カレンダーの写真はすっかり紅葉が広がっているのに、どことなくまだ秋になりきれない風が頬を撫でる。

昼間あんなにもお祭り騒ぎだった女子達も、みんなそれぞれ解散していった放課後。私は一人でまだ教室に残っていた。机の上に開いた日誌に書くことはもうほとんど終わっていて、あとは今日のコメント欄だけだった。

開け放った窓から流れ込んでくる風。ほどよくかきあげられた前髪をそのままに、外に広がるもうだいぶ見慣れた学園の風景を眺める。
日誌なんてさっさと書き上げて帰ってもいいのだけれど、なんとなくそんな気分ではなかった。幸いにも今日の日直は自分一人だけだし、迷惑を被る人は特にいない。まあ、日誌の提出を待つ担任には少し申し訳ない気もするけれど。

…今日は、跡部くんの誕生日だ。

前述したお祭り騒ぎはもちろん、彼のファンを自称する女の子たちのそれだ。どうしてこうもまあ、学校中の女子生徒が集合しているのかと思うくらい、凄まじかった。

跡部くんとはいいのか悪いのか、氷帝中等部の3年間同じクラスだ。だからと言って、特に仲がいいわけでもない。部活はもちろん違うし、私は生徒会の役員にも所属していないし。本当に、ただのクラスメートだ。

(ただの、ね)

私は、本当は少しだけ、ファンの女の子集団が羨ましいと思っていた。

同じクラス。
同じ教室で授業を受けている。
でもただそれだけ。

あんなふうに熱狂的に、妄信的にきゃーきゃー騒ぐとまではいかずとも、私はいつからか跡部くんの事が少し気になっていた。
でもだからと言って何かを期待したいわけじゃない。
テニス部の試合があるときは心の中で跡部くんだけを応援して、彼が行事で生徒の前に立つときはその自信に満ちた表情をこっそり目に焼き付け、跡部くんに呆れられないようにこっそり勉強も頑張ってみたりして。それだけで結構満足だったりする。

ふと、彼と交わした会話らしい会話を思いだす。
あれは今年のクラス替えが終わった直後、教室に向かっている時だった。

『よう、また同じクラスだな』
『…!跡部くん…』
『あーん?なんだその反応は』
『跡部くん私のこと覚えてたんだなって…』
『…ばーか、当たり前だろ。2年も同じクラスにいてクラスメートも覚えられないでいるわけがないだろう』
『そっか。さすがだね、跡部くん!』

彼は全校生徒の顔と名前を覚えているという噂は本当だったのかと感心すると同時に、その他大勢の中とはいえ、自分のことをちらとでも覚えていてくれたのだという事実に、その日は一人浮かれていて、友達に怪訝そうな顔をされたっけ。

(せっかくの誕生日なのに、おめでとうの一言も言えなかったなー…)

当たり前か、あんな終日、人に囲まれていちゃ。
同じクラス、ただそれだけが特権にならないというのも、本当にいいんだか悪いんだか。でも同じクラスにならなかったらあの日の会話はなかったんだなと思うと、なんかもうそれでいい気がしてきた。結構安上がりな片思いだな、私。

窓の向こうから聞こえてくる部活動中の生徒の声、音。その中にはテニスラケットがボールを打つときのあの独特な音が混じっていた。すっかり聞き分けられるようになったその音に、全国大会で見た彼がボールを追いかけて走る姿が脳裏で重なる。

「…はっぴばーすでーとぅーゆー」

気づいたら自分でも聞こえるか聞こえないかの声で呟くように歌っていた。いつも家族の誕生日にケーキを前にしてやるように。今本人もケーキもなく、目の前に代わりにあるのは日誌と自分のペンケースだけだけれども。

「はっぴばーすでー、でぃあ…」

でぃあ…そこで私の声は止まる。
Dear…Dearって親愛なる、とかすごく近しい人に大して使い物じゃなかったっけ。たとえば親友とか、家族とか…恋人、とか。
そのどれにも該当しない私が、はたして彼の名前を口にしていいものか。いや、別に誰が聞いているわけでもないのだけれど。

「…なんでそこで止まるんだ?」
「?!」

…聞いていた。
バッと勢いよく振り返ると、教室の入口に人影があった。しかも、本日の主役、いやもはやこの学校の主役と言っても過言ではない、今の今まで私が思考の中で考えていた当人が。

「あ、あ、あ跡部くん…!」
「名字、まだ日誌書き終わらないのか?まだ出しにこねぇって、探してたぞ」
「あ、そうだ。うん、もう書き終わるから」
「そうか」

なら、早く書け。と、なぜか跡部くんは私の前までつかつかとやってきて、じっと私の手元を見つめた。え、なにこれ。
とりあえず日誌にシャーペンを走らせる。しかしその間にも彼からの視線が刺さるのを感じて居心地が微妙だ。ほんとうに、なんなんだこれ。とにかく空気を変えようとこちらから話しかけてみる。声が微妙に上ずったのはまあ、仕方がない。

「跡部くん、部活は?」
「これから行く」
「そうなんだ」

会話終了。
本当に、跡部くん何しにきたの?忘れ物…なわけないよね。だってまっすぐこっちに来たし。仮にも想いを寄せる人物にずっと見られたままなのだ。背中に変な汗が浮くのを感じ、シャーペンを動かすスピードをあげる。

「…で?」
「え?」

唐突に発せられた声に、反射的に顔をあげる。相変わらず向けられていた視線に一瞬そらしそうになったが、すんでのところでとどまる。このタイミングで顔をそらしたらさすがに印象が悪い。

「さっきの続き、言わねぇのか?」
「え、続きって…」
「Happy birthday Dear…の続きは?」
「!」

思わぬ発言に息を飲んだ。
まさか、それを最後まで聞くためだけにわざわざ来たというのか。というか私が別の誰かに向かって歌っているとは思わないのか。…思わないんだろうな、なんていったって自分が法律みたいな人だからこの目の前の人は。
少しだけ迷って、私は意を決することにした。なんだか変な展開になってしまったけれど、言うなら、今しかない。

「は、はっぴーばーすでー…でぃあ…」

声が震える。
でもなぜか跡部くんから視線が外せないままだった。

「…でぃあ…跡部、くん」
「…フッ」

「え、ちょ、な、なんで笑うの?!」
「…名字、お前少しは英語の発音くらいまともに言えねーのか。典型的なカタカナ英語じゃねーか」
「だ、だって私英語苦手だし…ていうか帰国子女に比べられたくないよ」
「あと、普通そこは名字じゃなくて名前だろ」
「…え…」

ほら、言えよと言わんばかりの視線。
相変わらず跡部くんは一切そらそうともせず真っ直ぐにこちらを見ている。いつもと変わらない、自信に満ちた瞳。ああ、やっぱり私はこの目が好きだ。それは尊敬であり、羨望であり、そして淡い恋心。

「誕生日、おめでとう…景吾くん」
「…ああ」

勇気を振り絞ってやっと出てきた言葉はもうひどく掠れて小さかった。けれど彼の耳にはちゃんと届いたらしい。
フッと微笑みを浮かべた跡部くんの顔に、心臓の鼓動が一段と大きく波打つ。
ああ、この笑顔を見ることができた女の子は果たして今日何人いたんだろうか。…願わくば、私だけであってほしいなんて、出過ぎた願いが心の内を支配した。


Birthday Song to You.



『跡部くん私のこと覚えてたんだなって…』
『…ばーか、当たり前だろ。2年も同じクラスにいてクラスメートも覚えられないでいるわけがないだろう』
『そっか。さすがだね、跡部くん!』
『(…というか、名字の名前はなおさら、だろう。) …まぁ、また一年よろしく頼むぜ』
『うん!よろしくね』

…果たしてお前はあの日交わした会話を覚えているんだろうか。
なんて、真っ赤な顔をして俺の名前を読んだ名字を見つめながら思う。しかし、目の前にいるこいつとの、今の距離を打破するのはもう少し先にしよう。

…今はこれだけで、十分だ。




(前サイト掲載:2012/10/6)




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