今こそ神の慈悲深さについて問うのだ



「今日の出陣から帰ったら、月見酒でもしようか」



 紫苑の花に似た髪が、夕焼けを透かして黄金色に縁どられながら揺れる。言葉の物腰とは裏腹に、私よりも一回りは体格の良い彼は、すう、と目を細めて私を見ていた。

「…酔わせてうやむやにするつもり?」
「そんなの、雅ではないじゃないか。ただ今日は良く晴れているから、月が良く見えるだろうと思ったからね」

 自分の顔が未だむくれた顔をしている自覚はあった。ひと二人分を空けた距離にいるこの男は、既に常時と変わらぬ、柔和な表情をしていると言うのに。私が生きた時代では大人と認められ、酒が飲める歳になったとはいえ、こういう時に自分の子どもじみた部分に気付かされてしまう。答えた私の声はささくれだらけで、ひどく幼い。

「わかんないよ。私、今怒ってるから、歌仙が帰ってくる頃には景趣変えて雨降らせてさっさと寝ちゃうかも」
「君はそんな風に幼い仕返しをするような人間ではないだろう」
「…そんなこと、わかんないよ」

 歌仙兼定という刀と出会って、もうすぐ1年が経とうとしていた。それは自分が“審神者”と呼ばれる存在となって、そしてこの本丸にやってきてからの時間と同義だ。1日24時間という物差しで測れば、“現実”と変わらない、たったの1年だけれど、きっと今まで生きてきた時間の中で一番濃い時間であったことに変わりはない。ともすれば命の危機すらも隣り合わせの今の生活の中で、一番長い時間を過ごしたのが、歌仙兼定であった。

「歌仙はいつもいつも、刀装をボロボロにして帰ってくるよね」

 初期刀である歌仙は当然ながら、この本丸でも錬度は高い部類に入り、第一部隊に属し先陣を切って進むうちの一振りであった。しかしながら、本人曰く『文系ゆえに』、力技で押し通すことが多々あり、そのたびに刀装を壊しては帰還する頻度が本丸の誰よりも多かった。
 自分の刀が、むやみに血を流すのは嫌いだった。たとえ戦争中といえども、“刀”である彼らは手入れをすれば傷は癒えるのだとしても。女だから、戦争を知らない時代に生まれたから、そう言われたところで嫌なものは嫌だった。だから刀装と言う名の刀を守る武具を、むやみやたらと壊されるのは肝が冷えた。だからつい、強い口調で言い放ってしまったのだ。

「前にも言ったよね?刀装壊さないで、って」
「そうは言ってもねぇ、誰にだって得手不得手があるんだよ。僕は刀装のことまで計算に入れて戦場を動くことができない。計算ごとは苦手なんだ」
「刀装がなくなった時に後ろを取られたらどうするの?何も自分の身を守るものがなくなるんだよ?!」

 私と歌仙が言い争いをしている時、大抵の刀たちは近寄っては来ない。誰も止めに入らないことで、自分の語尾に力が入っていくのは自覚していた。

「刀装なら、こうしてまたこしらえればいいじゃないか。…ああ、そのための資源ならまた遠征に行った時に調達するから。それでいいだろう?」
「資源の心配をしてるんじゃないの!万が一のことを考えて、刀装が壊れないように動く努力をしてって言ってるの!」
「…僕たちが活動しているのは戦場だ。自分の護りに徹しているだけでは何も進展しないだろう!」
「ああもう、ああ言えばこう言う!論点がズレてきてるでしょ、文系のくせに!」

 歌仙は初期刀で、兄弟のいない自分にとっては、ある意味歳の近い兄のような存在でもあった。だからこそ、何でも遠慮なく口に出来たし、歌仙も体裁上は主である自分の意見に口を挟むことも多かった。刀である歌仙と、人である自分。男の付喪神である歌仙と、女の只人である自分。刀として何百年と時を過ごしてきた歌仙と、人として生を受けて二十年と少ししか経たない自分。当たり前だけれど互いの共通点なんて最初は何もなくて、その分今回のように些細なことで衝突しては、『まるで人間同士のケンカだ』と笑った。

 そして、そこに行きつく折り合いを先につけるのは、いつだって歌仙の方だった。

「悪かったよ、つばさ」
「……」
「僕も、ついむきになってしまった」
「……」
「だから今日の出陣から帰ったら、きちんと仲直りをしたいんだ」

 人はいつになったら、『大人』になるのだろう。私はいつまで、『幼い』ままなのだろう。時の狭間の座標に位置する本丸で過ごして、まだ一年と経っていないけれど、毎日何かに追われるような日々だった。それは現実にいても変わることはないのだろうけれど、時を越えた戦争の渦中では尚更焦りと不安を助長してくる。
 一つ大きく息を吸い込んで、そのまま吐き出してから、口を開く。

「…歌仙が誉を取ったら」
「…?」
「納屋の一番奥の棚にあるあのお酒、開けてもいいよ」

 歌仙の目利きで選び、今度一緒に呑もうと約束していた大吟醸酒。休息日に二人で出かけた万屋で購入した、二人以外誰も知らない代物。あれを買いに行ったのはいつだったっけ、と考えてみるものの、明確な日時まで思い出すことができなかった。
 …私なりの譲歩のつもりの提案に、反応がない。ちらりと視線を上げると、虚を突かれたような表情がそこにあった。しかし、視線が合えばたちまち目尻が下がり、ふにゃりととろけていった。

「…ははは」
「何で笑うの」
「…いや」

 反面まだ完全にとげを溶かしきれない私の声に対して、歌仙はもう何かを言及する気はないようだった。微笑みをそのままに、歌仙は歌うように言った。

「それは楽しみだね」

 …歌仙は初期刀で、兄弟のいない自分にとっては、ある意味歳の近い兄のような存在であった。それを強く感じるのはこういう時だ。現実世界でもし自分に兄弟がいたとしたらこんな風に喧嘩をして、仲直りをしたり、したのだろうか。夢のような話であることは、わかっているのだけれど。

「…あ、歌仙、此処にいたのね。そろそろ行くよー?」

 歌仙と私の“喧嘩”が終わるとすぐ、決まって誰かが顔を出しにくる。執務室の障子戸の間から顔をのぞかせた清光は、私を目が合うとにぃっと笑った。時計を見やれば、今日の出陣予定時刻に差し掛かるところだった。

「わかったよ。……それじゃあ、行ってくるよ、つばさ」
「行ってくるねー、主」
「行ってらっしゃい」

 歌仙が席を立つと、彼がいつも好んで焚いている香のかおりがふわりと鼻をくすぐった。…そういえば初めて歌仙と口論になったのは香が原因だったな、と思い出す。香のことなんてわかるわけがない私に、歌仙が「雅じゃない」と青筋を立てたのだったか。本当に、少しのことで喧嘩ばかりしている自分たちが何だか可笑しくて、笑えてしまう。
 執務室を出て、厨に向かう。途中の部屋の障子に、机に向かう影が映っているのを見て足を止める。

「長谷部、いる?」
「お呼びでしょうか、主!」

 スパンッ、と勢いよく障子が開き、へし切長谷部が飛び出してきた。あまりにも真剣な表情に苦笑しながら、前のめりになっている長谷部の上体を片手で制する。

「そんなに慌てて飛び出して来なくていいよ。徳利とお猪口って炊事場にあったかな?」
「徳利……さあ……確か一式置いてあったと思いますが。燭台切か次郎太刀に聞いた方が確実かと……」
「そっか、わかった。あとで光忠にも聞いておく。ありがとう」

 「酒をのまれるのならご用意しましょうか」と後をついて来ようとした長谷部に、再度礼を言ってから申し出を断って縁側を進む。一応、仲直りのための月見酒だ。自分で用意した方が良いだろう。そろそろ夕飯の支度のために厨にいるであろう光忠をつかまえて、準備の仕方を教わればいい。そんなことを考えながらの足取りは我ながら軽かった。

 

「あ、…あ、ある、じ……ッ」

 その夜、帰還した第一部隊は誰もかれもが傷をこしらえていて、中でも清光は見るからに重症で、一緒に出陣していた山姥切国広の肩を借りていたが、駆け寄る私と目が合うとその場で膝から崩れ落ちた。山姥切が、珍しく声を荒げて何か言ってたが、私の耳はそれを言葉として拾うことはできない。山姥切の声を皮切りに、にわかに自分の周囲が騒がしくなるのを、どこか遠くに感じながら、私は清光の腕の中から目が離せなかった。

 血と土の匂い。審神者になってから、何度も何度も嗅いだ匂い。けれど真っ先に脳裏を巡ったのは、彼と初めて出会った日、彼がたった一人で戦場へ向かい、帰ってきたあの日のこと。

 頭の中がぐらぐらとして、うまく思考ができない。周囲を正しく認識できている気がしない。だって、第一部隊は6人編成で送り出したはずなのに、

 ひとり、足りない。


「か、歌仙が……ッ」

 ……彼と初めて出会った日、彼がたった一人で戦場へ向かい、帰ってきたあの日。あの日と違うのは、私の目の前でボロボロになっているのは清光であることと、

 清光の両腕の中、その刀は鉄の欠片という姿のままで、もう二度と私の名前を呼ぶことはないということだけだった。

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