何かを探しているときというのは大抵、無意識のうちにその探し物の場所に対する固定概念がこびりついて、なかなか見つからないままけれど何度も何度もないとわかっているのに同じ場所ばかり探してしまったりする。そして探すことに疲れて諦め、そして時が流れてそれを探していたことすら忘れてしまった頃、ふと突拍子もないところから現れて驚きとか安堵と言った感情がゆるゆるとこみ上げてくるものだ。それをまるで目に見えない妖精が悪戯をしたようであると、最初に言ったのは一体誰だったのだろう。

…こんなところにあった。

無意識のうちに口からこぼれた言葉。きっと、今の私は相当間抜けな顔をしていることだろう。決して、探していたわけではない。なくしたという認識すら薄れてしまうほど、それは時間の経過を示しているようだった。

大学生活も慣れてきた頃、ようやく親の許可が下りて一人暮らしをすることになった。といっても、実家からそこまで離れた距離でもなく、大学に通うのが楽になるというだけで帰ろうと思えばすぐに帰れる距離だ。しかしそれは明らかに今までからの変化で、生まれてからずっとこれまで育ってきた家を離れる、というのはなかなかに感慨深いものだった。そうして引越しの準備のために、今まで散々物を詰め込んできた自分の部屋から、新しい部屋に持っていく荷物をまとめていたときだった。ふと空けた引き出しの奥、小さな紙袋がまるで何かに守られたかのように綺麗な状態でそこにしまい込まれているのを発見した。別に使っていなかったわけでもない引き出しにそんなものが入っているなんて、今まで気づかなかった。と、思ったが、中身を見た瞬間に、気づかなかったのではなく、忘れていたのだということを思い出した。

中に入っていたのは、片方だけの小さなアイスブルーのピアスだった。

忘れていたことすら、忘れていた。それは決して意図したことではなかった。しかし、物というのは不思議なもので、形さえ残っていれば、それを見るたびになんらかのことを思い出すものだ。手のひらにのせた、何の凝った作りもない、軽くて安っぽい小さな丸いピアス。ちらりと部屋の照明に照らされて光るアイスブルーは、一瞬のうちに私の中に懐かしい思い出を呼び起こした。

中学生の時、私は跡部景吾という男子生徒と付き合っていた。彼は学園内で知らない人などいないというほどの有名人で、学園中の生徒、先生にも多大な影響を与えた中学生ながらすごい人だった。なぜそんな人と付き合っていたのか。彼のそんな派手なオーラとはまるで違う、ごくごく一般的なそんな始まりだった。

好きだ、付き合って欲しい。

そう言われたのは中学3年になってすぐのことだったか。そう言ってこちらを見つめる目は確かにあの跡部景吾その人だったけれど、そのセリフとそのセリフと発した本人のまとう空気はどこにでもいるような中学生男子となんら変わらず、そんな年相応の顔で思いをぶつけてきた彼に、私はすぐに惹かれた。跡部は有名だから、顔がいいから、生徒会長でテニス部の部長だから、そんな肩書きなんていらなかった。私を好きだと言ってくれたあの日のあの表情が彼自身の素の表情なのだと、それを私に晒してまで思いを伝えてくれたことがなによりも嬉しくて、私は彼から差し出された手をとったのだ。

幸せだった。
彼はキングなどと呼ばれ、そんな周りの声に何の造作もなしに応えてみせた。しかしその裏では生徒会長にテニス部の部長と、中学生の中ではかなり多忙な毎日を送っていたように思う。そんな彼を支えるのが私の役目であり、負担になるようなことはしたくなかった。それでも彼は極力私と会う時間を作ってくれたし、二人で遊びに行ったことだって何度もあった。できる限り私が望むことを叶えようとしてくれた。私は多くを望まなかったけれどそれを不満に思うこともなかったようだ。私たちはお互いを思い、思われることの幸せを知っていた。

彼はなんでもしてくれた。おいしいごはんを食べさせてくれたこともあった。見たいとこぼした映画をちゃんと覚えていて、公開初日のチケットを持って私を誘ってくれたこともあった。私が望む時、何も言わなくても抱きしめてくれた。手を引いてくれた。
思い出、時間、形のないものは際限なく与えてくれた。それでも彼は私に何か物を買い与えたことは一切なかった。私がほしがらなかったというのもある。けれど私の誕生日も、記念日も、彼が私にくれたのは花束だったりディナーだったり、思い出の中の品だけだった。

そんな彼が、唯一私に買ってくれたのがこの安いピアスだった。

もちろん、当時私がピアスホールをあけていたわけではない。今でこそ、ピアスホールはあるが、そんなに派手なものをつける趣味があるわけでもない。けれど私はそれを見た瞬間、彼の色だと思った。お店の照明に照らされてぴかぴかと光るたくさんのアクセサリーの中で、それだけが私の目を引いた。
それ欲しいのか。彼は足を止めた私の横に並び、それを指差す。跡部の色だと言うと、彼は薄く笑って少し待っていろとそれを手にしてさっさと会計を済ませてしまった。跡部の雰囲気とまるで合わないお店で、跡部が絶対買わなそうな小銭だけで買えるようなピアスを買う跡部。そんな不釣り合いな光景を目の当たりにしてしばらくあっけにとられてしまって、ほらと目の前に差し出された小さな紙袋に私は目を見開いた。いつかピアス開けることがあったら絶対につけると言うと、彼は黙って私の頭を撫でてくれた。

思えばこれだけが、彼を私の時間を残すたったひとつの形あるものだった。

私と跡部は別れた。あれは中学卒業の日だった。

何もかもがうまくいっていると思っていた。所詮は中学生だ。思春期というのは表面に出ずとも恋には少なからず溺れるもので、私もそうだった。別れを切り出したのは跡部だった。そして理由も聞かずにわかったと頷いた私も私だ。幼いながらの見栄だったのかもしれない。けれど当時の私は本当に何も望まない、欲のない女の子で、そんな欲のない女の子だった私が唯一執着していた相手が離れていくというのに、手を伸ばそうとも思わなかった。いや、手を伸ばしてはいけないと、無意識にブレーキをかけたのかもしれない。ありがとう、ごめん。そう言って、いつぞやのように私の頭を撫でて、彼は去っていった。あの時とは違って、彼は寂しげな顔をしていた。彼の後ろ姿が見えなくなって、私は卒業証書を抱いてほんの少し涙を流した。

ずるい人だと思う。こうやって、このピアスを見つけなければ、私はこんなふうに思い出に浸ることもなかったはずなのに。きれいに、思い出のままで忘れていけるはずだったのに。ふと鼻の奥がツンとした。こうやって形に残るものが一つだけだなんて、捨てるに捨てられないじゃないか。だからこうして過去の私は引き出しの奥底になんてしまっていたのかもしれない。いや、たった一つだから、というのは単なる言い訳なのかもしれない。

私が高等部へ上がった時、そこに跡部の姿はなかった。海外へ留学した、という話はすぐに私の耳にも入ってきた。距離が離れるから別れる。あまりに短絡な理由。しかし私もそれに納得してしまった。私たちは本当に幼かった。お互いが好きならば距離なんて関係ないというのに。
跡部と別れてから、何度かお付き合いというものをしたことがある。みんなやたらと物を与えたがった。それはペアルックのストラップだったり、指輪だったり。決して高いものではないが、全て私のためと買ってきてくれたものだった。けれど私は相手と別れるたびに、それを潔く捨てた。おそらく向こうもそうしているだろう。付き合う期間すら、跡部との時間を超える相手はいなかった。そんな付き合いばかりだった。すぐに冷めてしまう幸せ。それは果たして本当に幸せだったのだろうか。

透ピを外して、右耳にアイスブルーをつけた。こうして実際につけてみても心底安っぽい。鏡の中の自分が苦笑する。

結局、私は忘れることなどできなかったのだ。きっと今でも私は彼のことが好きだ。アイスブルーを撫でると、私は部屋を出た。リビングを覗いて、ソファーで雑誌をめくる母親にちょっとコンビニに行ってくると一言伝えて、玄関へ向かった。適当にコートを羽織り外に出た。

部屋の片付けに夢中になっていた所為で、もう夕方だということに気づいていなかった。徐々に赤く染まっていく空が眩しい。コンビニに行くと言って出てきたけれど、大して用があるわけではなかった。ただ、あのまま部屋にいたら一人でまた泣いてしまいそうだと思ったから出てきたのだ。住宅街には私以外に歩く人影もまばらだった。遠くで子供がはしゃぐ声が聞こえる。いつもの平和な町並み。こうしてじっくりと周りを見て歩くことなんてめったになかったけれど、本当にこの街は平和で、私の大好きな街だ。

そういえば、もう片方のピアスは跡部にあげてしまったのだった。
跡部はピアスなんてあけるつもりないと言っていたが、それはあの時の私だって同じで、持っていてくれるだけでいいと私が半ば押し付けた。元はといえば彼が買ってくれたものだったけれど、その色は私が跡部の色だと思ったものだったから、彼にもその色を一つ持っていて欲しかった。普段から私がそこまで何かを主張するようなこともなかった所為か、跡部は結局わかったわかったと苦笑しながらそれを受け取ってくれた。

もしかしたら、もう捨てられてしまったかもしれない。そんなことが頭をよぎる。私が元彼からもらった物を全部捨ててしまったように。無意識に右耳に手が触れる。だとしたらこのピアスはもう二度と片割れと会うことはないのかと思うとなんだか寂しくなった。もしかしたら、の残りの可能性を思い浮かべかけてすぐに打ち消した。あの日からもう5年だ。ましてや中学生の恋なんて、たかが知れている。そんなたかが知れている恋をたったひとつのピアスで思い出してしまうほど引きずっているのはどこのどいつだ。と自分につっこんでみて、虚しくなった。


ふと、前方からこちらに歩いてくる人がいた。
夕陽を背景にしている所為で、顔まではよく見えなかった。しかし、その人が俯けていた顔を少しだけ上げた瞬間に、どくんと心臓が鳴った。…なんで、
顔はたしかによく見えていなかったけれど、目があったことはわかった。ふいに足を止めた私とは違い、その人はゆっくりと歩いているペースそのままに、どんどんこちらへ近づいてくる。ああ、なんで、どうして。文にならないようなセリフが、胸の中でこだまする。息を吸い込む。ひゅうと喉がなった。近づいてくる影。口元がゆるくと弧を描いていた。細めた目元の泣きボクロ。私の大好きだった表情。

その左耳、夕陽に照らされてちらりとアイスブルーが光った。


「名前」


その瞬間、私は頭で考えるより先に駆け出していた。勢いよく飛び込んでいったのに、造作もなく私を抱きとめた。なんで、どうして。そんな、本当はずっと抱えていた思い。いまはそれすらどうでもよかった。背もさらに伸びて、体つきは完全に大人のそれになっていたけれど、間近で覗き込んだ表情はあの頃のまま、私の大好きな彼の顔だった。

本当はずっと、探していたのかもしれない。
あの頃の私は、無欲なのではなく、ただ臆病なだけだった。距離が離れたから別れた。理由なんて彼の口から聞く勇気さえなかったのに。それでも別れたくないと駄々をこねることもできなかったのに。彼が離れていった理由を知るのが怖かったのだ。

そうだ、本当は、私は彼をずっと探していた。


「好きだ。もう一度、俺と付き合ってほしい」


私の目をまっすぐに見て、あの時と同じセリフを繰り返す。
今私の目に映る彼はあの時の彼とは違うけれど、返す言葉なんて、もう決まっている。


「私も、」



――ああ、やっと見つけた。私の大事な人。



(2013/02/23)




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