Get ready?



 綺麗になりたい。可愛くなりたい。
 私にとってのメイクは武装だ。どこかの民族が己を鼓舞するときに施すようなものだ。
 では、目の前の男にとってのメイクはなんだろうか。



「ヒソカって肌が綺麗よね」
「そうかな
「うん、とっても」
 されるがままのヒソカを見てそっと感嘆のため息が出る。ヘアバンドをつけたヒソカの額は剥き出しだった。来客用の椅子に座って、私の指先が顔に触れることをじっと受け入れている。
 きめ細やかな肌に手持ちのファンデーションをのせていけば、私よりも格段に化粧のりがよい。
「よくさせてくれる気になったね?」
「アリスのメイクの腕前は信用してるからね
 長い睫毛を伏せたままヒソカは唇だけを動かす。閉じられた瞼の下、私のすっぴんもフルメイクも映したことがある瞳の持ち主だから言える台詞だった。
 ヒソカにメイクをさせてもらっているのは、たまには自分以外の顔にメイクがしたくなったからだ。武装しなければならない自分の顔じゃなくて、もともと綺麗な顔にメイクするのも楽しいだろうなと。そんな他愛もない思いつきだった。
「元の顔が顔だから上手くならざるを得なかったのよ」
「なんて返すのが正解かな?」
「答えは沈黙よ」
「それボクが受けた試験の話だろ
「あれ気に入ってるのよ」
 毒にも薬にもならないやりとり。だが実際のところ、ヒソカほどの美形に「そんなことないよ」と言われたところで受け入れ難いし、「そうだね」と肯定されても事実とはいえ腹が立つ。だからやっぱり正解は沈黙だと思うのだ。
 それなのに、この男はといえば正解を越えてくる。
「キミが綺麗かどうかはともかく、ボクはアリスのすっぴん嫌いじゃないよ
 パウダーをはたく手が一瞬止まるのは仕方ないことだ。
 おおよそ綺麗や可愛いと言われる見目ではないことは己が一番よく知っている。昔はともかく、いまとなっては卑下しているわけではない。なにより私にはすでにメイクという武器があるから、メイク前の自分を無理に褒めてもらう必要なんてない。それでもやっぱり嫌いじゃないと言ってもらえると嬉しいものではあった。
「ありがとう、お上手ね」
「どういたしまして
 目元にはアイシャドウを光らせる。ルージュは鮮やかな色にしよう。ヒソカの妖しい目つきと嘘つきな唇にぴったりだ。
「あとは星と雫ね」
 ヒソカのメイクにはそのふたつのマークがないと、と筆を構えたそのときだ。
「それはしなくていいよ
 ぱしっと私の腕を掴むヒソカがいた。ずっと伏せられていた睫毛は上を向き、奥にはアイシャドウがよく映える金色がこちらを覗く。
 メイクのせいではない眼差しの強さに息を飲んだ。
「……ヒソカいつもマーク描いてるけど」
 しなくていいのだろうか。あれは彼のトレードマークのようなものだと思っていたのだが、私の勘違いだったのだろうか。

「うん、あれはボクのメイクだから」

 有無を言わせない静止のように感じたのは気のせいじゃない。描かなくていいよとヒソカはもう一度言った。
「終わりかい? 鏡を見せておくれよ
 腕から離れた手のひらにそっと手鏡を置けばヒソカはヘアバンドを外して満足げに口を開いた。
「見事だね
「素材がいいから」
「そんなに褒めるなよ
「事実でしょ」
「否定はしない
 私にとってのメイクは武装だ。ゆえにこだわりもある。同じようにヒソカにもなにかしらのこだわりがあったのかもしれない。彼にとってのメイクはなんだろうか。
 腕に余韻を残して、ルージュの光る笑みを見た。


パチパチ👏
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