06. sincere岸京一郎幼馴染の所見



「……」
 喫煙所のベンチに腰掛けたまま、ありすにもらった缶コーヒーの蓋を開ける。カシュっといい音がして、コーヒーの匂いが仄かに香る。飲み慣れたそれを口に運んだら、京一郎はありすが去った後のベンチで盛大なため息をついた。
 近所に住んでいた女の子。親同士が知り合いで、家族ぐるみの付き合いがあってと、京一郎とありすの出会いはそれはそれは幼馴染としてありきたりの出会いだ。子どもの頃、どういうわけかありすは京一郎に懐いてまとわりついてきた。年下の女子の相手なんて面倒臭い。その一言に尽きる。京一郎はことあるごとにまとわりついてくるありすを適当にいなし続けた記憶がある。
 雛鳥が初めて見たものを親だと思い込むようなものだろう。少女というものは年上の男に憧れを抱きやすい。個人差もあるが子どもは女児の方が精神の発達が早いこともあって、自分も子どものくせに同い年の男児のことが幼稚に見えてくる。それゆえなのか、年上の男がずいぶんと頼りに見えてその目にいいように映るのだ。ありすの身近な年上の男子といえば京一郎で、京一郎についてまわるありすの行動はまさしくそれだと思っていた。
 無駄に心配もさせられたし、理解できないことだって多くあった。むしろ年下の少女の考えなんて理解できないことのほうがはるかに多く、その度に頭が痛かった。けれども面倒だったのは事実だが、まるで妹のような存在だったありすが可愛くなかったかと言えば嘘になる。
 京一郎が大学生になって家を出てから会う回数はグッと減ったものの、それでも顔を合わせればけいくんけいくんと寄ってくるありすを見たときに、京一郎はまずいなと密かに思った。年上の男に対する憧れ以外の何かも無邪気な瞳の奥に見え隠れして、もしそれが大きくなるようならば己は拒否しなければならないと感じたのだ。
『お子様は相手にしない』
 だから、釘を刺した。
 ありすが京一郎の住むマンションに引っ越してきたのは、彼女が社会人になってからだ。京一郎の母から打診という名の決定通知がきたときには、京一郎は正直に言って頭を抱えたくなった。明らかに憧れ以外の感情を寄越してくるありすをこれ以上近づけてなるものかと。けれども拒否をする理由がなかった。職場の近くであるし、信用する年上の男がいる場所ほど見知らぬ土地で安心な場所はない。だから親たちが勧めたというのも理解していたからだ。
 そうして過ごしているうちに京一郎は本格的にまずいと感じ始めた。
 ありす自体は何も言わないのだから、京一郎にはどうすることもできないのだ。言わないというのは言いたくない言えないの場合がある。それを突いてどうするのかと思う。何も言わずに突き放せばいいのだという自覚もある。だけどどうにもそれができなかった。
 ありすは、小さい。
 京一郎の目線から見れば大抵の女性が頭1つ2つ分小さく見えるもので、小柄なありすももれなく頭2つ分は小さく見える。けれどもありすに対して思う“小さい”とは、世の女性を見たときに思う“小さい”とは少々異なる小ささなのだ。
『けーいーくーん! あーそびーましょー!』
 京一郎にとってのありすのイメージはこんなものだった。小学生、中学生、高校生。成長の過程を見てきたにもかかわらずなぜだかランドセルを背負っていたありすの姿が脳裏にある。もちろん実際に見えているのは今のありすであるし、頭がおかしくなったわけでもない。ただどうしても、どの年代のありすも京一郎にとっていつだって庇護すべき小さな存在だった。
 いまでは表立って庇護することはないが、庇護すべきと思う感情はなくなってはいない。ただ種類が違うのだ。一人前の人間に対して庇護したいとは何様だとも思う。ありすは守ってやらなければならない子どもでもなければ、弱くもない。一人前の人間で、尊重すべき人間だ。けれども一人前の人間であっても、この人間に傷ついてほしくない、守れるのならば守りたい、傷ついたときにはなにかしたい思う存在は誰しもいる。そしてその存在がどういうものなのかも、京一郎は知っている。
 釘を刺したのは、自分にだ。
 明確に認識したのがいつだったかなんて、もう覚えていない、むしろ認識なんてしていない。流れる時間と共に変化したとしか言いようがない。
 時間は重みだ。京一郎はそう思う。時は誰にでも平等に流れ、積み上げた年月はどうあっても覆せないものだ。そして同じく積み重ねた心というものは正直で、誤魔化せなくて、面倒くさくて仕方がなかった。
 始まりは少女の憧れだ。だけど少女は分別のつく大人になって、憧れと恋心の違いだってわかる歳になっていった。それでもなお向けてくるということはそういうことだ。子どもの憧れで片付けていい時期はとっくに終わっているのだ。
 嫌じゃないから、困るのだ。面倒くさくて、理解できない。自分にはない素直さで言葉以外の全身全霊で想いを長年ぶつけてくる女をかわいいと思わないわけがない。何年も同じことを続ける誠実さをひたすら受け止めて何も思わないはずがない。
 だけど拒否すべきだ、拒否しなければならない。長年ずっとある意識が京一郎に歯止めをかけ続けたのは間違いない。京一郎は“幼馴染のおにーちゃん”なのだ。
 だけど、それも今日でおしまいだ。
 ぐびっと缶の中身を飲み干して、京一郎は立ち上がった。手にある缶をじっと見、困ったように眉を下げて口元を僅かに緩める。
『お疲れ様です、岸先生!』
 ありすをこの場で見つけたことに、かけられた一言に、京一郎は腹を括らざるを得なくなったからだ。
 ありすに、先生と呼ばれることが嫌だ。
 喫煙所に続く扉を開けてありすを見たとき、心臓が凍りつくかと思った。そんなことは医学的にあり得ないことを十二分に知っているにも関わらず、そうとしか言えない気分に陥った。ここは職員専用だ。使うのは主に医者か看護師か、稀に入院患者だ。ありすは医者でも看護師でもない。消去法で残りは一つだ。姿を見とめて、驚きを超えてゾッとした。すぐに書店のエプロンで気づいたけれど、あの瞬間にここ1、2週間で見たカルテにあった名を頭の中で一気になぞりさえした。
 ありすが、己を先生と呼ぶ事態になることが嫌だ。
 医者になりたくて医者になった人間が医者として呼ばれたくないなどと、なんという矛盾か。
 命あるものには必ず終わりがくる。いきなりやってくることもあるだろう。病気になって、じわじわと死に向かっていくこともある。そんなことを知らない医者はいない。もし本当にありすが患者になったならば、京一郎は医者としてできる限りのことをすることには間違いない。
 けれどもいつか終わりがくるそのときに、医者として以外でも彼女のそばにいられることを望んだのだ。そして“幼馴染のおにーちゃん”ではそれが叶わないことを京一郎は知っている。
 これが愛じゃなければなんだというのか。京一郎は認めるしかなかった。


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