※第一部終局ネタバレ


「コーヒーを淹れたのだけど、飲むかい?」

そう、笑う顔が好きだった。

カルデアのいち職員でしかない私は、そう彼から誘いを受けることがあった。いつからそれが自然になっていたのかはよく覚えていないが、次第にそれは私の中でも自然と受け入れられる日常と化していた。気が付けば、休まなければならないとわかっているのに寝付けずに施設内の廊下をさまよいながら、彼の部屋の前に足を運んでいる自分がいた。

じゃあ、お言葉に甘えて。自動ドアを抜けて足を踏み入れた彼の部屋は、思い返せばいつもきれいに片づけられていて、部屋の隅のデスクの上だけ、何かの資料だろうか、ほんの少しだけ雑然と物が積み上げられていた。湯気の立ちのぼるマグカップを両手に一つずつ持ちながら、「ミルクと砂糖は?」といつものように尋ねる彼に「両方ください」と答える。彼は少しだけ目を丸くして「珍しいね」と言った。

「名前ちゃん、いつもブラックだろう?」
「今日はなんとなく、甘いコーヒーが飲みたい気分なんです。」
「そっかあ。そんな日もあるよね。」

うんうん、と頷きながら、マグカップを一つこちらに手渡し、彼は踵を返す。もう一つのマグカップはデスクの上のちょうど物が置いてない隙間に置かれた。中身を覗き込むと私の手の中のコーヒーよりも色が茶色い。

「おまたせ。どのくらい?」
「ドクターにおまかせします。」
「そう?」

戻ってきた彼にマグカップを差し出すと、慣れた手つきでミルクが注がれていく。角砂糖を1つ、2つ落とし、スプーンを二回し。はい、どうぞ。ありがとう。受け取ったカップの中身は、彼のデスクの上のそれと同じ色。

「…あまい。」
「え、そうかなぁ。ボクいつもそのくらい入れてるけど……。」
「不味いとは言ってないですよ。美味しい。」

美味しい、そう言うと、彼…ドクター・ロマニはふにゃりと笑った。そんな彼の笑顔が、私は好きだった。

たとえそれが、心の底からの笑顔でなくとも。





「……輝かしい、星の瞬きのような刹那の旅路。
これを、愛と希望物語と云う。」





カルデアの建物が悲鳴を上げている。その時、私はその場を去ろうとする彼の背中を見つめることしかできなかった。元々饒舌ではない私の口から、彼を引き留める言葉は、一つたりとも出てはこなかった。

彼がいなくなったカルデア。彼がいなくなった世界。のちに、マスター藤丸立香からの報告書として挙げられた彼の言葉を、私は指でなぞる。


――名前ちゃん


まだ、思い出せる。
彼が呼ぶ私の名前。ふにゃりと笑うその表情。そして彼があの時淹れてくれた甘いコーヒーの味。

マグカップを傾けて一口。もうすっかり、私も手慣れてしまったミルクと砂糖たっぷりのコーヒー。甘いものが特別好きではなかった私が、ほぼ毎日日課のように口にするそれ。
ああ、叶うならば。

「…ドクター、」

人理は修復された。彼の命、存在、そのすべてと引き換えに。
文字にすればただそれだけの事。カルデアでその事実を知る誰もが嘆き、そして誰もが彼の勇気ある行動を讃えた。

きっと、私はあの時残された職員の中でも、傍からみてもドクター・ロマニとは近しい部類だったのだろう。…大丈夫?入職が同時期であった一人に尋ねられたことがある。うっすらと涙を流した痕の残る顔を映画のワンシーンを観るような気持ちで見つめながら、私はうなずく。大丈夫だと。

「…ドクター、私、貴方に笑ってほしかった。」

藤丸立香曰く、ドクターは最期に笑っていたという。自分の全てを、人類の未来の為にすべてを放棄したその時、彼は微笑んでいたという。

……何が、愛と希望、だ。

ドクター・ロマニが何かを隠しているのは何となくわかっていた。隠し事が下手そうに見えて、大事なことは隠し通す人だった。唯一のマスターやマシュだって気付かなかっただろう。けれど私は彼とそれだけ近しい人間だった。その関係性に名前は付けろと言われると難しいけれど、何かを感じ取れてしまうくらいには、きっと、近しかったのだ。……彼が居なくなった後、涙を流すことのない私を他の職員から心配されてしまうくらいには。

もう一度マグカップを傾ける。いつもドクターが淹れていたインスタントコーヒー。あの時彼が淹れてくれた通りに作ったそれは、同じ味のはずなのに何かが物足りない。その何かを私は知っている。

彼とは、他愛ない話ばかりをしていた。時にはマスターたちの冒険の数々の話を振り返りながら。あるいは人理が修復出来たらやりたいことを夢物語のように。きっとその笑顔は心からの笑顔ではないのだろうと何となく思いながら、それでも彼は楽しそうに話すから、私はそれもまた彼の本音なのだと思っていた。一緒にコーヒーを片手に、彼の秘蔵のおやつを少しいただきながら、そんな風に過ごす時間が何よりも私は好きだった。


「名前ちゃんは、世界が元に戻ったら何がしたい?」
「そうですね……」


コーヒーを口にしながら、私は考える。

別に、奇跡のような何かを望むつもりはなかった。カルデアに残されたみんなの努力が実を結び、世界が元に戻ったなら。所謂、日常がこの手に戻ったならば。きっとこんな風な、非日常の戦いの中で、唯一時間の流れがゆっくりと感じられたこんな時が、日常にカウントされてくれたならば、私はただそれで良かったのに。

そして、叶うならば、いつか彼が心の底から笑うことができるその瞬間に立ち会えたらと、

「ドクター・ロマン、」



――ああ、そうだ、叶うならば。

もう一度貴方に、甘いコーヒーを淹れてもらいたかった。





title by エナメル

(2019/08/28)

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