)

 自分がどんな返答を藤丸に求めていたのかわからなかったが、形容しがたい焦燥感と胸の奥が焼き付くような苛立ち、それに反比例するように冷えていく指の末端が何よりの答えだった。
 たとえ、汎人類史が全ての勝者に返り咲いたとしても。どうしたって、あの声に名前を呼ばれることは、もう。

「……あぁ、クソッ」

 前髪をぐしゃりと握る。そんなこと、わかっていた。わかっていたさ。この地球が白紙になった時から、自分の命を取り戻すことを選択した時から、自分の都合のいい事ばかりが起こるわけがないって、知っていたはずだった。

 (――カドックなら、大丈夫だと思うけど)

 それでも僕は、無駄死にはできない。自棄を起こして離脱することは許されないところまで来たのだ。精々あがいてやるさ。……でも、

 目頭が熱い。自分が今どんな表情をしているのか、確かめる術はないが、きっとひどい顔をしているに違いない。そんな権利はとうにないのだと自分に言い聞かせ、下唇をギリっと噛むことでしか、平静を保てそうになかった。

 ……全然大丈夫じゃなかったよ、名前。

 過去に置き去りにしてしまった君に、恨み言を吐いても仕方がないのだろうけれど。




title by 天文学

(2020/10/18)

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