今日も、私はいつもの定位置から窓の外を眺める。
そこはこの学校で、最も注目されていると言っても過言ではない、テニスコートが一望できる窓辺。放課後の静寂に包まれた校舎内とは裏腹、窓ガラス越しに黄色い歓声がコートの周囲を取り巻いている。
とりわけ、今日はその黄色い声が大きいのは、気のせいなんかじゃない。

(ああ、やってるやってる)

窓枠に肘をついて、私はテニスコートを見下ろす。
そこには、歓声の中心にいる、ひときわ目立つシルエット。この学園の主役であり、そして今日の主役でもある。

「跡部くん」

その名前を呟いて、私は静かに窓を開ける。と同時に、ガラス越しにあった女子たちの悲鳴にも近い歓声が直接耳に入ってくる。いつものことだけれど、彼女たちも毎日毎日、よくやるものだ。

今日は跡部くんの誕生日だ。学年が同じでも、クラスが違うから本当のところは見ていないが、なんでも朝からプレゼントを渡すために女の子達の行列が出来ていたとか。まあ、あながちただの噂でもないのだろう。現に、テニス部を引退したはずの彼がこうしてテニス部に顔を出しているのはおおかたファンサービスと言ったところか。もはやこれは生徒会長とかテニス部部長とかそういう肩書きではなく、一種のアイドルとか芸能人並みの扱いではないだろうか。女の子達の声に応える、彼の尊大な態度は、この学園に入ってからというものもはや慣れるほど見てきたけれど、今日は一段と機嫌が良さそうだ。(反面、ほかのテニス部はまたか、という顔をしている者も少なくないようだ。)

こうして、私が校舎内という遠くから、テニス部の練習風景を見てきたのは、いつからになるだろう。もうずっと昔からやっているような気もするし、思えばつい最近のような気もする。このわずかな放課後の時間が、私は結構好きだったりする。夏休みが明けて、3年生のテニス部が引退してからも、私はずっとこの場所からテニスコートを眺めていた。時折、跡部くんや3年のテニス部が後輩の指導に現れるときはラッキーだと思った。まあ、今日くらいは絶対くると思っていたのだけれど。

何度も何度も聞いてきた、氷帝コール。跡部くんが天に手をかざす。彼の右手が放つフィンガースナップ。その一連の流れるような動作は、彼がテニス部部長ではなくなった今も、生徒会長の座から下りても、きっと彼が中等部を卒業したとしても、色褪せることはないのだろう。そんな風にすら思えるのだ。

「跡部くん」

ここからテニスコートを眺める。私は、ずっと跡部くんを見てきた。こんなことを言うと、ストーカーみたいに思われるかもしれないが、私は跡部くんがテニスをする姿が好きだったのだ。態度に見合う、この学校で誰にも負けないその強さ。フォームと技の美しさ。いつから見ていたのだろう。でもいつの間にか、私は彼に確実に惹かれていった。

ただ、彼の言うところの『雌猫』の一人になるつもりはなかった。心の中にひっそりと芽生えた小さな感情は、本人はもちろん誰にも打ち明ける必要性を感じなかったし、私はただ遠くで見ているだけでよかったのだ。彼が試合でポイントを決めるたびに心が熱くなる。彼が放つテニスボールの軌跡を辿ることだけで、私にとっては幸せだった。

だから何も、ここから彼を見つめる権利以外は、何も欲しいと思わなかった。

「誕生日おめでとう。好きだよ、跡部くん」

自分でも、聞こえるか聞こえないかの声で呟く。あっけなく、眼下の歓声に塗りつぶされた言葉はすぐに霧散する。直接伝える必要なんていない。届かない思いを無理やり届けることなんて、しない。私は窓をしめようと、アルミサッシに手をかけた。

その時だった。

「…え」

跡部くんの視線が、私の視線と交わる。
自惚れだと、言い聞かせた。だって彼は、私がここから見ていることなど、知るはずもないのだから。それでも私は視線をそらすことができなかった。不自然にアルミサッシに手を置いたまま、私は身動きができない。

テニスコートの中心。跡部くんは、その唇で綺麗な弧をえがくと、静かに口を開いた。

「     」
「!」
反射的に私の脚は走り出していた。もちろん、窓は開け放したまま。階段を駆け下りる速度がもどかしくなる。放課後の静寂に、私の靴音と、心臓の鼓動だけが響く。

息を切らして、たどり着いた昇降口。肩で息を整えながら、自分の靴箱を開ける。早く、早く、行かなくちゃ…

「――名字」
「、え?」

私の名前を呼ぶ声は、幻聴ではなくすぐ近くから聞こえた。振り返るとついさっきまでテニスコートにいたはずの彼の姿。
ずっと、ずっと、遠くから見ていた彼の姿が、こんなに近くにある。

「名字」

なんで、あそこから私の存在がわかったの。あんなにたくさんのギャラリーの中から、ここまでどうやって来たの。さっきの言葉が、読唇が正しければ、どうして私にそれを言ったの。いろんな疑問が浮かんでは消え、けれどそのどれも言葉にはできなかった。

未だに息が乱れる私の方へ、一歩ずつ跡部くんが近づいてくる。近づくたびに、彼の息遣いが聞こえてくる。私ほどではないけれど、少しだけ乱れているそれは、キングと呼ばれる彼には似合わないような気がしたけれど、ああ、跡部くんだという矛盾した妙な納得をもたらした。

そして、彼は、先ほどよりもずっとずっと近い距離で、先ほどと同じ台詞を繰り返した。

「好きだ」

…ああ、届かない思いなど、どこへ消えたのか。






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2013.10.4
Happy Birthday!
"King of HYOTEI" Keigo Atobe.

(2013/10/6)




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