何の因果か、その日は雲一つない快晴だった。


大人たちは皆、喜ばしいことなのだと手をたたいて喜んだ。しかし私はまだそんな大人にはなりきれていなかった。喜ばなければ、いけないのだということはよくわかっている。わかっていても心が追いつかなかった。真っ赤な一枚の紙を受け取り、それを手にしたまま大人たちの賛辞の言葉に囲まれている彼の顔は、いつもの飄々としたそれとは似ても似つかない、複雑な顔をしていた。



「蓮二」

自分の数歩前を歩く彼の背中に声をかけると、ざくざくと砂を踏んでいた足音がぴたりと止まった。彼から少し遅れて、私も自分の足を止める。

「見送りはここまででいい」
「…駅まで一緒に行くって言ったじゃない」
「いい。お前はもう帰れ」

振り返らないまま蓮二はそう言った。その声はいつもと何ら変わりのない、私の幼馴染の声だった。私と蓮二の家はお隣同士で、歳も同じだった私たちはよく一緒に行動をしていた。器用でなんでもできる彼とは違い、不器用でどんくさい私は彼と一緒に大人たちの手伝いをするたびに彼の足でまといになっていた。そんな私に彼は容赦なく、もう名前はその辺で見ていろとあしらった。お前が手を出すと効率が下がる。そう言って突き放された。その言葉を聞くたびに泣きじゃくっていた幼い私も、心が成長するごとにそれが彼なりの優しさであったことに気づいたのだった。

器用でなんでも出来る彼は、唯一気遣いというものを口にすることに関してはこと不器用であるのだと、おそらく同年代の中では私くらいしか知る人などいないのだろう。
だから、蓮二が今しがた発した言葉が、彼の気遣いであることもわかっている。きっと駅までずるずると未練がましく見送りに行ってしまえば、私は絶対にそれを引きずる、見送られる蓮二も同じく。それはわかっていた。わかっていたけれど、

「…いやよ、帰らない」
「来なくていいと言っている」
「…行くって、言ったもの」

これは私のわがままだ。彼にあしらわれるたびに、泣きじゃくっていたあの頃の私が再び顔を覗かせようとしている。…否、私はいつまでだってあの頃の私のままだ。
蓮二が振り返る気配がして、なんとなく居たたまれずに視線を俯けた。

「名前」

彼が私の名を呼んだ。
彼の靴の先が俯いた視界にうつりこむ。おそるおそる顔を上げると、困ったときに見せる彼の表情がそこにあった。ずっと変わらない、私が駄々をこねるたびに見せたあの表情だ。

「これを」

不意に、彼の手が私の右手を掴み、何かを握らせた。彼の手が離れる。そっと自分の手のひらを開くと、そこには鈍い金色に光るボタンが一つ。ハッとして顔を上げると、ちょうど私の目の前の高さにあるはずのボタンが一つ姿を消していて、不自然な空白ができている。

「蓮二、これ」
「俺がお前に残せるものなど、そのくらいしかないからな」

蓮二が笑う。

「…本当は渡すつもりなどなかったんだ。それはいつかお前を縛る呪いとなってしまうだろう。お前には俺など忘れて、幸せに生きていってほしいんだ」
「蓮二、」
「けど、お前が帰らないから、」

まるで怒られた後、言い訳を連ねるこどものように。言葉を並べた蓮二は一瞬だけ元々切れ長の目をスっと歪めた。男子は簡単に泣くものではないと叩き込まれた彼が本当に泣きそうになるときに必ずする表情。

ふいに彼の長い手が私の肩を引き寄せた。身構える余裕すらなかった私はいとも簡単に彼に引き寄せられ、気づけば彼の腕の中だった。

「好きだ」

私たちを取り巻く世界から、音が消えた。

「…私も、蓮二が好きだよ」
「…フッ、知っている」

視線が交わる。自然と、そうすればいいのだとわかっていたかのように、目蓋がおりる。唇に熱が触れたのは一瞬のことだった。

「幸せになれよ」

私が彼を抱きしめ返す前に、彼は私から半歩の距離に離れていった。そうして微笑んだ彼は、今度こそ振り返らずにどんどん離れていってしまう。ざくざくと砂を踏む音が遠ざかっていくのを、私はただそこに立ち止まって見送ることしかできなかった。

…彼は昔から頭の回転の速かった。自分が帰ってくる可能性などすぐにはじき出したはずだ。私は昔からそんな彼について回ることしかできない、平々凡々の女子だったから、時勢のことなんてこれっぽっちもわからない。彼はあの赤い紙が来た日からわかっていたのだろう。自分が、もうこの町に、戻ることなどないのだと。だからこそ、彼は待っていろなど決して言わなかった。

彼は私に、「帰れ」と言った。

「…蓮二…ッ」

彼の遠ざかる背中が、涙で滲んで見えなくなっていく。ああ、だから泣かないって、決めていたのに。私はやっぱり子供だった。手をたたいて喜んだ大人たちが、影でひっそりと涙を流していることだって知っていた。彼が帰ってこないこともわかっていた。それを喜びたくなくとも喜ばなければいけないこの時代を生きるために、大人たちは皆感情を殺していたことも、私は知っていた。それでも私は大人たちのように感情を殺すことなどできなかった。そんな私を、彼はやはり子供だと笑うだろうか。

彼が残していった、たったひとつのボタンを両手で握り締める。彼から移った彼の温度が、少しでもこの手のひらに残るように、きつくきつく握り締めた。どうか、どうか、この温度が消えないように、彼にどうか未来を与えてくれるように、願わくば、またこの町に彼が戻ってきますように。誰にと宛てることもできない願いは初夏の風に飛ばされて霧散していく。その願いなど無意味であると、どこにいるかもわからない神は嘲笑っているのだろうか。それでも、それでもなお、私は願うことをやめる気になどならなかった。だって私は聞き分けのない子供なのだから。だからどうか、そんな子供の小さな願いのひとつくらい、叶えてよ。――お願い、どうか蓮二を、無事に返して。


耐え切れずにこぼれ落ちた涙は、強く握り締めたはずの手のひらをすり抜け、じわりと彼の温度を奪っていった。




===

遅くなってしまってすみません。
cagami様へ相互記念として捧げます。

切甘というか甘要素がどこかに吹っ飛ぶ大惨事。
勝手にパロディ物で書いてしまいましたが大丈夫でしたでしょうか…><

何はともあれ、相互ありがとうございました!

迷耶


(2013/03/05)




×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -